写真は提供写真(2011年 ロイター)
20111202の朝、テレビを観ていたら、ミャンマーの最大都市ヤンゴンでアウン・サン・スー・チーさんとアメリカのクリントン国務長官が、お互いに微笑み合いながら、食事のためにレストランに揃って入っていく映像が流れていた。己が眼(まなこ)に活(かつ)を入れた。アメリカの国務長官としては56年ぶりのミャンマー入りだそうだ。
二人とも真っ白い服を身に纏って、いい感じだった。派手さなし、シンプルで清潔。それに二人の笑顔が印象に残った。世界を又に凛々(りり)しさ変わらぬクリントンさん、穏やかな表情の中にも静かな闘志を秘めたスー・チーさん。二人の談笑の写真を見ていると、本当にミャンマーに民主化が進みそうな予感がする。
ミャンマーは北朝鮮の支援を受けて弾道ミサイル・スカッドの製造を進めていることや、核開発疑惑を世界にどのように説明するのだろうか。それに、さらなる民主化、政治犯の釈放、少数民族との和解、人権問題、広範囲な政治勢力の政治参加の改革をどのように進めようとしているのだろうか。
軍政から民政移管されたものの、まだまだ民政とは言い難く、軍政のままと言っても過言ではない状態だ。今後のテイン・セイン大統領、政府の動きに注目したい。
ちょっと前までは、こんな時期がいつ訪れるのか、予想もつかなかった。
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朝日・朝刊
社説
ミャンマー 民主化を見極めたい
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ミャンマー(ビルマ)政府が民主化勢力との対話やメデイア規制など新機軸を矢継ぎ早に打ち出している。真の民主化への第一歩であればと願う。
20年ぶりの総選挙が昨年11月に実施され、「民政移管」が宣言された。しかし軍事政権が制定した憲法の規定もあり、国会議員の6割以上は軍人や軍出身者が占める。実質的には軍政の継続とみられていた。
ところがテイン・セイン大統領は8月に民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんと面談。9月には中国の援助で建設中の水力発電ダムの工事凍結を指示した。環境問題などで少数民族が反発していた事業だ。
政府はさらに、亡命活動家らに帰国を促し、外国人記者に国会の取材を認めた。
出版物などの検閲を緩めた結果、スー・チーさんが表紙を飾る新聞や雑誌が街に出回り、外国報道機関や反政府団体のサイトが閲覧できるようになった。
政府は、東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国を3年後に務めたい、と立候補した。
これをステップに国際社会への復帰を果たし、欧米の経済制裁を解除させて、最貧国から脱したいと考えているのだろう。
急な展開に欧米諸国はとまどいつつも歓迎している。だが民主化勢力は疑心暗鬼の様子だ。
02年にも軟化政策の時期があった。軍政トップがスー・チーさんと会談したものの、その後の揺り戻しでスー・チーさんは再び拘束され、対話を主導した首相が失脚した経験がある。
今回も政府・軍内部で、改革派と守旧派の争いがあると推測されており、民主化が定着する保障はない。議長国が決まるマデノポーズだとの見方もある。
注目のスー・チーさんは「対話はまだ十分ではないが、変化が始まったところだ」と、政府の働きかけに応じる構えだ。民主化勢力には局面を打開する他の選択肢がない現実もある。
変革が本物と認められるにはまず、2千人とされる政治犯の釈放が求められる。対立が続く少数民族との対話も必要だ。総選挙への参加を拒否したスー・チーさんの国民民主連盟に改めて、政党登録と補欠選挙への参加を促してはどうか。
日本政府は早速、人道部門に限っていた途上国援助を人材育成などに広げた。日本企業の現地視察も始まった。
変化にあわせて援助を再開したり、経済交流を加速したりするのはいい。肝心なのは、改革が後戻りしないかを絶えず見極めながら、さらなる民主化を後押しする姿勢で臨むことだ。