2006年12月19日火曜日

倚りかからず

数日前のブログで記した茨木のり子さんだ。


その茨木のり子さんの詩を一編、ここに紹介させていただく。何故、又、ここで茨木のり子さんなのかは、詩の後方の文章で、私の意図を解ってください。



 

 

恥ずかしいことなのですが、茨木のり子さんが、記した(人ベンに奇をくっつけた字)がPCでは、綴れなくて、止むを得ず『寄』の字を使わせてもらおうと思った。


そんなことしちゃ、私の詩?想はどうなっちゃうの、とあの世から降臨、怒りまくっていただけたら、私、この上なき幸せちゅうもんですが。


ところが、数日後、弊社の賢明なスタッフの小沢雅子から、「倚」の字を見つけ出す方法を教授された。教えてもらった。きちんと、茨木のり子さんの原文通りに綴れました。



 

 

倚りかからず



 

 

もはや


できあいの思想には倚りかかりたくない


もはや


できあいの宗教には倚りかかりたくない


もはや


できあいの学問に倚りかかりたくない


もはや


いかなる権威にも倚りかかりたくない


ながく生きて


心底学んだのはそれぐらい


じぶんの耳目


じぶんの二本足のみで立っていて


なに不都合のことやある


倚りかかるとすれば


それは


椅子の背もたれだけ




私が、茨木のり子さんを尊敬しても、尊敬しきれない、神々しい茨木のり子さんの毅然とした醍醐味を、皆さんも楽しんで?欲しいのです。「私の詩想を甘くみるんじゃ、ねーぞ」と、茨木のり子さん。


今、報道されている官製談合事件から、茨木のり子さんの詩を彷彿させたのかもしれない。知事の椅子に倚りかかり、いや、どっぷり椅子に埋まって、離れようとしない。逮捕されるまで、天地神明に誓ってそのような、天の声など発したことなどありません。福島、和歌山、宮崎の三県の知事は皆全く同じ様な発言を繰り返した。逮捕されるや、舌の根も乾きもしないうちに、ゲロちゃった。こんな知事に票を投じてきた県民の失望は計り知れないものがある。地方権力の象徴である知事の椅子はよっぽど居心地が良さそうだ。茨木のり子さんにとって、必要だったのは、背もたれだけだって、ヨウ

倚りかかる、と言えば権力以外にもあるのです。

言葉、文字に倚りかかった例です。著名な人が「冒険者」ぶった言辞をしたとする。ただの普通の人なのに、もうその人は冒険者になってしまうのです。1962年、堀江謙一さんが単独無寄港で太平洋をヨットでアメリカまでたどり着いた快挙を、あの東京都の現知事石原慎太郎が、この快挙に水を差した発言をしたことを、私は憶えている。余りの快挙に、石原は疑問視した。勇気の無い奴が余りの快挙に嫉視したようだ。その知事さんと言えば、日本の近海をうろうろ浮遊しているだけじゃないか、冒険を語るなんて資格が、「あいつ」のどこにあるんだ、と中学生時代に感じた。

知事の息子が、東京都から特別任務を委嘱されたが、実の無い成果の割りに、派手に公費をつかってくれた報道があったものだから、ついつい文章が長くなってしまった。

2006年12月14日木曜日

弊社は、何ごとにも、へつらうことなく、生きる

弊社は、立派な宅建免許業者です 。 

免許許可日は、平成18年5月3日


商号は、株式会社 アーバンビルド


業務に従事する事務所は、

      横浜市保土ヶ谷区天王町2丁目45番地32

神奈川県知事 (3)21757号  

社団法人 全日本不動産協会会員


社団法人 不動産保証協会会員



 

 

どうですか?皆さん。堂々とした不動産会社だとお思いになられましたか。


が、おかしな政治団体に、否応なしに、納得のいかない賛助金を支払わされている悲しい部分を抱えている会社でもあるんです。



今年10月に朝日新聞で報道されたことを、以前に私も同じ経験をした。余りにも一致しているものだから、此処に新聞の記事を転載させてもらって、広く世間の人々や同業者の反応を窺がいたいと、思いました。 

以下 2006年10月30日 朝日(夕)より



東京都内の不動産業者の6割が加盟する業界団体「東京都宅地建物取引業協会」(都宅協)が、新規加入者に対し、系列の政治団体への入会を事実上条件づけて賛助金を求め、その一部は自民党東京都宅建支部を受け皿にするなど不透明な形で集められていたことが分かった。東京都選挙管理委員会が公表した05年の政治資金収支報告書で明らかになった。本来は自主的であるはずの政治献金が、本人の自覚があいまいなまま集められ、処理されている実態が浮かんだ。~ここまで 朝日(夕)。 

弊社が宅建業の免許を取得する際にも、同じだった。免許申請の受付で、「黙って入会して頂いたほうが。審査はスムーズにいくと思いますよ。更新の際にもですよ」と言われた。ムカッツときたけれども、その時は、(商売したさ旺盛)で、矛盾に挑む意思は稀薄だったようです。少しはおかしいぞ、とは思ったのですが。何も行動を起こさなかった。恥ずかしい、ことだった。


今、又、この場で、怒りが蘇ってきた。


自民党が嫌いだとか、好きだとか言っているわけではありません。隠れたように仕組まれていることが、許せないのです。一番信頼されなければならない業種である、不動産業に関する関連団体が、ペテンまがいのことをやっていては、やっぱり、「不動産屋は信用できんわ」という事になってしまう。



私の知り合いの不動産屋さんは~「おかしいと思うよ、だけど、業界の慣例に従うしかないんだよ。狭い業界なので、何を言われるかわからん。近所の役員が、マア そう言うなよ、と説得にくるんだ。それも嫌だしな」 

私は、自分が創業した会社を、「開かれた、社会民主主義会社」にしたい、と思っている。左派の経済人でもありたいと、思っている。夜は、当然左利き(左党)ですが。


都宅協への入会、

 不動産業を開業したり、支店を新たに開設したりする場合、法務局へ営業保証金1千万円の供託が必要だが、都宅協に加入した上で全国宅地建物取引業保証協会(全宅保証)に分担金60万円を納入すると供託が免除される。このため、業者のほとんどが都宅協のような業界団体に入会している。

2006年12月13日水曜日

台湾代表監督 今井敏明君。君の活躍に期待する。

 



 

今井敏明は、早稲田大学ア式蹴球部(通称:サッカー部)の昭和52年度卒業生。高校は浦和西高校。学生時代は、ガッツある元気者で、硬い体でガツウン、ガツウウンとプレーする選手だった。大学では、私のほうが4年先輩だったので、同じ時期に同じグラウンドで一緒に練習したことはない。彼は私の卒業と入れ替わりに入学してきた。

でも、彼たちの学年は楽しい奴ばかりで、私は卒業後も彼らが4年になるまで、練習や試合をよく観に行ったものです。彼らは卒業後も、各界に華々しく活躍しています。奴等のキャラクターならば、当然のことのように活躍するであろう、と想像はできた。


結果、今井敏明以外、学校の先生は4人、教育委員会、大手医療器メーカー、老舗百貨店、酒醸造会社、スポーツクラブ、大学サッカー部の監督さん、大手食品会社、大病院の事務局、大手飲料会社、事務機器販売等で、各地で遺憾なく腕を振るっている。


卒業後、彼たちは1年に1度の試合を取り込んだ同窓会をあっちこっちでやりだした。今年で、30年は続いている。彼らに親近感を持っていた私と田中正親は、当然のように毎年参加している。


その今井敏明君が朝日新聞に大きく取りあげられたので、マイ・ポケットする。私とは随分、人生観、価値観、スポーツ観が違うのだけれども、今此処でそんなことを議論する余地はない。頑張っている今井敏明に、もっと頑張って欲しいとエールを送りたいのです。



 


2006年11月27日  朝日(夕)



監督武者修行 


午前7時15分。台湾中西部・嘉義市の中正大学の一角で、サッカー台湾代表の朝礼が始まった。1人の選手が話を始めた。周りは笑って聞いている。最後を軍歌で締めた。「うまいじゃないか。ちょうど3分9.時計を見た今井敏明監督(51)が言った。2人目は2分で話を終えた。通訳が内容を伝える。「1人目は、会社の上司に誘われ、飲みに行くのが好きになった話。2人目は人に言われるだけでなく、自分の意見を持つことが大事だという教訓の小話でした。8月から、3ヶ月間、大学の寮を借りて合宿をした。


毎朝交代で3分間スピーチを課すようになったのは、「選手に考えさせ、主体性を植えつけるため」だ。午前の練習は10時に始まった。ほぼ北回帰線上にある嘉義の気候は熱帯に近く、10月下旬でも暑い。長距離走の合間にパスの基本練習を行う。「ただ蹴るんじゃない!パスだ!」今井監督が叫ぶ。疲れた状態での正確な球扱いが目的なのに、集中に欠ける雑なキックが目立つ。こんな合宿は初めて。学食の中華料理は口に合うが、さすがに毎食だと「機械的に口に運んでいる」と、今井監督は苦笑する。ほとんどの選手にとって、今井監督は初めて出会う外国人。その存在を有効活用しようと、台湾サッカー協会が日程を組んだ。


かってJリーグ・川崎フロンターレを率いた今井監督は、昨年12月から台湾代表(当時世界ランキング156位)を引き受けた。就任後、アジアカップ予選はここまで韓国、イラン、シリアの強豪相手に5連敗。失点が計21も喫し、得点がない。選手は大学生中心に20代前半が多いが、世代交代を図っているわけではない。今井監督は「こうなっちゃうんだよ。台湾の選手寿命はとても短いから」と話した。企業チームは台湾電力と大同の二つ。軍のチーム、大学、高校を加えた短期の大会などを年に数度開くだけだ。脂がのった社会人がしのぎを削る場は少なく、仕事をこなしながら漫然とプレーするだけになる。「台湾の選手は目標を設定しにくい環境にある」と、今井監督をサポートする陳俊明コーチ(37)も語る。今井監督は、代表に招集した社会人10人から「メリットがない」と断られた。運動能力の高い先住民も「プロがある野球に流れる」(陳コーチ)と言う。サッカー代表には2人しかいない。ほとんどの代表選手隠れて喫煙するのを今井監督は知っている。向上心にも欠けるのだ。就任当初は1時間半だった練習を1時間に縮めたのは、集中力を高めるためのやむを得ない工夫だ。10月には若手2人を横浜マリノスの練習に2週間参加させた。海外で、刺激を与えるためだった。台湾協会には、選手が目標を持ち切磋琢磨できるよ、環境の整備を求めた。林徳嘉秘書長は「企業チームを増やせなくても選手がサッカーに専念できるよう、個人スポンサーは探せる。また県ごとに社会人、大学生、高校生の混合選抜チームを作って戦うリーグを来年から作る」と、改善案を示している。午後練習は4時開始。対人プレーで、守備の位置取りや、それを突破する攻めの動きを説く。鄭勇仁主将(29)には「一つ一つの練習が何のためかを考えさせられる」と新鮮に映る。11月15日。アジアカップ予選最後のシリア戦も0-3で敗れたが、台湾協会は来年の契約延長を希望する。「何としてもここで結果を出す」。生まれ変わろうとする台湾と走り出した今井監督の思いだ。

2006年12月10日日曜日

今、社員旅行中だ。グアムだってヨ

今、社員旅行中です。


 

当社では、毎年、12月初旬に社員旅行を行っている。直接の担当者は、この2 3年は若手の元気者だ。その以前には、(オジサンばかり)会社だったので、幹事は皆を驚かせる企画が立てられなくて、(まあ、しょうがないか)コースばかりだった。旅行社との、日程、行き先、費用、行き先での時間の過ごし方、を打ち合わせているその側で、聞き耳を立てるスタッフたち。楽しいことの打ち合わせは、私にも、心なごませてくれる。グアムに決めたようだ。


グアム島は、日本から約2,500キロメートルの距離にあり、飛行時間は約3時間余り。日本から一番近いアメリカです。


 

2006年12月8日~11日 3泊4日


滞在:パシフィック・アイランド・クラブ グアム


タモン湾に面し広大な87,000㎡の敷地に島内最大のウォーターパークがある。


 

私は、来年、アメリカにリフォームの勉強に行くので、今回は辞退した。


 

社員旅行の、全ての目的は社員の慰労である。仕事の事をすっかり忘れて遊ぶことだ。


会社負担は、社員は全額、社員の夫や妻は実費の1/2、義務教育期間中の子供は0。フィアンセ、愛人は全額個人負担。


 

私からは、大いに遊んで、楽しんできてくれることを、願うばかりだ。


行って、来おうい!!


 

後日の報告編をお楽しみに

2006年12月8日金曜日

茨木のり子さんの遺稿 来年詩集に

夫への愛 40編

気骨の人 別の一面




茨木のり子さんの遺稿が、来年詩集として出版されると新聞記事で読んだ。


よかった。嬉しかった。


忘れかけようとしていた、茨木のり子さんが紙面といえども私の前に再び現れてくれたことに、喜んでいる。


私は、大学生だった4年間、東京は武蔵野、東伏見のグラウンドを核に直径2キロメートルの範囲内で浮遊? 暮らしていた。



東伏見は、入学時は、東京都北多摩郡東伏見町だった。それから確か3年生の時に、東京都保谷市東伏見になり、現在は東京都西東京市だ。 

 

朝から晩まで、サッカー漬け生活だった。当時毎日といってもいいほど会っていた牛島孝之さんから、彼女のことを教えてもらった。牛島さんは、あたかも自分の恋人のように話してくれた。


(注)後日、牛島さんのことについて、記述する機会はあろうかと思われますが、今回は、素通りです。


「茨木のり子さんは、詩人です。何に対しても、端然として毅然、気骨の人。この人の詩にガ~ンとやられてからは、私は盲目的な読者になりました。時々、グラウンドにも現れるのですよ。私はそのことも気になって、毎日、ラグビーとサッカーを見に来ているんですよ」とも言っていた。


牛島さんから彼女の詩集を借りて読ましてもらった。その時は、唯、強い女性だと思った。


当時の私は、詩集を読むなんて柄に合わないと、ハナカラ決めてかかっていた。詩集を手にするだけで恥ずかしかったのです。何故って聞かれても、当時若者だった、私の心情は複雑でした。


それから、約35年経った。私の蔵書に茨木のり子さんの詩集は増えた。読後の感じ方も随分変わってきたように、思う。


その茨木のり子さんが、今年2月に79歳で亡くなった。


死を知った時、彼女の体の状態などお構いもなしに、もう茨木のり子さんの詩を楽しめないのか、と、咄嗟に不肖のファンは悲しんだ。私は恥じた、不埒な読者、詩不適確者かもと。




40編の遺稿が見つかった。「歳月」と題した詩集にまとめられ、来年2月の命日に出版される。夫と二人の世界、だそうだ。




2006年12月4日の朝日(夕)より


「新婚の夜のけだるさのなか


わたしは思わず呟いた


どちらが先に逝くのかしら


わたしとあなたと」 (『その時より』)



今年6月 東京都西東京市の自宅の書斎で、甥の治さんが「Y」と書かれた箱を見つけた。「Y」は75年に死別した夫・三浦安信サンの頭文字。中には錆びたクリップで留められた原稿の束があり、掲載順も記されていた。 

 

治さんが作品の存在を聞いたのは数年前だった。「なぜ生きているうちにださないの」と聞くと、(照れくさいのよ)と笑った。出版元になった花神社の大久保憲一さんには「最後の詩集はよろしく」とだけ、頼んであったという。


今年2月17日、茨木さんは友人に配る別れの手紙を用意したあと、くも膜下出血で亡くなった。


「本人にとって本質的なことはすべて、死ぬ前に肩がついていた気がします」。治さんはそう振り返る。


戦後の世のあり方を問いかけた代表作とは違い、(歳月)は安信さんへの思いや男女の心の機微を描く。安信さんが夢枕に立つ「夢」、夫が入院する前に最後の食事を囲んだ思い出の「最後の晩餐」、通勤路に足跡を見出そうとする「駅」。


大久保さんは「人間がこんなにも深い愛情を持っていて、それを惜しげもなく詩にできた才能に心を打たれた」と話す。


23歳だった茨木さんが8歳年上の医師だった安信さんと結婚したのは49年だった。私生活について多くを語らなかったが、取材に訪れた学生に「(自分の世界を持つことを)夫が理解してくれ、育てようとしてくれた。上等の男性でした」と話したこともある。安信さんを亡くした後は、共に過ごした家で、ひとり暮らした。


死後、寝室の枕元で小さな木箱が見つかった。何度も触った後があり、安信さんの戒名と「骨」が数かけ入っていたという。

2006年12月2日土曜日

樋口一葉の心意気


天声人語を読んで、筆者はうまいこと書くなァ、と感心した。5千円札の絵模様になった樋口一葉さんの人となりを、5千円札と他の札との使われ方の違いをもって、表されている。  

やっぱり、この記事も一つマイ・ポケットさせて頂こう。




以下 天声人語からの抜粋より


2006年11月23日は、二十と四年で世を去った作家・樋口一葉の命日だ。


短く、しかし強く生きた一葉の生涯をたどると、改めてその際立った心意気が思い出される。


「人情かみの如しうすく、~ 世はいかさまにならんとすらん~わがこころざしは国家の大本にあり」



「たけくらべ」では、吉原の遊郭という独特な場所の周辺に生きる人々の思いを見事に描き出した。森鴎外主宰の雑誌「めさまし草」の合評蘭に「たけくらべ」に関する一節がある。「この人の筆の下には、灰を撒きて花を開かす手段あるを知り得たり、~この人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」

22歳の年の日記にこう記した。


他の札と違って、5千円は札束にはなじまないようだ。使われる時も1枚だけのことが多い。一葉は、札になっても一葉か。それが、やや切なくもあり、あの心意気の高さにはふさわしいようでもあった。

2006年12月1日金曜日

私は、私の会社を、『社会民主主義会社』にしたい。

会社の財務内容がよくなったこと、これから5年間でやらなくてはならないこと。

                 
①     会社の財務を良くした方が、何故いいの?
何故、会社を良くしなければならないの?

会社がよくなったら、どうなるの?

誰のために、良くするの?

こんな疑問を、誰でも持つものです。

会社は、株主が出資した資本金を利用して、企業活動を行っている。利益をあげて、株主が出資してくれたお金に対して、配当金を支払い、税金を支払って社会還元する。

利益があげられないと、必然的に財務状態が悪くなり、株主に対する配当金が少ししか払えなかったり、全く配当金が払えないことになる。金融機関からの評価も悪くなる。そうすると希望する額の融資金が受けられない。資金不足に陥る。事業の展開が貧困にならざるをえない。やりたい事業をうらめしく眺めることしかできない。 当社のように、自己資金が少なくて借入依存度が高い会社は、内外における突発性の政変・経済の変化によって、市場が大きく揺れる、その時のリスクは高く、危険だ。債務を保証している私も不安だ。よって、会社は、どんなことがあっても、いい会社にするしかないのです。ほどほどに、なんてことは許されない。

*     役員(社長・専務・取締役)と株主と社員の相互理解を得ながら、社員にとっての会社《会社にとっての社員》、株主にとっての会社(会社にとって株主)の認識を深めたい。

②会社が良くなったら、社長、特に創業者は、会社をどういう方向に舵を取りたく思うのですか?


人によるが、世の社長はこういう事態に面した場合に、大体二通りの方向性を露わにすることがある。

《会社温存型》 自分の給料をほどほどに抑えて、会社に利益をどんどん上げさせ、株主には配当金、税金(社会還元)を支払って、内部留保金を増やそうとする。 会社を大きくして、沢山の人に雇用の機会を用意する。チャンスがあれば、上場を目指し、社員に上場のうまみを、味わらせてやりたいと思う。創業者、社員にとって、とにかく、会社の今までやってきたこと、今後やり通そうとしていることを、社会に認めてもらいたいと思う。会社は、永続するものだと考える。会社の将来と、自分の将来を見据えて、仕事に励む。会社の成長と、社員としての人間的成長を喜びとする。



《社長個人だけ温存型(身内もふくめて)》 社長を含めた身内のスタッフの給料を、会社に利益が出ない限界ぎりぎりまで上げる。結果、会社には利益が出ないようにする。 自分の女房か娘を、バカ息子を役員にして、給料を支払う。儲けられる時に儲けておこう、後の事は重要じゃない。個人資産を増やすことを第一に考える。社員を使い捨て感覚で使用する。給料体系を、フルコミッション、歩合給偏重になりがち。

*山岡は《会社温存型》を目指したい。 


 ③今、私が置かれている状況
以下 税理士の五浦氏の見解より A ,*氏・+氏の株式持分について、*氏は純資産価額方式、+氏は配当還元方式による評価であることに留意せよ。 

  B , 土地保有特定会社    現状では、税法上の大会社に該当するため、総資産に対して70%以上の土地保有率をもって土地保有特定会社となり、同族株主の株の評価が純資産価額方式に限定されている。 土地の保有割合を下げることにより類似業種比準方式を選択できる。

(注)当社は、不動産会社で、土地を仕入れて付加価値を付けて売却する。そのような事業展開を行っているゆえ、土地の保有比率を下げるわけには、いかない。

そこで*氏の株式の評価はどうなるの?上記のA Bにより、同族株主の評価、純資産価額方式によると前期末:@?円《1株》?*?=?円この数字を見て社員はどう思うのか、社長にとって、どういう意味があるのか? 社員は=ひぇー、それがどうしたの? 俺にとって、私にとって、何か、ええことでもあるの? 社長は=ヒャー、それどういうこっちゃ。 ????? それ、俺に呉れるの? なんか、ええことあるのか?

そこで、税理士の五浦さんの、コメントより。

「山岡さんが、ここで、何も準備も用意もしないで、死んだら、この???が相続税評価対象額になるのですよ。山岡さんの私財については、仕事柄知り得ています。全財産を処分しても処理しきれないでしょうね。奥さん、子供は家を追われるように出て行くしかない。このまま、やり続けていれば、会社は益々よくなり、社長が年を重ねていく。こんな危険なことはないですぞ」。

④今、社員が置かれている状況
社長の株式の評価が??? 俺には関係ない。そんなこと、知っちゃおらんよ、と思うのが社員各自の実感だろう。でも、じっくり考えたら、俺達社員が働いた成果でもあるんだよな、と思い巡らしてもいいのではないのか。社長は、社員からのそんな声を待っている。社長は、借入金の連帯保証を重ねる。この債務を背負うプレッシャーは、並みたいてのものではないことも、よく理解して欲しい。でも、山岡はちょっと変な部類の人間だから、会社運営の楽しみと苦しみを、チャラにして、それなりに楽しくやってるんだからええのだ、と割り切ってくれても、いいのだ、よ。 そこで、山岡は、この評価を、これまで頑張ってくれた社員、これから頑張ろうとしてくれている社員に、お裾分けできないか、と思い当った。でも、今のままでは、どうにも、何もしてやれないのが実情だ。 社員は、今後の取締役会で、社員の株主しての利益分配方式を検討するので、その検討結果が出るまで、待っていて欲しい。

⑤上場できたら?
上場しなくても、頑張っている企業は幾らもある。例えば、リクルート、サントリー、ロッテ、竹中工務店などがそうです。これらの会社は経営トップの強力なリーダーシップの下、株式市場から資金調達を行わなくても自らの生み出すキャッシュフローを基に事業拡大しています。また、「上場企業」という肩書きがなくても、これまでの実績から十分に社会的信用を得ています。私達の会社では、このような会社の真似はできません。よって、上場するしかないと考えている。上場するためには、どの証券取引所にも、上場実質審査基準がある。以下の通りです。このことは、本来、なにも上場の為に行うことではないことばかりなんだが。

1、企業の継続性及び収益性 2、企業経営の健全性

3、企業内容等の開示の適正性

4、その他公益又は投資者保護

について審査され、証券取引所が承認しなければ、上場はできない。

私の会社、私達の会社から、公器としての会社になるわけだから、高いハードルを越えなければならないのは、当然だろう。

社員に対しては、働くことにおいて、社員を守ること、会社が当然しなくちゃならないこと、備えなくてはならないこと、労使に対して、すごく緊張維持できる環境を整備しなければならないことが多いのです。

会社は誰のもの? の根源的質問についての、必然的解答は《上場を目指す》と結論を下す。

 
 何故なら、会社は良くなったけど、社員には具体的にはメリットがない。株主だって少しぐらい高い評価(配当金)を受けたところで、物足りない。会社の大発展の夢を実現したいと思っている、役員・株主・社員には欲求不満が募るばかりです。

この不満を解消するには、上場することが、一番手っ取り早く、直接効果のでる方法だ。

とは言え、上場を達成するには、今期、来期、再来期、その次の期、その次の期の次の期の、業績を計画通りに実行しなければならないのです。その強い決意を共有されなければ、実行は無理だ。社員のため、会社のため、社長のため、どんなことがあっても、上場するしかないのです。 上場できれば、会社、社員、株主にも、エエことがあるのですか? 問題は、ココなのです。

株式上場のメリット

・     財務面・資金調達の能力の強化・     知名度・対外的信用力の向上

・     社内管理体制の整備

・     株式流通性の向上、株式価値の顕在化、増大

・     従業員へのインセンティブ

株式上場の主な留意点

・     企業内容の開示義務、説明責任の増大

・     証券取引法、会計基準、その他法令への対応

・     事務量・経費の増加、人件費の増加

・     コンプライアンスの強化

社員に対しては~決められた株数を発行しなければならないから、前もって、社員持ち株会(山岡自身はこのやり方は、スカン)とか、何らかの方法で各社員に株を保有してもらい、その株の市場評価次第では、差益をゲットできる。ストックオプションなどで、会社が良くなれば良くなるだけ、株価が上がって、より以上のゲットが可能になる方式も検討してみたい。上場できたら、流通性のある株になるから、資産としても十二分だ。これが、大きいのです。これだけを目的に上場を目指す社もあるぐらいだ。当社はそんなアホな集団ではない。

上場すると、市場から資金が集められ、会社の財務的な運営は進めやすくなる。又、研究費、将来を見越した投資が可能になる。調達した資金を事業に投資することにより上場していない会社よりも成長のスピードをあげることができる。
全ての活動において、何事に対しても、ひるむことなく堂々と対処できる。(当社は上場できなくても、堂々とやってきたし、今後も堂々とやらなければならない)他社との業務提携がスムーズに進められる。 社員の募集がやり易くなる。いい人材が集まり易くなる。

⑥上場は通過点だ
社会的に認証され、益々公器としての役割が重くなる。だが、社会的に認められたといえ、最低限の基準をクリアーした程度に過ぎず、もっと高いステージでの活躍を求めてチャレンジしたい。我が社は、あらゆる情報を、根源的変革を視点に、最適利用を考え、加工し、高付加価値の環境創造をお客様に提供している。この活動のさらなる飛躍を目指している。

荒ぶる魂を持つ熱き若者たちが、雄叫びをあげて、勇猛果敢に前進するのだ。

私たちは、横浜で一番元気のいい会社だ