2012年4月21日土曜日

熊だって、自由になりたい

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20120421朝日・朝刊より。飼育施設から逃げ出し、射殺されたとみられるクマ。20日午後2時ごろ、猟友会員一条保さん提供

20120420 秋田県鹿角市八幡平の秋田八幡平クマ牧場で、熊が飼育施設から逃げ出して、女性飼育員2人を襲った。襲われた2人は、咬まれて即死という不幸な出来事だった。熊が、人間に牙(きば)を剥(む)いた。積年の恨みか?反逆に出たのでは、と直感した。

逃げたのは34頭のうちの6頭、敷地内の6箇所にある飼育施設のうち最大の施設で飼われていた。高さが4,5メートルほどの塀に囲まれているが、屋根はなく、雪が塀の上部付近まで積もっていた。この積もった雪の表面には熊の爪跡が残っていたことから、熊は、ここから、塀の外へ出たようだ。6頭は、地元の猟友会員に射殺された。

このニュースを聞いて、以前に考えていたことを思い起こした。

先ず、何で、クマ牧場なるものがあるのだろう?との疑問だ。

ちょっと前に、孫とよこはま動物園ズーラシアに行った。そこでは、生まれも育ちも違う動物たちが、なんとか、生まれ育った環境を再現して、自然のままに過ごせるような工夫を凝らしていた。それでも、当然、無理はある。

動物を檻の中に閉じ込めることは、動物の立場から考えれば、虐待されていることになり、人間が動物らを虐待しているのではないか、と考えるようになった。でも、それ以上は考えなかった。

そこに、今回の事件が発生した。

事実、今回、惨事があったクマ牧場の熊には十分な食糧を与えられず、雨露をしのぐ屋根もない悪い生活環境だった。第一、熊は集団生活を嫌う動物なのだ。熊たちには、相当なストレスがあったはずだ。

熊だって、望みもしないのに、見世物として、こんなコンクリートの塀の中で飼われたくない。おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんと一緒に、生まれて育った山野でのんびり暮らしたかった。そして、自由になりたい、自由に暮らしたい、人間による拘束から逃げたくなるのが、自然ではないのか。

咬まれて亡くなった人には気の毒だが、こんな施設を作って一泡吹かせてやろうと思った人こそ、熊に咬まればよかったのに、と言えば、私は善くない人間なのでしょうか。極端な言い方をしているのかもしれない。が、人間の都合で、動物と言えども拘束することは良くないと思う。このような施設がなくなること、作らないような気運が発生することを願う。

友人にこのような意見を言ったら、子どもを動物園に連れて行って、檻に入れられている動物を見れば、このように虐待するのが当然のように思ってしまうかもしれないよと言われた。それも一理ありだ。

近年、生(なま)血を一瞬に凍らせるような少年による凶悪事件が度々起こった。この少年たちの犯罪の兆しは、始めのうちは小動物の虐待で表れる。私の恐怖する白昼夢が、これ以上広がらないで欲しい。

キーボードを叩き終えたところで、サーカス団にいる動物たちのことに思い当たった。来月8日に、孫と二人で、小沢正原作のお芝居「目をさませ、トラゴロウ」を、練馬のブレヒトの芝居小屋に観に行くことになっている。その本の中のサーカス団の動物たちは、サーカス団の関係者から虐待を受けて、なんとか逃げ出して自由になった。

望みもしない衣装を身に纏い、スポットライトを浴び、人間さまの拍手や喝采を受ける動物たちは、鞭と飴によって強制的に鍛え上げられる。鮮やかな曲芸を、あなたは楽しめますか? 私にはどうしても楽しめない。