2012年4月24日火曜日

初めての拘置所訪問

20120424 横浜拘置所で総合受付の前に立ったのは、10:08頃だった。

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弊社が保有していたアパートの元住民が、刑事事件を犯して、横浜拘置所に勾留されている。その彼に面接してきた。彼はナイジェリア人だ。アパートの部屋にあった荷物は、弊社の地下室に一時的に預かっている。預かっている荷物の中の靴の中に、お金を忍ばせてあるというので、刑事裁判を担当した弁護士立会いのもとに探したら、彼が言う通り、靴の中から、お金がでてきた。

一万円札数枚と、100ドル紙幣数枚だった。

このお金を本人に渡したくて、横浜拘置所に行った。初めての単身での拘置所入りだ。場所が場所だけに、ちょっと緊張気味。

総合受付のオジサンはいかにも拘置所の受付らしく、ぶっきら棒だった。面接カードに必要なことを書き込んだ。携帯電話は持っているかと聞かれ、持ってますと答えたが、それ以上何の指示もなかったので、持っていますがどうすればいいんですか?と聞き返したら、聞かれたことだけ答えればいいんだ、とのことだった。

そこのボックスに携帯電話を入れて、鍵は自分で持っているように。

こっちに来なさいと言われ、敷地内に歩を進めた。飛行場で行なう搭乗前のボディチェックと同じことを、全身、前から後ろから、何かの探知機を当てられた。カバンの中もチェック。このオジサンは、俺を犯罪人と同じ扱いをする、実に不愉快だった。

大学を目指して40余年前に上京する前夜、母は私に忠告した。実家はお兄ちゃんが頑張っているので、偉くならなくてもいい、お金持ちにならなくてもいいが、警察のお世話にだけはならないでくれ、と。以来、お縄頂戴的な行為には、手を染めていないし、足を踏み入れてもいない。

あなたは、此処、初めてか?と聞かれて、びくびくしながら、ハイっと答えた。

敷地内を奥の方に移動して、いよいよ本格的に面接の受付をした。受付の反対側には、差入用の品物の売店があった。売店と言っても、60センチ角の窓口があるだけで、品物が店先に陳列しているわけではない。多分、この売店で買える品物は限定されているのだろう。

受付窓口の横の壁には、面接者に対する注意書きが張ってあった。手真似合図をしたり、暗号や隠語を用いないこと。共謀やあおり、そそのかしをしない。ビデオやカメラ、パソコン、録音機能付きのラジオ、危険物、動物を持ち込まない。外国語を必要以上に使わない、などなど。

他に、許可される未決差入品と受刑者差入品が別々に書いてあった。違いは判らなかった。未決とは未決囚のことだろう。

面会3号室に入ってください、と案内された。メモ用紙の持ち込みの許可を得た。透明ガラスを挟んで、私と元住民は対峙した。元住民側の部屋の広さは3畳ほど、斜め後ろに刑務官がメモ用紙を膝に置いて控えた。物を置いたり、書き物ができるように、20センチ幅のテーブル状の台がしつらえてあった。ガラスの下部には、10センチの幅で穴が適度に空いたボードがはめられていて、その穴から互いの声が聞こえる。

元住民は、私の顔をよく憶えていて、懐かしく思ったようだ。

此処に来た目的の伝えるべきことは、見つけたお金を此処に持ってきたこと、いつか、君の手元に届くだろう、ということだった。体に気をつけて、刑務官の言うことを、ちゃんと聞くんだぞ、と先輩らしく注意した。

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面会を終えて、差入れの受付に行った。差入れの品を書くカードを渡された。差入れするのはお金で、一万円札数枚と米ドル紙幣数枚だった。ここから、拘置所の対応が腑に落ちなくて、此処に書き留めて置きたくなった。それほど、不思議なことが続いたのだ。

差入れの品が、お金と物品によって、カードが違った。ここで、先ず驚かされたのは、此処では日本のお金はお金として預かりますが、米ドル紙幣はお金としてではなく、物品としてお預かりすることになります、とのことだった。

へえ、そうなんだ! ここでは米ドルはお金ではないんだ。

私が差入れた一万円札数枚の領収書だけは呉れた。上に貼り付けてあるのがそれです。宛先は山岡保、発行者は、横浜拘置支所歳入歳出外現金出納官吏 所属出納員、担当者の名前はなかった。領収書でなくて預り書でいいんでは、と言ったが、これでいいんです、とのことだった。

何で、領収書なんだろう?

そして、米100ドル紙幣数枚の差入れには、お金ではないので、領収書は発行できません、だった。でも、私は預けたのだから何らかの書類を貰っておかないと、後々貴所が受け取っていません、なんてことが起こったら、私はどうすればいいんですか、と食い下がった。せめて、私が書いた差入書の写しだけぐらいはくださいよ、と言っても、そんなものは出せません、とのこと。

受け取ったことを証明する書類は、発行しないし、コピーもくれなかった。

こんなことって、民間会社間の業務の世界ではあり得ないことだが、担当官たちは誰も、至って冷静だった。私は、よく解らない日本円だけの領収書しか貰えないまま、帰ることになった。