高橋和巳の「堕落」を久しぶりに読んだ。
それに輪をかけるように読書感なぞ、書けるのかと思われるかもしれないが、私にとっても摩訶不思議なことザ!!
苦悩教の始祖とも言われ、怖ろしく苦愁に満ちた作家だった。
仮面に封じ込めた自己の内部に蟠る「見極めがたい曠野のイメージ」と「喪った時間の痛み」とが「「隠微な軋み音」を響かせ解かれてゆく、とネットにあった。
それらは、「我が解体」「邪宗門」「悲の器」「白く塗りたる墓」「憂鬱なる党派」「散華」「捨子物語」「黄昏の橋」「我が心は石にあらず」「日本の悪霊」に著された。これらの本は高橋和巳作品集などでも読み切った。
満州のことを大満州帝国とか満州帝国と呼ばれていた。その満州建国は1932年(昭和7年)。人口3400万人、清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)を執政に迎えた。
1945年(昭和20年)に終わりを遂げた。
この本を最初に読んだのは、学校を卒業して5年ぐらい経ってから、多分1980年(昭和55年)ごろのことだ。私が31歳の時、今からほぼ40年前のこと。
私の学生時代の1971年(昭和46年)に結腸癌で亡くなった。葬儀委員長は、私の尊敬する埴谷雄髙さんだ。
此の頃から、この高橋和巳から小田 実、野間 宏、井上光晴らに没頭した。
高橋和巳は、全共闘世代の間では左翼作家、右は三島由紀夫だった。
大学時代は太宰治をメインに、「がらんどう」のような風格の稀有な作家=坂口安吾、「おださく」と言われた織田作之助、三鷹・禅林寺の太宰の墓前で自殺した田中英光を、夜の過ぎるのを惜しむように読んだ。田中英光全集を持っているのは、私ぐらいだろう。学校の勉強で、人さまに言えるものは一切なし。
昼間はサッカー、夜は読書。学校から高田馬場駅までの帰途、本は全て古本屋で買った。
特にサッカー部としての如才が悪過ぎ、そのうらぶれた生活に鳴動、胎動したか?もしくは反動狂か?
飽くなき探求として、新戯作派とか無頼派、デカダンと呼ばれていた作家たちに親近感をもった。
それでは、「堕落」の話をしよう。
主人公の青木隆造は、かって満州国建設に青春を賭けた元右翼作家だった。
満州国において国家建設の幻想に破れ、妻や子供を犠牲にしたことで、曠野のイメージが彼の心も支配してしまったのか。
戦後、五族協和の理想を未だに引きずっていた。
今日の表彰式で幾多の法人や団体がある新聞社から顕彰を受けた。受賞者たちの声、順番がやがて青木にまわってきたとき、自らに誇るべきなにものも備わっていないことを、唐突に自覚した。目の前が急にぼやけ、何も見えなくなった。
青木は敗戦にいたるまで中国の東北、つまり満州におられました。戦前、東亜同文所書院を卒業されてのち、満鉄社員として上海より満州にわたられ、当時の満州青年連盟の一員として活躍され王道楽土の理想実現のために献身されたが、不幸、事態は周知のごとく青年の理想を裏切る方向にのみ進展し、ついに敗戦を満州の瀋陽でむかえられた、と主催の新聞社の司会が説明した。
敗戦後、一時シベリアで抑留生活を経験した。
帰国後、しばらくしてから、郷里の中学校の教員をした。
それから、神戸をはじめ大都市にあふれる浮浪児たちと、進駐軍と日本の女性との間に産み落とされては見捨てられる混血児を、一箇所にに収容して保護、教育することを決意し、自分の山林を売り払い自宅を開放して、ただひとりで福祉事業をはじめた。
その社会福祉事業団「兼愛園」の園長となった。彼の仕事ぶりは他人から宗教家の如く、その無償の奉仕として世間から評価されていた。
保母長を兼ねる秘書は水谷久江、事務局長は中里徳雄。
組織を作りあげ、それを軌道にのせるまでの創業期には男性的な葛藤があった。新聞社が毎年、各種事業団や研究団体に与える補助金付与の選に入ったのを心から喜んだのも、青木自身よりも、やりきれぬほど善意な職員たちだったかもしれない。
思わぬ表彰式で、なぜ表彰されたのか。
その表彰会が終わり、二次会の招待もあったのだが、青木は気が重たく気乗りしなかった。青木の中の何かが崩壊してしまった。いただいた言葉に対する応え(こた)が、何をどのようにどう話していいのか解らず、頭の中はグッチャグチャ、なんとも言葉が出なかった。
新聞社からは、顕彰と副賞二百万円をいただいた。
これから、この兼愛会をどうすればいいのか、私こそ何にどう貢献しなければならないのか、頭の中は混乱するばかりで、訳もなく会場を後にした。
いつも君にはお世話になってばかりですまない。今日こそ何かでご馳走したいと、秘書の水谷久江と食事をすることにした。
水谷久江は、気取るのも忘れて鶏肉を咀嚼していた。その姿は奇妙に孤独な、悲哀感をそそる眺めだった。
食事後、彼はホテルでその醜く小さい秘書に襲いかかり、彼女を手ごめにした。彼女に覆いかぶさってしまった。
彼にとって偽善である奉仕活動中ながら、失った時間の痛みにも、心は侵食されてしまったのか。
それとも、今後の兼愛会をどう運営していいのか?そのことが整然としない、むしろ凄然としていた。
表彰式を終えて1週間後、兼愛会にて、中里徳雄や時実正子に会って留守中の仕事の話を聞いた。
時実正子は今栄養士の資格を持つ保母だが、もともとは高級将校の次女だった。父はB級戦犯にとわれ、彼女は進駐軍の通訳をしていたのだが、進駐軍から集団暴行にあい、自殺しようとして兼愛会のわきの雑木林をさまよっていた。
副賞金を懐にした旅先で、一度は死んでも帰りたくないと思ったとしても、帰ってみれば、やはり兼愛会が青木の花園だった。
苦しく悩む青木は、こんな状況にも拘わらず、兼愛園を見捨ててさらには、何故、協力者の水谷久江を不意に手ごめにし、そしてまた不幸な時実正子の肉を意識的におかしたのか。協力者、愛人までも裏切ることになってしまう。
ここらに至って、私は考えた。果たして書名にされている「堕落」とは何なんだろう。青木は満州国が滅んだことで思想的に敗北した。二度と社会の前面に出ないと決心していたのだが、新聞社から副賞として200万円ものお金をいただき、そこから「堕落」が始まったというのか。
それから数日後、木造アパートの一室で、二人の女性、時実正子と水谷久江と青木の三人だけの貧しい寄り合いをした。時実は、青木に寄り崩れ、そして不意に青木の首を抱きかかえて接吻した。
俺はとうとう獣の道に堕ちる。電灯がゆらゆら揺れ、調度の影が壁の上に激しく交錯する。低いうめき声を発して、取っ組み合いをしている二人の女を見下ろつつ、青木の頭脳は思考力を失っていた。
雑木林の中から、月明かりに浮ぶ兼愛園の建物と農園を見ていた。盗人のように兼愛園の寝静まるのを待っていた。落葉樹の落葉が窪地に吹き寄せられ、すでに枯枝になった小枝が触れ合って、音を立てていた。時実の妊娠は儚かった。
副賞金200万円を兼愛園から持ち出し出奔し、安宿に泊まり歩き、安酒を飲む生活のなかで、青木の持っている金を狙ったチンピラを殺害してしまった。これらのストーリーが「堕落」の一部分なのだろうか。それでも、青木の孤俗な孤愁は続く。
国家が青木を裁き得るかという問題について、それは極めて難しいことだ。夢破れた者は、どのように判断して生きればいいのか!このことを、青木は背負い続けていた。それが、青木の宿命的な「堕落」なのか。
青木は裁かれたかったのだ!!