2011年10月20日木曜日

2011、ノーべル平和賞、女性3氏

ノーベル賞にも色々あるが、平和賞に関心が深い。

ノルウエーのノーベル賞委員会は7日、2011年のノーベル平和賞を、リベリアのエレン・サーリーフ大統領(72)、同国の平和活動家リーマ・ボウイーさん(39)、イエメンの人権活動家タワックル・カルマンさん(32)の3人に授与すると発表した。紛争解決や民主化に女性が大きな力を発揮した、その功績を評価した。

現職大統領が受賞したことにも意義があるように思う。かって、核軍縮を率先すると高らかに宣言しただけで受賞したオバマ・アメリカ大統領の、その後の実績の乏しさにがっかりさせられたのは、私一人だけではないだろう。受賞時、私は世界最強国のアメリカの大統領の行動に夢を膨らませた。このような音頭とりだけの、腰抜けに授賞したことを、さぞかしノーベル平和賞委員会は失望、後悔、無念だろう。

でも、今回のリベリアの大統領の受賞は、その実績を評価され、尚、現在奮闘中だということに意義がある。女性の地位向上や民主化を進めながらの経済・社会の再建に邁進して欲しいという願いが込められているように思う。もっともっと、と期待は大きい。私の手元には、新聞記事しか判断する材料はないが、頼もしい実務派の大統領のようだ。

そしてイエメンの人権活動家のカルマンさんは、「アラブの春」が吹く前から、女性の権利や民主、平和のための闘いを、危険な状況にも屈することなく続けてきたことを高く評価された。

極東の小さな島の凡人も、喜びの人たちの輪の中に入れてもらいたい。僭越ながら、受賞者に声を大にしてエールを送りたい。

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20221008の朝日新聞・朝刊の記事を下のほうに、そのまま抜粋、転載させていただいた。

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ノーベル平和賞 その1、サーリーフさん、ボウイーさん

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闘う女性世界照らす

内戦後の失敗国家再建

サーリーフさん、ボウイーさん

 

内戦や汚職、貧困が蔓延し、国が国民の生活の安全を守れない「失敗国家」がアフリカには数多い。リベリアのサーリーフ大統領は受賞決定後、朝日新聞の取材に応じ「この賞はアフリカ諸国の人々が、政治腐敗と戦い、困難を乗り越える力を強くする」と語った。

米国のシンクタンクによると「失敗国家ランキング」で、20011年ワースト20カ国のうちアフリカ諸国が14カ国を占める。1989年から14年間、内戦が続いたリベリアも典型的な失敗国家だった。約27万人が死亡し、80万人近い難民を生んだ。汚職も横行し、テーラー政権時代には、国の収入は役人の懐に入った。国は西隣のシエラレオネの反政府組織に武器を供給し、見返りとして「紛争ダイヤモンド」を受け取っていた。

サーリーフさんは弾圧を受けながらも独裁政権を批判し続け、「鉄の女」と呼ばれた。2006年に大統領に就任すると、改革を断行し、はびこる汚職の排除に努めた。ダイヤモンドなど資源の管理も徹底し、疲弊した経済を上向かせた。

内戦で抑圧された女性の社会進出も助け、政府の重要ポストに多くの女性を登用。女子教育にも力を注いだ。サーリーフさんは「潜在能力があるのにずっと女性は無視されてきた。この賞はすべてのリベリア女性に贈られたものだ。世界中すべての女性が不正義に立ち向かう力になる」と語った。

一方、リーマ・ボウイーさんは仲間と白いシャツを着て、内戦を続ける独裁体制に立ち向かった。「この国の母親たちによって現状を変える必要があった」とボウイーさん。白いTシャツはリベリアで平和のシンボルになった。

ボウイーさんは7日、朝日新聞の取材に答え「男たちが殺し合い、子どもがひどい状態に置かれた。黙ってみていられなかった」と話した。(ナイロビ=杉山正)

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うわついた、政治成果をひけらかす政治指導者が目立つアフリカ大陸には少ない、実務家という印象を受けた。

「ゼロからのスタートの我々にとって、すべてが優先事項。でも現実的な目標を定め、政策にも優先順位を決める。優秀な人材を公平な制度のもとで活用し、着実に仕事をこなしていくことです」。そう語る口調も、淡々としていた。

一見、小柄なおばあちゃん。市民は「ママ・サーリーフ」と親しみを込めて呼ぶ。だが、本当のニックネームは「鉄の女」だ。長年、独裁政権への抵抗を続け、大統領に選ばれてからも国を立て直すために妥協はしなかった。

鉄鉱石やダイヤモンドなどの豊かな資源は国民を潤さず、逆に政治腐敗の温床になり、権力争いが内戦に発展した。

「資源の呪い」と称されるこの現象。スーダンやコンゴ(旧ザイール)など、似たような境遇の国はアフリカには多く、「失敗国家」と呼ばれる。リベリアも以前はその一つだった。

決め手は、サーリーフ氏が推進する「良い統治」の実現に向けた数々の改革だ。内戦時に外国へ逃れて高い教育を受けた国民を、高待遇で雇い入れる代わりに、成果がでなければ契約を打ち切る制度の導入など、行政を効率化させている。

こうした取り組みは、他のアフリカの国々に手本となっている。リベリアを取材で訪れた理由も、7月に独立した南スーダンが、リベリアの事例から学ぼうとしているからだった。「良い統治とは、人々に説明できるような具体例を示して、人々を導くこと。法の支配に基づき、透明性のある政治です。悪い統治とは、権力欲を持つ政治家が原因の一つになる。リベリアはそうさせない」

まだまだ課題の山積するリベリアの復興に向けてサーリーフ氏は今後も淡々と改革を実行していくと期待したい。(前ナイロビ支局長・古谷祐伸)

ロイター通信によると、リベリアの選挙管理委員会は、大統領選を11日に実施するという。

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「女性たちの励みに」関係者

アフリカや中東で女性の地位向上や民主化に尽力してきた女性3人へのノーベル平和賞授賞が決まり、関係者らからは喜びのコメントが相次いだ。

国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」のシェティ事務局長は「今年のノーベル賞委員会の選択は、世界中で権利のための闘いを続ける女性たちへの励みになる」と授賞を高く評価。「今日の賞は表彰された3人の女性リーダーだけのものではなく、人権と公平な社会のために闘ってきたすべての人々のものだ」と語った。

ドイツ初の女性首相であるメルケル氏は報道官を通じ、「世界に対して非常にいいメッセージとなった」と評価。欧州連合(EU)のファンロンパアイ首脳会議常任議長とバローゾ欧州委員長は連名で「女性が紛争の平和解決と民主的変革に極めて重要な役割を担っていることの証しだ」との声明を出した。

「彼女たちが達成したことは、すべてのリベリア人女性とともに成し遂げられた」。リベリアのゲイフロー女性地位向上・開発相はロイター通信に語り、授賞を歓迎。同国のサーリーフ大統領とともに授賞が決まった平和活動家リーマ・ボウイーさんの家族は「(ボウイーさんは)すべての女性や子どもたちの発展のために熱心に活動してきた」と振り返った。

今年は、エジプトでムバラク前大統領を退陣に追い込むなど、中東で市民が民主化を求める声を上げた「アラブの春」が有力候補と見られていた。国外からネットで反政府デモを呼びかけ、エジプト帰国時に拘束されたネット検索大手社員のワエル・ゴネイムさんは「我々にとっての平和賞とは、より民主的で人権が尊重される国になることだ」と簡易ブログのツイッターにつづった。

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ノーベル平和賞その2、 人権活動家・カルマンさん

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民主化へデモ呼びかけ

「この賞を、『アラブの春』のすべての活動家に捧げたい」。イエメンの人権活動家タワックル・カルマンさん(32)は受賞の知らせを、首都サヌアの抗議デモ会場で受け、そう語った。

ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、イエメンのカルマンさんへの授賞は「人口の半数を占める女性を軽視すれば民主主義は確立できないという、『アラブの春』へのメッセージだ」と述べ、中東の民主化でも女性の参画が不可欠だと指摘した。「厳しい環境のもとで、アラブの春のずっと前から活動してきた人に平和賞を授与する」とも説明した。

2001年に新聞や雑誌に記事を書き始め、一貫して女性の権利や表現の自由を求めてきた。05年にNGO「鎖のない女性ジャーナリスト」を創設。国際的に知られるようになった。母国の民主化は遅れていた。イエメンのサレハ大統領は、南北イエメン統一前を合わせれば30年以上トップの座にある。

カルマンさんは07年に政府庁舎前で、毎週火曜に独裁政権に抗議する座り込みを始めた。しかし参加者は多くはなかった。そこに「アラブの春」が起きた。

今年1月14日にチュニジアでベンアリ政権が、エジプトでも2月にムバラク政権が倒れた。サヌアの大学構内で学生らを率いて始まった退陣要求デモの参加者は、若者を中心に日に日に膨れ上がった。

支援者からは「鉄の女」「革命の母」とも呼ばれる。今年1月、抗議デモのさなかに「許可を得なかった」として逮捕されたが、仮釈放されるとすぐに「怒りの日」と名付けたデモを呼びかけた。カルマンさんは、民主的で近代的なイエメンを実現するまで、平和的な運動を続ける構えだ(カイロ=渡辺淳基)

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リベリア

米国から解放された奴隷が居住地をつくり、1847年に独立した。1989年から断続的に続いた内戦が2003年、当時のテーラー大統領の亡命で終結。暫定政府のもとで大統領選が実施され、06年にサーリーフ氏が大統領に就任した。面積約11万平方キロ。人口約400万人。ダイヤモンド、金、鉄鉱石が豊富。

 

イエメン

貿易の中継地として古くから繁栄していたが、1839年にオスマン・トルコが支配する北側と英国が支配する南側に分断された。南北間でたびたび武力衝突が起きたが、1990年に統一。北の大統領だったサレハ氏が、統一後も約20年間、政権にとどまっている。面積約55.5万平方キロ。人口約2400万人。

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20111012

天声人語

「暮らしの手帖」を創刊した伝説の編集者、故花森安冶に「女だけの政治」と題する一文がある。戦後しばらくして書かれたが、もはや男の政治はだめだから女に任せてみよ、という論旨に古さはない。

いわく「(昔から)政治は男のやるものときまっていた。そして男たちは、ああでもない、こうでもないといろいろやってきたが、どうやってみたところで、戦争は次から次へとくりかえされるし、世の中の不合理は、少しも改まらないのである」と。そんな花森がうなずくような、今年のノーベル平和賞だった。

贈られる女性3人のうち、エレン・サーリーフ氏(73)は西アフリカのリベリアの大統領。独裁や汚職やらで「男たち」が荒廃させた国を建て直してきた。

約27万人が内戦で死に、失業率は85%、識字率4割という出発点から6年前に走り出した。汚職撲滅のために財務省の全職員300人を解雇し、同省や司法、商務などの大臣、警察トップに女性を起用した。「豪腕」とはたぶん、こうした人のことを言う。

自身、投獄された経験があり、その姿勢は「非暴力」に根ざす。「非暴力は人間に委ねられた最大の力である」とガンジーは言った。現職政治家ゆえ毀誉(きよ)も褒貶(ほうへん)もあろうが、現実を変える手段としての非暴力のパワーを信じたい。

ノーベル平和賞は栄(は)えある賞ながら、逆説的だ。不幸や不条理が大きいほど賞は注目され輝きを増す。受賞3女性の「銃なき闘い」が、平和賞不要の平和な世界につながるよう願う。