私がこの冬を迎えるのに、暖気をとる方法は、酒を飲むか、厚着をするか、風呂に入るかの三つしか方法がなかった。
エアコンは初夏、電器量販店で格安(48,500円)のものをチラシを握り締めて買ってきたが、東日本大地震による福島原発事故の影響で節電を求められ、ここにきて生活費の節約という抜き差しならぬことも加わって、ほとんど使っていない。だけど、寒さは厳しくなるばかりで、此の頃は、ちょっとは使わざるを得ない。それども、1日に2時間以上は使っていません。
そんな日々、冬至のことだ。100円ショップにうどんの乾麺を買いに行った際、店先のワゴンに山のように積んで置いてあった湯たんぽを見つけた。プラスチックのちっぽけな物だった。こんなもので役に立つのかな、と半信半疑のままレジを通した。湯は、たったのコーヒーカップ1杯分しか入らない。真っ赤でハート型。湯たんぽを納める厚手の布でできた巾着風の袋つきだ。
今まで湯たんぽを使ったことはない。子どもの頃は、タドンの入ったコタツだった。
100円なら、騙されたと思っていれば、諦めやすく、嫌になっても捨てればいい、と安易に考えた。
ところが、この小さい湯たんぽが効(利)くんだ。
湯たんぽは中国語では「湯湯婆」と書くらしい。婆は妻のこと。妻を抱いて寝ると温かいことから、このような字並びになったのだろうか。学研社の新国語大辞典には『「たんぽ」は「湯婆」の唐音』とあった。漢字の先輩国、中国は正直だ。「たんぽ」と平仮名ではよく解らない。
就寝前、10時に湯を入れて布団に忍ばせておくと、私の起床時間の4時までは温かい。建物には断熱工事は施され、使っている布団や毛布はかってよりも保温能力はいいのだろうが、それにしても4時まで保温を維持できるのには、感嘆した。私の当初の目論見を、完全に翻したのだから。
夜明け、その微(かす)かに残った温かみに触れると、気分までホッとする。室温は低いのに、何故か、顔が緩む。
そして、今月の26日、横浜市瀬谷区本郷で取得した中古住宅の残置物の撤去に行って、その家の押入れに丁寧に仕舞ってあった湯たんぽを見つけた。昔懐かしいブリキの湯たんぽだ。残置物は以前の所有者が放棄したもので、頂くことにした。これだけの大きさなら相当の熱量を長く持続するのだろう、と想像した。
そして、100円ショップで買ってきたものと、今回の本格的昔からお馴染みのブリキのを比較を試みた。
左がブリキ製の湯たんぽで、縦30センチ
湯たんぽを使おうと思い立った最初の動機は節電から、それから金欠へと重点は変わっていくが、何よりも維持費が安価でなければナラン、それに使い勝手だ。試した結果、100円ショップものの方が優秀だった。100円ショップものはなんてたって簡便で、効果の方も温熱においても引けをとらない。その点、ブリキの方はと言えば、お湯を別途沸かさなければならない、それも少し多い目に、そして布で包むのだが、これには多少は手がかかる。ストーブやコンロの直火で温めることも可能だが、これは大層過ぎる。
どこに保温性の秘密があるのだろうか。容器は多種類あって、密閉されていることはどの種類も同じ。要は水の保温性を最大に活かして、容器には余り関係ないようだ。とりあえず保温性の高い布で包むことだ。
適度に温かく、乾燥しない。中国人が表意文字とした”湯湯婆”を、なるほどと納得した。
快適だ。