日経新聞のスポーツ欄に元西鉄ライオンズ、現在は野球評論家の豊田泰光さんの記事を読んで、ホッとした。
米大リーグのレンジャーズの投手として初登板したダルビッシュ有投手が5失点ながらも初勝利をあげた。グラウンドを去るダルビッシュに、本拠地のファンはあたたかく、「デビュー戦としてはよくやった」とそんなニュアンスの拍手で見送った。
ところが、本人の心境は、こんな投球ではファンの期待に応えたことにならない。内心、忸怩(じくじ)たる思いがあったのだろう。5失点では面目ないと、自らの投球の不甲斐なさを悔いていたのだ。送られたファンの拍手に頭を上げて、手を振って、帽子を脱いで応えることができなかった。自分自身に納得できなかったのだ。
対戦相手のマリナーズのイチローがダルビッシュの後ろ姿を見ていて、気持ちはよくわかる、と同感していた、と他紙で知った。
もう一人は、ヤンキースの黒田博樹投手だ。開幕戦で9回途中まで無失点に抑えての降板に、観客席から賞賛の喝采を受けた。が、本人は「ワールドシリーズの最後の試合なら考えたかもしれないが」と言い、反応なく無表情でベンチに下がった。
ところが、二人の投手のことを新聞記事になった日の翌日のことだろう。06:15ころ、ニッポン放送の「朝ラジ」のパーソナリティー・高嶋秀武さんが、ダルビッシュや黒田に対して、新聞記事を根拠に、礼儀知らずだよなあ、日本人はどうして、こうなんだろう、黒田もそうだよな、なんで、観客に頭を下げて、応えられないのだろう、と力を込めて、喋っていた。下手なんだよなあ、表現するのが、と追い討ちをかけていた。こんなに応援してくれた観客に、何らかの感謝の表現をしないと失礼になる、とでも言いたいようだった。
この時間はいつも朝めし作成中、ニッポン放送を聞いている。
私は、この高橋秀武さんのコメントに違和感を感じた。本人が自分の投球に納得していないのだから、ええじゃないか、嬉しかったら喜ぶし、悔しかったら悔しい振りをするのが当たり前で、彼らは、嬉しくも何ともなかったのだから、ぶっきら棒だったのだ。それでええやん、ケ。選手には選手の思いがあって、観客は観客の思いがある、それで、ええやないか。
この放送があった日から数日後、201204??の日経新聞、スポーツ欄『”チェンジアップ” 帽子を脱がない覚悟』で、豊田泰光さんが、私の考えていたことを文字にしてくれていた。
この豊田翁とは2年前に、某生保の顧客招待会で、同じテーブルでご一緒したことがある。中西太や稲尾和久、面白い話をいっぱいしてくれた。お茶目な好々爺だった。彼の口から出る全ての話が興味深いものだった。
無愛想にみえようが、あれでいい。「俺はこんなものじゃない」という気持ちがあれば、ちょっとやそっとのことでは喜びを表さなくなる。それがプライドだ。
サンケイ時代に2試合連続で代打サヨナラ本塁打を放ったときは正直、私もうれしかった。しかし、あまりはしゃいでは安くみられるので、1人で飲みに行き、安い酒を注文した。「シャンパンで祝杯をあげたらしい」などの噂は必ず漏れ伝わるものだから、用心した。他人からみたらどうでもいいようなところに、プライドはある。
プライドを保つには日ごろの生活態度も重要で、あまりぺこぺこしては駄目だ。新人の年も、私はグラウンドの中でほとんど帽子を取らなかった。巨人の川上哲冶さんに会ったときも「こんにちは」と言っただけだったと思う。
先輩から「挨拶するときは帽子くらい取れ」と言われた。「それでヒットが打てますか。打てるなら先輩だっていくらでも脱ぐでしょう?」と言い返してやった。
妙にぺこぺこするやつが同期の仲間にいた。「おい、あの先輩にはさっきも挨拶してたぞ」と注意することも再三だった。その選手は2、3年でユニホームを脱いだ。シャッポを脱がないのにも意地と覚悟が必要で、そんなところから戦いは始まっている。