2012年1月31日火曜日

我が家が解体された

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先週の月曜日20120123から、我が家の解体が始まった。

気象庁は、連日低温注意報を出している。こんな注意報が気象注意報の中にあることを初めて知った。一際冷たい寒気団が、空を覆う。その寒空の下、我が家が、解体屋さんによって手際良く、壊されている。

私は、現場の前に立つ。

おとうさん(義父)、草君の習字が残っていたと解体屋さんから連絡があったのですが、捨てますか、どうしますか、と二女の旦那・竹ちゃんから電話をもらった。現場のことも気になっていたので、即、駆けつけた。

その習字は、中学生の時、彼が書いたもので、「一蹴入魂」だ。書には気合が漲(みなぎ)っている。私は長年に亘ってサッカーに情熱を燃やした。息子もまたサッカーに情熱を燃やした、そして素晴らしい仲間に恵まれた。その情熱、炎上中に書いたものだ。海外赴任中の本人の意向は解らないが、とりあえず保管することにした。

目の前で、家が壊されていく。解体屋さんは、壊した廃材を分別しながら収集していく。

解体屋・アさんは、我が社の優良な取引会社だ。それに私の二女の小学校からの友人の夫が社長さんだ。数年前に、この会社の社長さんのご自宅を、弊社で紹介させていただいて、今は凄く喜んでくれている。その家は、この解体現場から200メートルも離れていない。

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この権太坂に引っ越してきたのは、35年前。それから10年後に、200メートルほど離れたところに引っ越してきたのがこの家で、今、まさにか・い・た・い・ち・ゅ・う。この家には約25年住んだことになる。

4人の小さな子供たちと過ごした思い出が次から次と湧いてくる。そして、無性に寂しさがこみ上げてきた。足元がグラグラ、寒さが身に沁みる。目の前の光景が、ぼや~んとかすんでくる。

家人に寂しいなあ、と声を掛けると、彼女は泣いていた。

現場から、車で離れたが、頭の中はドンヨリと重い。車の中で、一人、狂ったように、大声で叫びたい衝動に駆られた。

この家を私の不如意なことで手放すことになったのは、不幸なことだけれど、二女夫婦が自分たちで土地を購入して、家を建て替えようと提案してきたことは、全く予期せぬことだった。

それなら、君らの家はどうするんだ?の質問には、三女・苑たちが住めばいいではないか、と何もかも答えが出ていて、すっきりしたもんだ。三女とは打ち合わせ済みだと言う。

途方に暮れていた私は、彼女たちの提案に嬉しく同意した。こんなに幸せな方向に話が進むとは露ほども想像しなかった。

「どいつもこいつも、不景気な顔をしやがって。景気よく、ここは一発、建て替えようぜ」。頼もしい限りだ。

20120129の夕方、昨年の3・11東日本大震災のことが脳裏を掠めた。

目の前で、やっとのことでローンを払い終えた家や、新築したばかりの家が、又、それぞれに事情の違いはあるだろうが、沢山の家が津波で流された。住宅、店舗、工場、さまざまな建物や施設、市街が丸ごとごっそり流されて、残されたのは、剥がされた地面と瓦礫だけ。死者15600余人、行方不明者4900余人。

罹災者の方々、その関係者の人々が、なんと惨(むご)い思いをされたことだろう。さぞかしい、悔しくて、悲しく、辛く嫌な思いをされたことだろう。残念無念、千万無量の思いだろう。この人たちのことを想うと、この程度の事情で私の家が壊されることなんて、屁みたいなもんではないか。何をメソメソしているんだ。

新しい、我等の家が建て替わる。でも、私が大事にしてきた家はもうない。

この夏前には、新しい家が完成する。悲しんでいる場合ではない、と娘夫婦らから励まされても、喪失感は褪(あ)せない、寂しいのだ。