銀杏の天日干し
先月の中頃に、JRの横須賀線安浦駅で友人と待ち合わせをした。ロータリーに車を停めた。待ち合わせの時間には、間があったのでホームに通じる階段の上がり口のトイレに向かった。ロータリーには、バスの発着場所やタクシーの乗降のコーナーがあって、並びにイチョウの樹木が立ち、銀杏(ぎんなん)が路面に落ちていることに気づいた。
ここで、銀杏とは言っているが、正確には銀杏が入っているイチョウの実が落ちていたってことなんだ。銀杏はイチョウの種子だ。
こういう状況に私が身を置けば、私がどのような行動をとるかは、私のことをよく知る人ならば、おおよその予想はつくだろう。そう、その通りだ、、、、私は拾い出した。客待ちのタクシーの運転手は、私の行動に少しも関心を示さなかった。拾い集めた銀杏は、50個程だった。
会社に持ち帰って、駐車場の隅っこのバケツに入れて、次の手を考えていた。
そして、4、5日は経った。電気代とガス代を支払いにコンビに行く道筋、会社を出て、相鉄線の線路を越して、帷子川にかかる古町橋を渡った所から、イチョウの大木が街路樹とし道路の両側に10本程並んでいる。やはり、此処にも、また銀杏が歩道に落ちているのに気づいた。この状況では、この男の行動はもうお決まりのパターン。残念なことに、先日の銀杏よりも、二(ふた)周り小粒だ。
安浦駅で拾った銀杏の処理のことも考えると、ここで拾うのは必須の行為だ。
会社の前にあるスペースで、バケツに水漬けにして果肉の腐るのを待つことにした。臭(にお)いが臭(くさ)いので、社屋内に持ち込むことを躊躇した。この類の行動を極端に嫌うスタッフもいるのだ。当たり前だ。嫌われるようなことは、できるだけ避けること、これ、長生きするための知恵なり。
家庭の食卓や飲み屋のテーブルに並んだ銀杏は、このように果肉に包まれた種子の中身なのだということを、知らないスタッフもいたのには驚いた。
そして、本日20111004、水漬けにしておいた銀杏を腐りかけた果肉を握り潰して、取り出した。その際、ゴム手袋を着用した。かって、20年程前に、素手で生の銀杏を触って、手の皮が剥(む)けたことがあったからだ。経験が否応なしに人を物知りにさせるもんだ。そして、日向に干した。
本日の作業はここまで。焼いて、食うのはしばらくお預けだ。
ところで、イチョウは、漢字で公孫樹と書く。不思議な漢字が並んだもんだ。