20120101に行なわれた天皇杯サッカーでは、J2のFC東京が同じくJ2の京都サンガFCを4-2で下し、初優勝をした。そして、0109の高校サッカー選手権では、千葉の市立舟橋が三重の四日市中央工に延長の末、2-1で破り、9大会ぶり5度目の優勝を果たした。J2同士の天皇杯での決勝戦は初めてなのではないか。
この二つの決勝戦は見応えがあった。今シーズンの総決算の試合として、サッカー気違いどもには、失望させない好試合だったのが、何よりも嬉しかった。
そこで、朝日新聞の潮 智史氏は、この二つの決勝戦から、決勝戦では負けた京都サンガと四中工の両チームの特徴を分析、解説しているので、この記事は注目すべき内容だったので、下の方に転載、マイファイルさせてもらった。
先に行なわれたJリーグでは、昨年までJ2で、今シーズンJ1に昇格したばかりの初年度に、柏レイソルは強豪たちをなぎ倒して優勝した。このことも、頭の隅っこの確認袋にしまっておかなくてはならない。
この二つの大会から、多くを学んだ。
20120101 京都サンガ 天皇杯準優勝
潮氏が指摘していることは、それ程目新しいことではない。
元日本代表監督のオシムが、口酸っぱく走ることを基本のキだと教えた。これは、走ればチャンスがひょんなところで生まれること、それも攻守の切り替えのときこそ、その効果がてきめんだと。それを、岡田ジャパンは、理解していて、このことを徹底した。そして、外人相手の体力差をカバーした。海外のクラブで、試合に使われている選手の岡崎慎司、長友祐都、香川真司、内田篤人らは、この攻守の切り替えを理解し、言い換えればボールを奪われた時の動きが評価されて、所属チームの監督は彼らを使っていると思う。潮氏が取り上げていることは、これに通じる。
攻守の切り替えに、この両チームは殊更徹底した。その徹底の仕方にはそれぞれにその個性を巧く活かした。市立船橋は市立船橋らしく、京都サンガは京都サンガらしくだ。その活かし方については潮氏の分析、解説通りだ。
京都サンガについてだけは、ここでもう一言申し上げたい。強さの秘密のことだ。
身贔屓(みびいき)の批判を覚悟で記している。注目すべきは、どこのチームも真剣に取り組んでいることだけれど、下部チームの育成のことだ。育成の組織や運営、プログラムは各チーム苦心、腐心しているのは、よく聞く。
今シーズンの活躍を目の当たりにして、感じたのは京都サンガの若手の台頭だ。どのチームよりも、突出している。2011年より、山田俊毅、駒井喜成、伊藤優太、下畠翔吾らがユースからトップチームに昇格した。彼らと同学年の宮吉拓実は2008年にプロ契約して、堂々とトップチームのFWで頑張っている。欠かせない選手になっている。彼は1992年生まれだから、現在は19歳だ。そして、今回、高校生の久保裕也が2種登録選手でありながら、天皇杯では3試合に出場して3得点の大活躍だった。
きっと下部組織の育成システムがうまく稼動している証左なのだ。それに、詳しく調査しなければならないのだが、直感で思うのは、出場選手の平均年齢の低さだ。これも、育成システムが功を奏している結果だろう。京セラ、立命館大学、京都サンガの三つ巴で、高校生をサポートしている。勉学と学費は立命館宇治高校、寮と寮費、食費は京都サンガが全面的に負担。練習はサンガタウン城陽にある人工芝グラウンドで、京都サンガのプロの指導を受ける。
ちょっと話は逸れる。
私が京都府立城南高校のサッカー部だったとき、担当してくれた体育の先生で監督なのか部長なのか、世話をしてくれたのは岡本先生だった。先生は、京都サンガの前身の前身の京都紫光クラブの重要な選手だった。キーパーだった。先年なくなられた。岡本先生は旧京都学芸大学特修体育科を卒業して、我が校のサッカー部の面倒をみてくれた。私が秘かに狙っていた大学だった。先生は、釜本、二村、辻先輩など、我が大学の先輩がメンバーの全京都チームのキャップテンだった。当時のキーパーとしては秀逸だった。私の憧れのサッカー選手だった。
それに、宇治は私の高校があったところ。まして、宇治高校と言えば、今でこそ立派な立命館大学の付属と言うことになっているが、私とは人に言えない深い関係ができてしまった。今なら笑い事で済まされることなんだが。私は、故郷の中学校の当直のアルバイトをしていて、思わぬ仕事を請けてしまった。このことは、墓場まで持ち込みますから、もうこの話はなかったものにしてもらおう。
城陽市に育成強化部のグラウンドがあると聞く。この城陽も、私の故郷の隣町だ。
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20120110
朝日・朝刊
準Vチーム 研ぎ澄ました戦術光る
編集委員・潮 智史
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9日、震災の年のサッカーシーズンが幕を閉じた。心躍らせたのは全国高校選手権の四日市中央工と天皇杯の京都。いずれも持ち味を出しながら、決勝で敗れ去った者たちである。
四中工には「3秒コンセプト」なるものがあった。
ボールを失った瞬間から3秒間、1人が奪い返しに走り、周囲は第2、第3の網を張り巡らせて襲いかかる。体に染み込ませた出足の速さで次々とボールを奪い返した。相手が前がかりになったスキを突いて好機につなげる発想だ。
京都はさらに大胆だ。
アイデアマンの大木監督は「攻めは広く」という原則を逆手にとる。ボールをとった選手にあえて味方が寄っていく。敵も味方も近い窮屈な状況でボールを失うのは織り込む済み。相手が攻めに転じる前に再び奪い返して局地戦を抜け出す。えさをまいて相手をおびき寄せ、置き去りにする繰り返し。決勝の公式記録には、こぼれ球を3度拾って先制点につなげた経過が記されている。意図的に、逆襲を仕掛ける状況を作り出すわけだ。
両者に通じるのは、攻守の切り替えの速さを研ぎ澄ました姿。泥臭いハードワークも徹底すれば立派な武器だ。別物と分けがちな攻めと守りを限りなく一体化させる。マイボールの状況を白、相手が持つ時を黒とすれば、どちらのボールでもないグレーの状況を白に近づける。四中工の樋口監督は「体力の強さに対抗するために求めてきた」とその狙いを明かした。
高校選手権で気になったキックのつたなさにも触れておきたい。中長距離になると途端にパスの精度は落ちる。決定力不足というのは、それ以前にキック力不足ではないのか。戦術練習に走り、当たり前の技術やハードワークを置き忘れていないだろうか。これもプロと高校生に共通している。