2012年4月11日水曜日

ピナ・バウシュ

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20120224の朝日夕刊文化欄より

 

20120411、財布の中の領収書を整理していたら、入場券がでてきた。

20120325の日曜日、開映19:20、指定席H-13、映画館はヒューマントラストシネマ有楽町。割引 1400円とあった。

題名は、「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」。

監督はヴィム・ヴェンダース

3D映像だった。

確かこの日は、経営責任者の中さんと、あっちこっちの中古住宅を見て廻って、最後に江ノ島の近くの海岸沿いのマンションに車で向かっていた時だった。夕日が沈みかけていた。友人からの携帯電話は、横浜駅界隈の焼き鳥屋で一杯やらないか、との誘いだった。この時間の酒の誘いは、条件反射で応じるようだ。パブロフの犬より反射的、否応なしだ。

マンションを見終わって、中さんには、すまないが仕事はこれまでにして辻堂駅まで送って欲しい、と頼んだ。そして、電車に揺られながら、ふと思いついたのが、ビールを飲む前に、二人共通の関心事であるピナ・バウシュの映画のことだった。二人が揃うのは、そうそうあるわけではない。実に久しぶりだったのだ。

メールで、急遽、酒を飲む前に、ピナ・バウシュの映画を観に行こうと連絡すると、オッケーの返信が間もなくあった。

映画が来るのは、去年の年末に、映画の興行会社の社長さんから知らされていた。ピナの映画の興行権を取得したとのことだった。その際、私とピナとの長いお付き合いを披露させてもらった。社長さんは、弊社の好(よ)き理解者で、何かとアドバイスをくださる。

JR有楽町駅で、19:10、友人と合流。腹が減ったまま映画館に入った。

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映画では、今まで観たプログラムが組み込まれていて、又、新たに感動した。でも、本物を、実物を、目の前で見た者には、少しばかり物足りなかった。そんな感慨を友人に漏らすと、当たり前だろう、と二言を継(つ)がせなかった。3Dで、かつ接写されたものは実に映画的で、それは別の意味で楽しめた。

人聞きなので未確認だが、ピナ・バウシュは、2009年、ガンを告知されて5日後のこと、舞踊団の新しいスタジオが完成して、その祝賀会の夜に亡くなったと聞いている。なんちゅう、散り際の清らかさよ。

映画の中の映像や、使われていた言葉は頭に残っても、この映画の鑑賞感想を、文章にできるほどの筆力を持ち合わせていない。

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踊り続けなさい、自分を見失わないために。

 

ピナとは何者だ、、、魂の奥まで見つめていた

彼女には、小手先の踊りなど、全く通用しなかった

五感を揺さぶり、肉体を刺激し、心を裸にする

悲しみ、怒り、泣き、笑い、そして叫び、彼女の手にかかれば、言葉など要らなかった

悲しみも喜びも、全て解き放す、、、

愛されたい衝動が、体を動かす、、、

私は信じたい、、、ピナは全てを置いて自由になった

 

20120224の朝日新聞、夕刊文化欄にこの映画について、映画評論家の中条省平さんの小論が載っていたので、これをマイファイルさせてもらう。

シネマ万華鏡

Pina

ダンサーの肉体 鮮烈

ピナ・バウシュはヴッパタール舞踊団を率いたドイツの天才ダンサーだ。監督ヴィム・ヴェンダースはピナの舞台の記録を3Dで撮ることを決意する。だが2009年、撮影開始2日前にピナは急死する。本作は、彼女の不在を乗りこえて、ヴェンダースが実現した独創的な舞台芸術のドキュメンタリーである。

今や3Dにも食傷気味だが、単なる見世物効果を追う多くの映画と違い、この作品の3Dには目を見張った、舞台に深い奥行きを作り出し、そこを縦横に動き回るダンサーたちの肉体を異様に鮮烈に捉えているからだ。ここには現実を超えるリアリティがあるといいたくなるほどだ。

クライマックスは「フルムーン」という舞台を再現した部分で、この作品では現実の水が大量に使われるのだが、役者の動きに、舞台装置、照明、カメラの移動、そして水の輝きが渾然一体となって絡み合い、実際の舞台を見てもこれほど生々しい物質的感触は得られないだろうと思う。

3Dの効果はそれだけではない。ピナがいないため、各々の役者が彼女の思い出を語るシーンが重要な役割を占めているが、その役者の顔と表情が3Dで恐ろしいほどリアルに迫ってくる。こうした静的な画面で3Dが大きな効果を発揮することを示しただけでも、本作の存在価値は高い。

ただ、作品の焦点が、ピナの舞台の再現、ピナの人間性の回想、ヴッパタールの活動の紹介、ダンサーの個人芸の提示に分裂して、映画としての統一像を結ぶに至っていないのも事実で、その点、ピナという中心の不在が響いている。

また、戸外の風景を3Dで撮るとすべてお伽噺のような非現実感が出てしまうところも気になった。ともあれ、映画の未来を考えるファンには必見の一作だ。