2017年10月16日月曜日

五代友厚と安倍晋三?

20171015の朝日新聞の編集委員・曽我 豪氏の
「日曜に想う」 「衆院選 ソップが教えること」を読んでいて、私にとってはどうしても興味のない今回の衆院選について、教えられることが多いにあった。
それで、机の中に仕舞ってあった新聞記事や、私が思いついたことをここに書いた。
今回の選挙では、何だかんだと、吾輩の頭はついていけないのだ。

その記事とは。
この政局でも明らかになったように、相手の非論理性をたたいて力をそごうと願えば、ブーメランのごとく己の非論理性が問われる。背中の袋や自分の運命が見えなくなるのは常道ではない形でたたきのめそうとするからだ。
結果残るのは政党政治そのものへの不信だけだ。

やられたらやり返せはまだある。

自身の疑惑と改憲戦略をリセットするため、政権が時ならぬ解散に打って出たのは確かに常道でなく奇策だ。
ただ、それを逆手にとり、「一強」打破だけを旗印にこれまでの政治路線や政策を度外視して新党へ走り走らせようとしたのも同じく常道ではない。
排除の論理を他人に課す者はやがて皮肉にも、自らが排除の論理にさらされる日が来るものだ。

選挙は結局勝てば官軍だと身もふたもないことをいうなら、普段の政治論議の積み重ねなど意味がない。
有権者が審判の力を発揮できる政権選択選挙が刹那的な瞬間芸で決まっていいはずもない。わが国のことわざにもあるではないか。

人を呪わば穴二つ。

この選挙で政党政治の姿が大きく変貌する可能性が出てきた。
安保法制体制を支持し改憲を志向する保守と異議を申し立てるリベラル。
とりわけ保守は、複数の党に分かれ、公明党という中道を抱えつつも、総体として3分の2を大きく超える新たな力を得るかもしれない。
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ここまでが、20171015の「日曜に想う」だ。



20171014の毎日新聞の記事と、高校時代に習った日本史の一部を思い出したり、現在の衆議院選挙のはじまりの一コマを考えさせられたり、勉強になった。


衆院選、改憲加速かすむ論戦  護憲派の候補者は語らない
毎日新聞14日発信。
今回の衆院選の始まりから、現在の各政党の状態を告げている。
憲法が争点の一つとなっている今回の衆院選。
自民党は自衛隊明記を掲げ、公明党は加憲の立場、希望の党、日本維新の会も改憲論議に前向きだ。対して、立憲民主党は安保法制を前提とした9条改正に否定的で、共産、社民両党は改憲に反対する。
改憲に肯定的な勢力が国会発議に必要な「3分の2」を維持すれば、選挙後に動きが加速することも予想される。
護憲派の市民団体は危機感を隠さず、改憲の必要性を訴えてきた団体は歓迎している。
五代は、日本近代市場成立の立役者として、「東の渋沢(栄一)西の五代(友厚)」と並べ称されてた。五代は維新後壊滅状態に陥った大阪経済界に、近代市場システムを導入し、再び発展させた。

先ずは、天声人語に出てきた五代友厚とは。
先生からは、この人は経済人としては並み並みならぬ御仁でしたが、教科書には触れていないので、後日、君たちは機会に恵まれて、このお人のことを知ることになるでしょう、と言うことだった。
今から55年前の高校時代の日本史の授業でのことだ。
そして、五代友厚が成し得た事案が、与党の党首として今闘っている衆議院選挙に入るまでの安部信三首相の仕事に、余りにも似ている部分が面白く表記されていたので、爆笑してしまった。
森友学園や加計学園問題だ。
問題になっている詳細については、みなさん、よくご存知のことだ。
経済人としては立派な人だったけれど、人にはいろんなことがあるもんだ。
褒章人の裏側には、人さまには話したくないことや、話せられないこともある。裏側の事件には、本人の五代友厚以外に、大隈重信がいたり伊藤博文が活躍する。
大隈氏には学校でお世話になった。お陰さまで、一人前にさせてもらった。
伊藤氏は、学校を卒業して入社した会社の所有物の滄浪閣の御主人さまだった。伊藤氏の別邸だった。
私は大磯のプール・ホテルを経営する会社の社員だったので、よく仕事にでかけた。原宿の本社に転勤になるまで、大磯地域で3度夏を経験した。
住んでいたアパートは海の傍、会社が経営していたゴルフ場の直ぐ近(ちか)くだった。
日露戦争後、初代韓国統監となったが、ハルビンで韓国の独立運動家の安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。国道1号線の大磯駅の傍に、統監という交通信号がある。


この裏側というのは、開拓使官有物払い下げ事件のことだ。
北海道開拓使長官の黒田清隆が開拓使官有物を同郷薩摩の政商五代友厚らの関西貿易商会に安値・無利子で払い下げることを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、払い下げ中止になった。
1881年(明治14年)、明治十四の政変のきっかけとなり、伊藤博文が大隈重信を政府から追放した。
黒田長官は、事業には私利で動かない官吏出身者であるべきだと主張し、事業が赤字であったことを理由に、非常な安値をつけた。
払い下げの対象は、船舶、倉庫、農園、炭鉱、ビール、工場などで、およそ1400万円の費用を投じたものを39万円(無利息30年賦)で、払い下げることになった。


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天声人語(20171014)

五代友厚と聞くと俳優ディーン・フジオカさんが浮ぶ。昨春まで放映されたnhkドラマ「あさが来た」の印象はいまも濃い。大阪に造幣局や商工会議所を設立した近代大阪経済の父である。

その批評が地に落ちたことがある。明治14(1881)年の開拓使官有物払下げ事件。政府が10年で国費1400万円を投じた北海道内の工場や鉱山など一切を売却し、五代のかかわる新会社が一括38万円で買い取る手はずだった。無利子の30年賦という便宜もついた。

開拓使長官は五代と同じ薩摩出身。新聞2紙がこれを暴く。薩摩・長州勢が牛耳る政府に対し、「国家の私物化」だと怒りが広がり、藩閥政治を倒すべく国会開設を求める声が高まった。薩長政府は五代側への払い下げを断念し、10年以内に国会を置くと誓う。

だが薩長もしたたかである。「新聞にリークした」とみて実力者大隈重信を同じ日に罷免する。これで薩長が政争を制し、支配を強める。

古い話をくだくだしく書いたのは、いまの政局に重なって見えるからだ。始まりは国有地の廉価売却。メディアが批判し、野党が追及した。困った首相は衆院を解散する。一強政治に陰りが見えたが、いまや「自民が単独過半数の勢い」。各紙の調査結果に驚く。

「仮令(たとい)失敗しても産を空(むなし)くするも、国家国民を幸福ならしむることを得ば余が望(のぞみ)は足れり」。五代は北海道の将来を見ていた。政府の開拓事業は軒並み赤字だったという。そこに五代ならではの義侠に似た志を感じる。