仕事で移動中の車の中、急に思いついて運転中の中さんに、中さんよ、クリスマスが何で「X’mas」なの? それにXって一体何や、と疑問をぶつけた。
(Wikipedia キリストの降誕のお祝いに東方の三博士が来訪した様子を描いたカード)
中さんは、奥さんも子どもたちもクリスチャンなのだ。彼は無宗教。彼は何かと知識が豊富で、私が日常疑問をもったことに、いつも的確に答えてくれる。それに英語が堪能だ。今回もいつも通り、彼に不躾(ぶしつけ)に疑問をぶつけた。
ところが、何でも明解に答えてくれる中さんが、暫らくの沈黙の後、何なんでしょうねと言いながら、自分のパソコンで調べだしたら、色んなことが解りだした。私たちが今まで大きな過ちをおかしていたことに、今さら気づいた。
クリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の祝日だ。「神の子が人となって生まれてきた」ことを祝う。
だから、無宗教の我々の誕生日には、ケーキにローソクを立てて、ハッピー、バースデイ、ツー、ユウって合唱するが、クリスチャンたちは12月25日に、ハッピー、バースデイ、ツー、Jesus(ジーザス)って歌うらしい、と聞いた。成る程と首肯。
クリスマスの英語表記はChristmasで、「Christ(キリスト)のmas(ミサ)」だ。
そして、Xmasとも表記する。このときのXはChristの略字で、X’masのような英語はない。
Xmasの文字を見た日本人の誰かが、この綴りにはどうしても納得ができなくて、何かが抜けて、何かが欠けて、間違っているんではないかと思い込んだ。そいつは、アポストロフィの「’」を入れて、X’masを勝手に作り出した。それからは、ご覧の通りだ。子どもの頃、百貨店の装飾や商店街のショーウンドウなどでも、X’masは使われていた。
X’masは実に日本人的な細工の産物だった。これは一連の和製英語と考えた方がいいようだ。そのことに、今まで疑問を持ったことはない。
序に言わしてもらえれば、年末のこの時期のLEDの光を使ったイルミネーションことだ。
大型で大量のイルミネーションが各地の商店街や大通りを、不思議な空間に変えて、非日常感を楽しませてくれている。それはそれなりに面白い企画なのだ。
そこで、ちょっと勘違いしたオッチョコチョイも出てきた。静かな住宅街の中で自分の家の周りに実に下品な仕掛けをしているのを見受けることが多くなった。嫌が上にも見せ付けられて、暴力的とは言わないが、その光の装飾は個人主義的過ぎるぞ。可愛い、ホッとするような飾り付けなら兎も角、下品の上塗り競争だ。これも先に書いたX’masと同様、間違っています。
友人にそんな話をしたら、今年はそれでも大人しい方だよ、この2,3年の調子で増えていったら、俺だって怒り出すところだった、と言うではないか。
自分の家の中なら、如何様に何をしようが勝手 なのです。気をつけましょ。