2009年2月26日木曜日

「不可触民」って、言葉にショック

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遠藤周作の「深い河」を読んだ。



遠藤周作の「深い河」を、何とかオフで金105円也で買った、そして読み終えた。この小説は、ある旅行会社が主催したインド旅行を舞台に、さまざま過去を背負った人々が聖なるガンジス河やヒンズー教の種々の神の像と向き合って、現在や過去の自分の内面を照射することを横糸に、縦糸は時間軸、キリスト教系大学で同級生だった男女が、男はひたすら神への信仰に向かい、ヨーロッパの教会を転々としながらキリスト教修道に務め、悩み、キリストの真の愛への求道に苦しみ、また悩み、女は車とゴルフの話しかしない夫との夫婦生活を捨て、ボランティアとして末期ガンで死期をむかえる患者の身の回りの世話をしていた。患者の夫は、輪廻転生の概念をアメリカの友人の学者から示唆されていた。世話をしていた患者が亡くなり、それを機会に仕事を辞めてこのツアーに参加した。その患者の夫も参加した。またインドの文化や文明とは縁のなさそうな新婚ギャルギャルカップルも参加していた。そして、同級生だった男と女は、インドで偶然出会うことになった。

久しぶりに出会った男の体は、骨皮筋ェ門状態。衣服は襤褸(ぼろ)ぼろ。なんとかガンジス河にたどり着いたものの、力尽きて路上や人目を避けた所で野垂れ死んでいく信者を見つけては背負い、火葬場まで運ぶことを日常の仕事にしていた。作家は、この男をマザー・テレサの「死を待つ人の家」のスタッフをイメージしてたように思った。

そんな登場人物が織りなす物語なのでした。

旅の終わり頃、インディラ・ガンジー首相が暗殺された場面がでてくるので、その事件は1984年だから、今から25前の物語になる。悠久の国、インドのことだから、25年前といえども、地方においては、今とはそれほどには変わってはいないだろう。IT産業で隔世の感ありの特別な地域もあるようだが、今稿はその地域とは表裏の地域でのお話です。いくら嘘つきの狐狸庵先生でも、物語で描かれているインドの当時の様子が、それほどの違い無く書かれているとすれば、私のインドへの関心はますます増大するばかりだ。

私は、ここでは、狐狸庵の小説「泥の河」のことに触れようとはしていないのです。小説は充分、私を楽しませてくれました。狐狸庵先生に、感謝。関心は、物語のなかに出てきたカースト制度の「不可触民」のことや、読後、別の書物で知ったことなのですが、その制度を撤廃して、差別禁止のインドの憲法を草稿したアンベードカル(博士・初代法務大臣)のことなのです。「不可触民」って、なんちゅう非日常の言葉なんだろう。字面(じづら)の異常さに、眺めてギョっとした。それと、ガンジーの限界のことについても。

ヒンズー教の指導者のマハトマ・ガンジーがインド独立の父と讃えられているのは周知のことだ。学校でもガンジーのことは教わった。カースト制度には四つの階層があって、それぞれの階層には名前があって、試験にはよく出題された。が、そのいずれの層にも属さないもう一つの層の人々がいたのだ。これが不可触民と言われている人々のことで、1億人前後と推定されている。身分や職業まで規定されていたようで、その生活の実態は詳しく習わなかった。層を違えての結婚は許されていなかった。死体処理、糞尿処理、ゴミ集めなど、ありとあらゆる嫌な仕事を押し付けられた。生まれてきた層からは、生きている間は違う層にかえられなかった。努力して、頑張ったら、次に生まれ変わった時には、ステージの違う層に生まれてくることは、ありえるらしい、と。何に、どのように、努力したり頑張ればいいのだろうか、私にはよく解らんナア。

このカースト制度を禁止して、差別撤廃を盛り込んだインド最初の憲法が制定されたのが、1950年。その憲法の条文を草稿したのがアンベードカルで、彼のことについては、学校では教わらなかった。彼は、不可触民の子供だった。初代の法務大臣になり、インドの憲法の父と言われている。

やっと、ここまで進めてきて白状しましょう。この稿を起こした最大の目的は、このアンベードカルの紹介と、不可触民の今昔の実態をあぶりだすことにあったのです。

ガンジーに劣らぬ功績を挙げたアンベードカルのことを、ここでは、ネットから得た知識ながら、転載し、確認しておこうと考えた。ガンジーやマザー・テレサのことについては知っていても、アンベードカルのことは余り知らされていないからだ。

インドの人口の82%がヒンズー教の信者だそうだ。御釈迦さんの故郷だから、仏教を信仰する人が多いのではと思ったが、そうではないらしい。仏教徒は、人口のたった1%ぐらいだそうだ。

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(以下、ネットで得たものを、転載させていただいた。)

ヒンズー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら、徐々に形成された多神教である。不殺生を旨としているため、肉食を忌避、菜食主義者。ヒンズー教は多神教だといったが、お釈迦さんも一人の神様扱いだそうです。

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この身分制度の根幹をなす考え方として、ヒンズー教独特の浄・不浄の概念があります。もっとも身分が高い階級は最高に清浄であり、身分が下がるに従ってケガレも増すという考え方です。そして浄・不浄の概念は、これもヒンズー教の根幹をなす業・輪廻の概念と抜きがたく結びついています。つまり、現世の身分を決定するのは前世の行いであり、現代の自分に与えられた身分(職業)に没頭することで、来世のよりよい身分が約束されるというわけです。この考え方の枠組みによれば、下の階級が上層階級へ尽くすことこそが、自らを救済する道であるということになります。

アンベードカルはブラーミン(カースト制度で神聖な職に就いたり儀式を行うことができる者たち。司祭と訳す)の正体を見破り、その権威を攻撃し、偽善性を徹底的に追及した。不可触民出身の彼は猛勉強の末、ハーバード大学に留学し、ついには独立インドの法務大臣に就任した。

アンベードカルはマハトマ・ガンジーの偽善性、欺瞞性を攻撃した。一般的にはガンジーは不可触民を神の子と呼んで敬ったことから「不可触民の父」と言われているが、実はこれは歴史の捏造であるらしい。ガンジーはブラーミンであり、不可触民なんて最初から人間と思っていなかったふしがある。

研究者によれば、ガンジーは「古き良きカースト社会」実現のためにインドの独立運動を行った。すなわち、ガンジーが考えた平等社会とは、労働力としての不可触民の存在を前提にしたものであり、彼はイスラム教徒の分離独立選挙は認めたが、不可触民の分離独立選挙は最後まで弾圧し、それを唱えるアンベードカルを脅迫さえしたのだった。

アンベードカルはヒンズー教の欺瞞性に気づき、インド本来の宗教であるブッダの教えを再発見する。ブッダの教えにはヒンズー教のような階級差別は存在しないのである。そしてそれは、インドが生んだ偉大な宗教なのである。実は、ブッダの宗教を葬り去ったのがインドに侵入したアーリア人であり、それが自分たちを”奴隷化”するためだったことを彼は発見する。

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そして彼は仏教に改宗し、彼に従う不可触民たちも続々と仏教に改宗した。アンベードカルの死後、その活動を受け継いだのが日本人僧侶の佐々木秀嶺師である。

さて現在のインド社会であるが、「指定カースト」出身の政府高官、政府高級職員、最高裁判事はかなり増えているが(法律では「指定カースト」を優先して採用することが決まっているから)、軍隊、警察、マスコミ、教育機関、主要基幹産業、銀行などからは体よく締め出されている。数億といわれる指定カースト民の全資産を合計しても、インドの二大財閥の資産には遠く及ばない。都市部においても「見えない障壁」は存在するし、田舎に行けば「シュードラを轢き殺しても事件にならないらしい。

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この稿で使わせていただいた写真は、20090216 朝日朝刊Globeのものを使わせてもらいました。

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インドの下層階級の新しい動向