2012年1月31日火曜日

見たかった、信貴山縁起絵巻

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20120108の夜、寝屋川で大学時代のサッカー部同期の金ちゃんのご自宅に泊めてもらった。

夜10時過ぎ、私が、宇治であった中学校の同窓会を終えて、金ちゃんの家まで、何とか辿り着いた。同窓会の参加者は、お酒を私ほど深く飲まないようだ。酒などに頼らない、平和な生活を過ごしているのだろう。羨ましい限りだ。

金ちゃんの家に着いたときには、金ちゃん夫婦と先客・西の三人が何やら鍋物を食べ終わったようで、私には仕上げのオジヤで遇してくれた。何鍋だったのか、教えてくれないものだから、想いは広がる。料亭のおざなりな高級料理よりも、種類は兎も角、何鍋でも、私の身には合う。

西は、同じ大学の水球部の主将だった。卒業は私がお決まり通りで、2人は翌年卒業の1年遅れだ。西は日本の代表選手だった。福島のいわき市に住んでいて、原発が水素爆発を起こした後、私の住まいに避難していた。だから、西とは8ヶ月ぶり、金とは1年半ぶりのお酒だ。

金ちゃんは、大学を卒業して母校の高校の先生になった。そして、校長先生と何やら大変揉めたそうで、自己都合退職なのか、馘首なのか、真相は教えてもらってないが、結果、不動産屋さんになって、最早30年近くにはなるだろう。私と同業。情報交換は密にしてきたけれど、関西と関東は、何かと大いに違うところがあって、互いの情報は相手には、余り役に立たないものだった。

翌日20120109、豪華な朝食の後、今日一日何をしようか、と金ちゃんが我らを気遣って聞いてきた。西はこのような場合でも、な~んにも考えてないことは明白。私は躊躇(ためら)うことなく、信貴山に行きたい、と提案した。対論を持たない彼らは、私の提案に無条件で賛同してくれた。

即、金ちゃんは一番頼りにしている弟に電話して、悪いけど今日はヤマオカさんが来ているさかいになあ、ちょっとなあ、頼むぞ、と電話を切った。

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本堂。舞台づくりになっていて、その眺めは大和平野一望。

何故、信貴山なのか? 前日、奈良の東大寺を見終わって、奈良駅前広場のベンチで寛いでいたとき、夜お世話になる金ちゃん宅がある寝屋川方面を地図で追うと、奈良から生駒山地を越えると、直ぐそこが寝屋川だった。そこで、明日の金ちゃんの都合次第で、生駒山の信貴山行きをお願いしよう、と思いついたのだ。

正式には、信貴山真言宗総本山朝護孫子寺。

車で、有料の信貴・生駒スカイラインを走って、約40分で信貴山に着いた。一行は、金ちゃんと金の奥さんのナオミちゃん、私と西の4人。途中、見晴らしの良い所で、休憩。大阪と奈良の市街地が眼下に眺められた。生駒山の標高は642メートルと後で知った。遠く京都方面も眺めてみた。真言宗の僧侶たちの修験の場所だった。それゃ、奈良や京都から、この山頂までの距離は、高さはさほどでもないが、水平移動は相当な距離になる。

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信貴山へは何年か前に来たことがあって、それがいつだったか思い出せない。下から眺める朝護孫子寺の本堂の姿が遠い記憶にある。高校生のときか、受験浪人のときだったかも。本堂からは、大和平野が一望できた。

この寺は、私のような俗っぽい人間にも、親しみを沸かせてくれる寺なのだ。それは、国宝に指定されている縁起絵巻三巻による。今回のツアーコンダクターの金ちゃんは、少し前にNHKでこの絵巻物の特番を偶然観て、そこで学んだことを丁寧に解説してくれた。車中、境内に入ってから展示室に入るまで、展示室の中で、展示室を出てからも詳しく。そして、寺が発行している「信貴山」、定価500円も買ってくれた。この絵巻物を、いい加減ではなく、きちんと理解してくれよ、と彼の希(のぞみ)が強く感じられた。私が、唐突に、今回信貴山に行きたいといって、彼が快諾してくれたのには、このような知識があったからかもしれない。

境内にある食堂で、お汁粉を私以外の3人は食った。私は朝飯をいつもより沢山頂いたので、何もオーダーせずに水を頂いて、食堂の前で、僧侶たちが5,6人でお経を唱え、護摩を焚いていたのを眺めた。祈祷してもらっている人が後を絶たない。護摩を持たない私は、後ろの方の人陰から、黙して祈った。会社のこと、スッタフやスタッフの家族のこと、自分と自分の家族のこれからの行く末が平穏であることを祈った。

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食堂内の3人は、お汁粉に満足したのだろう、表情が和やかだ。

 

信貴山真言宗総本山朝護孫子寺のホームページより、信貴山と朝護孫子寺の紹介文を引用させてもらった。

★信貴山

今から1400年前、聖徳太子は物部守屋を討伐せんと河内稲村城に向かう途中に、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はそのご加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山「信貴山と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。  

★朝護孫子寺

醍醐天皇御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空しからず天皇のご病気は、たちまちにして癒えました。よって、天皇朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることになりました。また、「朝護孫子寺」は「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれている。

★戒壇巡り 

本堂階下の暗闇を進んだ。横浜に帰って、友人にこの暗闇の話をしたら、仏像の先に錠前があってそれに触れることができたら、ご利益(りやく)があるんやで、と教えられたが、そんなことには気づかなかった。

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★毘沙門天王

毘沙門天王は、七福神のなかでも、商売繁盛、金運如意、心願成就を最も厚く授けてくれる福の神。

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★経蔵堂

中央に回転経厨子がああり、中に仏教のあらゆる法門の経典を集めた「一切経」が納められている。これを回転させる毎に」一切経」を全て読誦したのと同じ功徳があると言われている。一人では重たくて無理だった。数人で、協力して押さないと動かない。

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★国宝信貴山縁起絵巻

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この絵巻物は、今から千百年前、当山中興命蓮上人が、この寺で修行していた時の物語を、面白く描き綴られたもので「飛倉巻、延喜加持巻、尼公巻」の三巻からなっている。

〇飛倉巻=京都山崎の郷に一人の貧者がおりました。

命蓮の教えに従い慈悲の心を持って、毘沙門天王を信奉し努力すると、幾年も経たぬ間に大福長者となりましたが、時が経つにつれいつしか心奢り命蓮の教えも忘れ、怠惰な暮らしをして命蓮に差し上げるお布施の米も惜しがり、お返しする托鉢も米倉に投げ入れました。

すると、突然倉がゆらゆらと動き出し、転がり出た鉢が倉を乗せて空高く舞い上がりました。長者も家の人も、あれよあれよと騒ぎ立て、唖然と空を見上げるばかりです。黄金色の鉢が空を飛んで行く、しかもその上には巨大な倉が軽々と浮かんでいます。

馬に乗った長者、後を追う召し使い達、倉は信貴山に向かって飛んで行く。長者の後悔と不安に満ちた顔、召し使い達の驚きの顔、絵巻はその表情を克明に描き続けています。

 

〇延喜加持巻=延喜の帝 醍醐天皇が重い病に罹られました。

さまざまな祈祷も薬も一向に効き目がありません。命蓮の不思議な法力の噂を聞いて勅使の一行が命蓮を訪ねて信貴山に至り、朝廷に来て祈祷して欲しいと頼みます。

命蓮は、勅使に私は、この山で毘沙門天王にお祈りいたします。満願の日が過ぎたら、そのしるしに剣の護法童子が朝廷に出現されるでしょうと答えます。

果たして数日後、帝の夢の中に護法童子が現れたかとみるや霊験もあらたかに、帝の病はたちどころに治りました。千の剣を身に付け、黄金の車輪を廻し雲を呼びながら、帝の枕元へ急ぐ剣の童子の姿は絵巻の最大な圧巻として描かれています。

 

〇尼公巻=命蓮には信濃の国に尼公と言う姉がいます。

尼公は二十年前奈良に修行に行くと言って、古里を出たまま行方不明になった弟をさがして、大和路に入り村の人々に命蓮のありかを尋ね歩きます。若菜を摘み洗濯をする里の女達、大和路は春でした。

見馴れぬ旅人の姿に子供達は、物珍しそうに近寄り、犬は吠えかけています。尼公は尋ねあぐねて、東大寺の大仏殿で一夜を明かしながら、弟の居所を教えてくださいと祈り続けました。

すると、夢の中に大仏のお告げがあり、その教えに従って行くと信貴山の山の中に弟の住み家がありました。命蓮と呼びかける尼公、振り返る命蓮、年老いた姉と弟の感動的な再会が描き続けられています。

 

今夜中に福島・いわきまで帰りたいと言う西のために、ナオミちゃんは夕食の準備を早めてくれた。鍋だった。美味かった。そして西は再会を約束して帰った。上野駅に22時半ごろまでには着きたいんだ、明日はゴルフなんだと言っていた。

それから、金ちゃんとテレビでイングランドのラグビーの試合を観てから少し寝かせてもらった。22:30頃、京阪電車の寝屋川駅まで送ってもらい、京都駅八条口を00:00スタートの深夜バスに乗り込んだ。帰途、夕食は何鍋だったのだろうと思い返しても、思い出せない。きっと話しに夢中だったのだろう。バスは若者で満員だった。