2018年1月12日金曜日

鏡開き


私の郷里(京都府綴喜郡宇治田原町)では、1月4日に鏡開きがある。

鏡餅の写真

正月、神仏に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べる習慣のことだ。
鏡餅は正月飾りの一種。
習慣があった、と極めて懐かしげに表現したのは、私が田舎を去って50年、現在どのようになっているか、判然としないからだ。
私自身の日常でも、東京・横浜暮らしの間に、この鏡開きをしなくなった。
世間での習慣は変わっていないのだろうか? 会社の仲間や学生時代の仲間にも聞いたことはない。

現実には、細かく割られた餅をかきもちにして食べた。夕方、腹が減った子供の頃の私は夕食まで待てなくて、祖母が焼いてくれた餅をがぶがぶ食った。我が家ではこの細かく割った餅を、火鉢で金網に載せて焼いた。
母はその残りを朝食時に汁にした。

家族みんなで食べて、一家の円満を願うんだよ。そんなことを父なり母なりが話した。

寒い冬の折、餅は冷たい風で堅く固まっている。
それを食べるには小さく刻まなくてはならない。だが、包丁などで餅を切ることは、切腹を連想させると言われ、包丁は使わなかった。代りに手や木槌などで細かくした。
我が家では、大工道具の何かを使った。包丁を使ってはいけないと代々言われてきているので、よ~く考えて器具を使ったのだろう。

そして、この餅を食い終わるまで、「切る」とか「割る」という言葉を使わないように気を配った。そして、皆は「開く」と言った。
この鏡開きを開く日は我が田舎では4日だったが、地域によっていろいろだ。

ネットで調べたことだが、鏡餅は昔の「銅鏡」に似ていることからとか、鏡餅の「鏡」は「鑑(かんが)みる」のことだとする説があるそうだ。