お世話になっている新百合ヶ丘の病院
思えばそろそろ1年になろうとしている。昨年の5月16日の昼間のことだ。
庭木の頂上部分の枝整備をやっているうちに、バランスを失って4~5メートルの高さからアスファルト道路に落ちた。弊社の仕入れ物件だ。頭蓋骨で直撃。乱れた枝並を少しでもカッコウーをつける心算だった。事故後の約1週間の意識不明状態から、やっとここまで回復した。高次脳機能障害ってやつだ。5月20日には、お世話になった医師の診断をうけることになっている。医師の診断は何となく解っている。内容次第では、再診の可能性もある。
外傷はそれなりに治ってきたが、頭脳の構造については、自ら、十分に治っていないことも分かっている。
このままで、どれだけ頑張れというのだ!
今日(5月4日)は、会社の留守番は社長さんがやってやると言われたので、盆暗(ぼんくら)な時間を過ごすわけにはいかない。ならば、リフォーム前のマンションに出かけて、古くなったクロスをはがす仕事ならば、俺の器量で十分だろう、昼飯も食わずに出かけた。私の腹の減り方は尋常でない。それは横に置いて、ベランダから見える住宅街に人影が見えないのが不安だった。
助け舟もなく孤軍で頑張ることには慣れてはいるが、行楽地では家族連や恋人たちが大いに御愉しみなのだろう?それはそれで大いに、結構。でも、俺の心はどうして、どうして?晴れないのだろう。
そんな私に気がかりな文字が脳の芯にバシバシ入る。その言葉を拾っておこう。
①戦後70年の節目に行われた日米首脳会談で、オバマ米大統領と安倍晋三首相は、「不動の同盟」として安保協力を大幅に広げていくと確認した。新戦略で安保での負担共有を他国に求める米国に、「積極的平和主義」を掲げる安倍政権も呼応することになる。日米の安全保障は一体化を深め、歯止めの見えない時代を迎える。
②ナチス・ドイツが連合国に降伏してから8日で70周年になるのを前に、メルケル独首相は2日、国民に歴史と向き合うよう呼びかけた。「ナチス時代を知る責任ある」。歴史に終止符はない。我々ドイツ人は特に、ナチス時代に行われたことを知り、注意深く敏感に対応する責任があると訴えている。
③同氏はまた3日、4万人以上が犠牲となった独南部のダッハウ強制収容所の解放70周年式典で演説し、「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と語った。
日曜に想う(ヒトラーを清算した熟慮と自省)
2015年4月26日(日曜日)朝日新聞の総合2に題字の内容で、特別編集委員の富永 格が書かれていた。やはり気になって、眠り眼(まなこ)が吹っ飛びれてしまいそうな気力で読んだ。
案内板ひとつで、70年前のベルリンに飛ぶのは難しい。ブランデンブルク門の南にある総統防空壕(フューラーブンカー)跡。アドルフ・ヒトラーが最後の100日を過ごした地は、ありふれた駐車場に姿を変えていた。
ネオナチの聖地になるとの懸念を説き伏せ、詳しい位置が公表されたのは9年前だ。「過去と向き合い、伝える責任がある」と。年表に見入る男性(41)は「特段の思いはない。これはもう歴史ですから」。あたりでは小鳥がさえずり、春の光が揺れるだけだ。
東からソ連軍、西から連合軍が迫る1945年春、ヒトラーは56回目の、そして最後の誕生日を迎える。野戦用ジャケットを着たまま側近と夕食を共にした総統は、独り読書にふけったという。砲撃の音が近かった。
4月30日午後、ヒトラーは前日に妻とした33歳のエバ・ブラウンと自決、後継に指名された腹心のゲッペルも妻子を道連れに後を追った。
独裁者の遺体は、ベルリンを占領したソ連軍の手で葬られた。ところが70年、ソ連と東独の秘密警察が掘り出し、焼却のうえエルベ川に散骨する。これまた将来、心酔者が墓前に集まらないようにという用心である。
痕跡までが危険視される男を権力の座に押し上げたのは、ほかならぬ自由選挙だった。28年、国会に初挑戦したナチスへの支持は限られたが、翌年、米国から大恐慌という神風が吹く。
第一次大戦の報いを背負うドイツ経済は、米国資本の徴収で沈んだ。工業生産は3年で4割減、労働者の3割、600万人が失業する。苦しむ大衆をとらえたのが、反ベルハイユ(戦後)体制、反ユダヤの宣伝だった。
ナチスは30年の選挙で躍進、32年には4割近い選挙で第一党となり、翌年政権を奪う。ここまでの物語は国民との合作、あとは独り舞台である。
ヒトラーの流儀は排除弾圧だけではない。娯楽と宣伝目的のラジオ普及、アウトバーン(高速道)建設や軍需による雇用拡大、ベルリン五輪、フォルクスワーゲン(国民車)構想ーーーー。硬軟両用の施策で民心を取り込み、盤石の翼賛体制を築き上げた。ここに教訓が横たわる。独裁志向の人物や集団にひとたび託せば、彼らは言論を封じる一方で甘言を弄し、国を意のままに操るだろう。選び間違えたツケはいずれ国民にまわる。少なくとも暮らしで、ともすれば命で。
懲りた欧州では、扇動の弁舌はそれだけで怪しまれる。とりわけヒトラー清算にかけるドイツの決意は絶対だ。
独北部で、アウシュビッツ強制収容所元職員の裁判が始まった。簿記係だった被告は93歳。4年前には91歳の元看守に有罪判決が下されている。怖いほどのけじめである。
良き職人に再生すべく、ドイツは欧州統合に従い、リーダーになった。周辺国との関係でも94%が「うまくいっている」と考える(日本は46%)。単純な比較は戒めたいが、たゆまぬ自省があってこその到達点だろう。
先ごろ87歳で亡くなったドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラス氏が、死の直前スペイン紙の取材に語ったという。「我々は同じ間違いを犯す恐れがある。夢遊病者のように世界大戦に突き進むかもしれない」と。
同氏の代表作「ブリキの太鼓」は、台頭するナチスの狂気を少年の冷徹な目で描いた。ナチ親衛隊員だった過去を告白したのは晩年である。ガウク独大統領は「彼の作品は人々を動かし、熟慮へと導いた」と悼んだ。
熟慮は自省に至る。胸中で書いては消し、読み返して改める教訓の数々。同じ過ちを繰り返さすよう、たとえば政治、教育、メディアはどうあるべきかを自問する精神作業である。
我が国もまた、扇動と迎合の果ての地獄を経験した。歳月は非情だが、せめて世代を超えて語り継ぎ、思いを巡らせよう。肌が知らない教訓は、面倒でも頭で迎えに行くしかない。