こんなことでくたばっていて、何かいいことでも在るのか?
これから、2度目の日誌をつけることにする。1誌目は工事用の事故で意識朦朧となり未来永劫なくなったと諦めていた。が、担当医者は真面目な人だった!! 病院は横浜市麻生区にある病院だったが、その後は神奈川区の病院に転院した。
お父さんほど気長で気高い糞親父はいないよと、叫ぶ息子と娘たち。
貴方ほどのイジョウブさを見せたのは、、、、、、永く付き合ってきた妻の嘆言。
今までのジジイの迫力には、バックレそうになったぞ!と、孫たちの逸言。
転院して意識が少しは戻り、やっとのことで、その当該事件が何処であって、どのように発生したのか? 何もかもが解からないでは、済まされめ! 妻からジャッカン聞いてみたので、ここにそれを原稿に利用した。
自分が勤めている会社や自宅から、大きく離れた処で生活することになったら、この俺様はいったい?どうなっちゃうのかな?ICUに入っていた時は、手足が余計な動きがしないように、鍵のようなもので締め付けられた。流動の食事さえも与えられなかった。運動は禁物なので、体重は減るに減った、70キロ近くあった体重が56キロまで減った。何につけても口五月蠅(うるさ)い私は、医師の言われることに対して、何でもかんでも、口答えしたようだ。五月蠅いお客だったのだろう、病院からの規制は大きかった。
☆2014 6月22日の夜。
私が療養中の病院の管理職の人が、私と何らかの工事事故に関係ある人に深夜挨拶に行った。その何らかの関係というその何らかが私には解からない。翌日、その病院関係者から、あの人には何らかのことをしなくてはいかんなあ!と話しかけられた。一体全体!何が、あったというのだ!
その人は、毎日2回は口ズサミをしているそうなので、何かをプレゼントしてあげなくてはいかんな、なんて話していた。もしかして、私にだって、孤老の身の生活だってあるのだ?その時には懸命に生きて見せるぞ。
もしか、後方(こうしゃ)に何か(悪事)が発生すれば、先方にこそ何か怨みがありそうだ。その際には裁判が必要になるのだろう
☆6月25日
看護婦さんから、「山岡さん、早朝の生体検査と尿の検査をしたいのよ。ワールドw杯ブラジル大会の連戦を、TVで観たいでしょ? サッカーファンの山岡さんらしくないのが、不思議だ?と声が聞こえてきた。私の大学4年間、その後、その後のことを知ったから、俺のサッカー一途を笑っているのか?
それから、数日後に転院した。
ところで、今お世話になっている病院とは、どんな病院なのか、病院内に置かれてあったパンフレットから選んで書いてみた。
新横浜リハビリテーション病院
〒221-0864
神奈川県横浜市神奈川区菅田町2628-4
電話 045-474-5511
この病棟のご案内というパンフレットからその病棟を紹介する。
ところで、今回の私の事故は20140515の何時のことだったのだろうか? 病院を退院できたら、まずそいつを確認したい。どのように事故は起こったのか。ICU機能が完備されている病室に10日間ほどお世話になっていたので、さどかし具体は悪かったようだ。救急車が来て、警察までもが参加して、この病院に決まったらしいのだ。
そんなことを考えながら、転院先の病院で、長山靖生(ながやま・やすお)氏の著作した「日本人の老後」(発行所・新潮社)読んでいた。今後の私にとって重要なことになりそうな文面を見つけたので、ここに付けておこう。20年ほど前に、いつかやってくる私の老後のために、必要になるだろうと思ったのだろう。
井原西鶴(1642~93)は「世間胸算用」のなかで「五十の分別ざかりに家を納め、惣領に万事をわたし、六十の前年より楽隠居して」という生活設計を、もっとも安定的で賢明なものとして取り上げている。