2011年12月1日木曜日

井上靖 「孔子」

現代小説というときの現代の定義はよく解らない。が、少なくとも、存命中の作家の本は、今暫らくは読むまいと決めた。

氾濫する現代小説には、作家の手管(てくだ)に疲れる? 題材にも気分が乗らない、読了、虚(むな)しいのだ。私の現在の精神状態が余り好くないことも理由のひとつかもしれない。

先日、磯子駅近くで、弊社の提携工事会社のスタッフとの待ち合わせに時間があったので、古本屋のいつもの何とかオフ店ではなく、何とか船とかいう店に入って仕舞った。

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見つけた本が、井上靖の「孔子」だった。この店の本の売価は、消費税込みで表示されていて、100円だった。新潮社。

「氷壁」は中学か高校の教科書で読んで感想文を書いた記憶がある。社会人になって「猟銃」、「蒼き狼」、「あすなろ物語」を読んだ。今回の「孔子」は井上靖の晩年の作だそうだ。

高校時代の漢文の教科書には孔子や孟子の論語がいくつも取り扱われていた。私は、高校の授業を真面目に出席していなかったので、論語のことは皆目解らない、理解できない。論語読みの論語知らずの優等生だ。勉強しなかったことに悔いはある。人並み以上の興味はあったのに、あの時は馬鹿にしていた。だからかこそ、この本をしっかり握って、放さないのか。

 

時は、中国の春秋時代のことだ。

Wikipediaの知識をお借りした=中国の春秋時代とは、紀元前770年に周が都を洛邑へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまで。その時代でも、紀元前403年に晋が、韓・魏・趙の3国に分裂するまでを春秋時代、それ以降を戦国時代と分けることが多い、とあった。

孔子は、魯の国で前551年に生まれ、魯の国の大教育家であり、高級仕官でもあったのだろう、提案した施策が思い通りに進まず、失望の果てに旅に出る。中原(ちゅうげん)地域を14年間、遊説、放浪の旅をした。その旅の途中で、この篶薑(エンキョウ)が同行することになる。旅の世話役として雇われたのだ。篶薑(エンキョウ)とは、エンキョウによると”ひね生姜”とか”萎(しお)れ生姜”という意味だそうだ。

エンキョウは、旅の道中、孔子と高弟三人の顔回、子路、子貢らの考えていることや、彼らの会話のやりとりから、人間学を学び、次第にこの人たちに心を奪われていく。仲間同然に扱われた。

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孔子の没後、中原の各地において、孔子の研究会が行われていた。

この本の物語は、主人公、孔子の架空の弟子エンキョウが、孔子の研究者たちに向かって語る形式をとっている。その研究者たちがその後、各自それぞれ孔子が語った言葉を持ち寄り、書物にまとめたものが、どうもそれが「論語」らしい。

孔子の言葉が、どのような状態の中で発せられたのか、その時の状況を説明することで、孔子が伝えたかった真意が如何なものだったのか、孔子を知るエンキョウが、研究家に語る。孔子の意図する天とは、天命とは如何なるものか、これには随分時間をかけて、話した。

孔子や高弟三氏の人柄、旅の様子、旅の意図、各国の事情や様子なども合わせて、話した。

エンキョウは、孔子の死に前後しての高弟たちの死、その喪に服し、それから山深い里で篤志家から家や畑が提供され静かに暮らしている。

中原(ちゅうげん)とは=(学研国語大辞典によると)ー黄河中流域の中国文明発祥の地。漢民族活動の中心地であった。 (Wikipediaよると)ー狭義では、春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯をさしていた。

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  Wikipedia 中原

本文中、難しい漢字が沢山出てきたが、語意の解らない漢字も、なんとか語感で理解しながら、読み進めた。ちょっと危ない読み方だけれども、色んな漢字に出くわして久しぶりに刺激的だった。

 

★ 此処から,本にも出てくる孔子の語った言葉を本の中に出てくる順に、いくつか随時紹介する予定です。

注 各項目前の算用数字は本文の頁です。

*69p 君子、固(もと)より窮(きゅう)す。小人、窮すれば、斯(ここ)に濫(みだ)る

 

*71p われに陳蔡に従う者は、みな門に及ばざるなり

陳・蔡は、中原の旅で巡り歩いた国々のうちの二国。

 

*76p 周は二代に鑑(かんが)みて、郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな。吾は周に従わん

(郁郁乎として文なり)は、文化的気運が花開いていること。

 

77p 甚(はなはだ)しいかな、吾が衰えたるや。久しいかな、吾れ復(ま)た夢に周公を見ず

 

83p この紊(みだ)れに紊れた世から眼をはるかに逸(そ)らせてはいけない

 

88p 憤りを発して食を忘れ、楽しんで以て憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らず

 

94p 近き者説(よろこ)び、遠き者来る

 

108p 帰らんか、帰らんか。吾が党の小子(しょうし)(わが郷党の若者たち)、共簡(きょうかん)にして(大きな夢、大きな志の持ち主)、斐然(ひぜん)として章を成すも(美しい布を織り上げているが)、これを裁するゆえんを知らず(仕立てることを知らない)。

 

115p これは楚の昭王の言葉だー武という字は、戈(ほこ)を止める、とある。

 

128p 朝(あした)に道あるを聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり

 

130p ああ、天、予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり

高弟顔回の死に対して

 

133p その食をはむ者は、その難を避けず

高弟子路が領主救出に向かう心構え

 

*君子は死すとも冠をぬがず

子路が領主救出で倒れた際の発言

 

135p 逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず

大河の流れを前にして

 

147p 美なる哉、水! 洋々乎たり。丘(きゅう)が渡らざるは、これ命なるか

黄河を渡る前に、晋国に政変が起こって、晋国行きを中止した

 

153p 天、何をか言うや、四時行なわれ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天、何をか言うや。

道の将(まさ)に行なわれんとするや、命なり。道の将に廃(すた)れんとするや、命なり。

天命についての考察のようだ

 

157p 五十にして天命を知る

 

174p 鬼神は敬して、これを遠ざく

足場に気をつけよう

 

184p 命なるかな。斯(か)くの人にして斯くの疾(やまい)有り

 

 

191p 天、何を言うや、四時行なわれ、、百物生ず、天、何をか言うや

つべこべ言わずに黙ってやれ。天は天で、大きな仕事をしながら黙っているではないか

 

199p 天、予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり

子の亡き顔回に対する信頼と愛情が子の心を無残に引き裂いた

 

249p 北辰(ほくしん)、その所に居て、衆星、これを廻(めぐ)る

ーー-これを囲む。---これを迎う。---これを捧ぐ。

北辰が居るべき場所に居れば、他の諸々の星は、ーーー 囲む、迎う、捧ぐ。

 

256p 子、怪・力・乱・神を語らず

怪は、怪異、怪奇、妖怪、物の怪。力は暴力、蛮勇。乱は背徳、不倫、乱逆。神は霊魂、霊力。

 

260p 鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾れ巳(や)んぬるかな

聖天子が現れる際には、鳳凰が姿を見せ、黄河からは天下を治める大法を説いた図面を背負って、亀や龍が現れるというが、現れない。私も御仕舞いか。

 

271p 喪は哀を致して止む

子游の詞。人の死の悲しみに情を、涙の枯れるまで尽くす。

 

*284p 巧言令色、鮮(すく)なし仁

お世辞とつくり笑顔の者には、仁の徳はない。

 

 

285p ただ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む

仁の徳を具えた者だけが、好む人を好み、悪むべき人を悪むことができる。

 

287p 剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)、仁に近し

 

287p 仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る

 

288p 人にして仁ならずんば、礼を如何せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん

仁の心を持たない人が礼など学んでも、無駄だ。楽も同じ。

 

290p 志士、仁人は、生を求めて、以て仁を害することなし。身を殺して、以を成すこと有り

仁を志す人、仁を生活信情にする人は命惜しさに仁を犠牲にすることはない。仁を完成させるためには死だって厭(いと)わない。

 

297p 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は壽(いのち)ながし

 

 

325p 死生、命あり、富貴、天にあり

死生も富貴も結局のところは天命で、人力の如何とも成し難い

 

 

331p 民の義を務め、鬼神は敬して之を遠ざく。知と謂うべし

民が正しいとするところを尊重し、鬼神には敬意を表すも慎重を期す、これが知の政治。

 

 

331p 未だに人に事(つか)うることを能ず、焉(いずく)んぞよく鬼(き)に事(つか)えん

生きている人にも仕え得ないのに、どうして死者の霊に仕えることができよう。

 

331p 未だ生を知らず。焉(いずく)んぞ死を知らん

死の何かたるかも判らないのに、どうして死が判ろう

 

332p 子の慎む所は斉・戦・疾

用心したのは、潔斎(ものいみ)と、戦争と、疾病だ。