俺は気まま、だ!
今、貴方はどんな花を見たい?
そンな質問に応えて、
私は、今の今、あの事だって?さり気無く話すことができる。
私の命でさえ、奪おうとした悔しい事故のことだ。
4~5mの高所から落ちた怪我の後遺症も、今では誰にも、何の色気もなく話せるのかと聞かれたら、それはそれは当然でしょ、と言いながらも、悲しさはつきまとう。
そんな我が身でも、歯を食い縛って、何とか生きてゆかなければならない。
それも、有意義に活動的に、そして今まで以上に活発的に。
誇りをもって活きたい。
そんな私が、日々生きていくための力不足にこれらの小説を読んでいる。
情けない奴ザ、とお笑いください。
この本については、余りにも多くて次回にお任せください。
今日のことは、、、、、、?
明日のことは尚更、誰にだって、何が起こるか解らない。
我が身のどこかに、どんな種類の花が、何色で咲くの?
香りは? ーーーー、そんなこと、解らないってことだ。
昔、世界は隈なく戦争に追い込まれた。
「不思議な大砲」と思い込んでいたモノが、原子爆弾だった。
私たちの国の、広島と長崎に落下された。
落下したのは、
広島は1945(昭和20年) 0806 午前08:15
長崎は同年 0809 午前11:02。
沢山の人が亡くなり、それを機に大儲けをした奴や会社や国がある。
実家の周りでは、傷痍に戦死、殺人に廃墟、犠牲者の大量発生。
孤児、夫や子供の戦死による家庭崩壊。
多国間に紛争と紛議、果てに血だらけの闘争。
戦禍は、多種多様、、、、幾らでもある。
生命や財を無くすること、そのことが、未来を悲しいものにした。
実家周辺の農民は心も体も、国益に馳せるどころか、撃ちのまれた。
何が起こるか? それは何が原因だったのか?
それで、結果的に何が、どうなるのか?
何かいいことでも、あるのか。
話を変えよう。
この15年間に、可愛がっていた犬が3頭亡くなった。
そのどれもが、病気のしらない健康モノだった。
15年前には、ラブラドール。
30日前には、シーズン。
1週間前には、ミニチュアピンシャー。
どの犬も亡くなる3日前から、体の動きが少なく、息が弱まって目動きも穏やかになったかなあ、と思ったすぐ後に、静かに息を引き取った。
3頭とも、我が家の家族みんなに見守られた。
私の頭が、少し可笑しくなっているのは、この犬たちの死なのだろうか。
そして今日、近所のラブラドール・ダナが死んだ。
我が家の犬のように接するほど、とんでもなく可愛い奴だった。息子・シュンの飼いたさの熱望に、親父さんが負けたのは16年前だった。
それじゃ、気まぐれに。
天気のことでも考えようか。
俺って、能天気か!!
天気ブログって奴だ?
この俺さまのいい加減な奴仲間と同じ、面白くないブログだ!!!
雷、雪? 霰か?
晴れるのか? 雨が降るのか?
晴れたら? 雨だったら? つまらぬ曇り空?だったら。
空?それとも天気ブログか?
このように考えていたって、一体、どうなるの?
気温は暑くなるのか、冷ややかになるのか。
暑くなったら? 冷ややかになったら?
日射の加減に熱量は?
濃いのか? 薄いのか?
相(あい)変(かわ)らぬモノだったら、いったい、どうなるの?
この俺さまは、一体、どうなるの?
そんなことを考えたって、結果的に予定と違っても、私の命の在りようは、何も関係なしに存在するザケのこと、と腹を括(くく)っても、しょうがないことだ。