2008年4月21日月曜日

後期高齢者医療制度なんて、知らなかった。

後期高齢者医療制度が、05年12月に小泉内閣がまとめた医療制度改革案に盛り込まれて制定された、強行採決だったそうだ。
恥ずかしながら、3年間もこの制度のことを知らなかった。約1ヶ月程前に、対象となるお年寄りのもとに保険証なるものが郵送されてきたとか、お年寄りがその保険証を何かと間違って捨てた人が多いとか、届いてない人が多いとか、そんな報道がなされて初めてこの制度のことを知った。2年前に国会で議論されて可決されたいうではないか。福田首相が、後期高齢者医療制度という表現はお年寄りには失礼じゃないかと批判して、それならば長寿医療制度という言葉に置き換えよう、なんて新聞記事もあった。テレビはほとんど見ないで、新聞だけはきちんと読むようにしている私なのですが、実にお恥ずかしいのですが知らなかった。読み逃したのだろうか。新聞に出てた?と誰かれなく聞いてみたが、知っていたという人はいなかった。ただ、女房は知っていたよ、という友人はいた。友人は、女はしっかりしているわ、とも言っていた。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
そこで、新聞の記事から後期高齢者医療制度の概略を記しておこう(朝日新聞の朝刊と夕刊の「キーワード」をごちゃ混ぜに構成した)
75歳以上の高齢者を対象とする公的医療制度。約1300万人が加入する。医療費抑制を求める経済界の声を背景に、老人保健制度に代わって創設された。経済界の声とは、経済財政諮問会議の民間議員の医療への公的給付抑制を求める声のことだ。保険給付費の半分を税金、約4割を現役世代の支援金、約1割を加入者本人の保険料で賄う。保険料は都道府県ごとに設定され、老人医療費が高い都道府県ほど保険料も高くなるのが原則。給付と負担の連動が見えやすい仕組みを利用し、地域ごとに医療費増大を抑制させるのが狙いだ。天引きされるのは、年間の年金受取額が18万円以上で、介護保険と、この医療制度の保険料のあわせた額が、年金額の2分の1以下の場合で、対象者は約1千万人。全国平均で年額7万2千円程度。現役並みの所得がある人を除き、医療機関の窓口負担は従来通り1割。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
社会保険庁は、年金問題で炎症中で機能不全、重態だ。安倍内閣は脆く破綻して、福田内閣へと代わったが、社会保険庁に対する世間の糾弾は、日を追って厳しくなっている。そんな政情のなか、この後期高齢者医療制度のことについて、国民や特に対象者に詳しい説明がなかった。マスコミも、この制度の内容について、大いに取り上げたとも思えない。
この制度からは、批判が爆発するのが、自公連立内閣には十二分に解りきっていたのだと思う。だから、説明の機会を一切作らなかったのだ。
福田内閣の支持率の低下、不支持の増大は、どこまでも止まらない。今朝(2008 4 21)の新聞には福田内閣の支持率が25%と書いてあった。政府は意図して広報しなかったように思えてしょうがない。野党の民主党も国会の審議中は激しくやりあったのでしょうが、いったん法制化してしまえば批判の矛先を敵に向けるのではなく、あっさり諦めてしまったようだ。これも、情けない。
そして、先月、75歳以上のお年寄りに保険証が届いて、こりゃ一体なんじゃ、ということになったのです。
何故、こんなことになったのか?と私なりに推測するに、小泉が患っていた病の菌を、お調子者の安倍が保菌したまま政権を引き継いだ。
この病原菌の正体は?と、
そこで、この病原菌のことを文字で表すための文章が整理できなくて、キーボードを叩けなくなったのです。
また、ここで、数日が過ぎた。
昨日の朝日新聞(08 4 20 文化欄)に、政治家が政治家であるためには、こうでなくっちゃ、と思えるヒントになる文章に巡り合えたのです。「植草甚一は終わらない」のタイトルで、植草甚一の人となりが紹介されていた。古本にジャズ、ミステリー、映画も好きだった。今どきはそんなに珍しくはないが、70年代には「若者の教祖」と呼ばれた人である。私も学生時代、このマルチなおっさんが不思議だったのです。ヒゲをはやしたおっさんが、評論やエッセーや座談会で、平凡パンチやきちんとした評論集でも、文章や発する言葉は平易で新鮮で革命的だった。話題は植草甚一から、「暮らしの手帖」の花森安冶さんになり、編集後任の松浦弥太郎さんなった。その松浦さんが、この雑誌を「生身の人間に近い体温や感情をもった(媒体)にしたい。何に怒り、笑い、悲しむのか」、そのような雑誌にしたい、と言っていた。
ここで、話は元に戻る。
「生身の人間に近い体温や感情をもった(政治)をしたい。何に怒り、笑い、悲しむのか」と思った者が、初めてその人は「私は政治家なのだ」と、胸をたたけるのではないのか。
他人のことを思いやれる。他人の痛みをわかる者でないと、政治に身をおいてはいけないのではないか。
小泉から感染したこの病原菌は、安倍内閣で免疫力をつけ、増殖した。
小泉内閣のもとで、安倍晋一は幹事長として自民党内において力をつけていったその過程で、戦後レジームからの脱却とかいっては、若手右派の中川昭一等と「何とかを?考える会」を作っては、いやに威勢がよかった。中曽根康弘から、小泉、安倍につながる連中を、私はこのグループのことを日本の悪霊だと言っているのです。その前には、妖怪、岸信介がいたなあ。教育基本法を変えた。憲法の改悪を試みた。その「何とかを考える会」は、従軍慰安婦や沖縄戦争における集団自決においても、軍は直接関与した証拠はないとか主張して、教科書の記述を変えさせた。慰安婦問題に関して、村山談話や河野官房長談話を、目の敵にした。心ならずも慰安婦にさせられた人々の心、沖縄島民の心の痛みの理解に努めなかった。こんなことは、いつまでも許されることではなかった。今、世論はこの突出した安倍等の轍の修正に向かって進んでいる。私は日本人の良識を堅く信じている。
こんな連中が、また経済諮問会議の民間議員が案出したこの制度を法制化したのだ。
この後期高齢者医療制度には理念がない、何から何まで心がない。制度を立法化したのは、何のため? 命に関る重大な事案だ。私が今、見聞きする範囲内では、おかしい事だらけだ。老人を馬鹿にしている。金、金、金、財務状況優先したのか?。我々は、いかなる状況の人たちとも、相互扶助をして生きていかなくてはならない、ことをよく理解している国民だ。
この制度をできるだけ早い時期に廃止するように請願しよう、ぜ。昨日の新聞には、自民党内からも早速見直しを検討しなければならない、という意見がでているそうだ。ーーーーそれぁ、そうだ。