2019年8月5日月曜日

一体、彼奴(あいつ)は何者なんだ?

表題の「彼奴は何者なんだ?」ではなく、私自身「一体この俺は何者になってしまったのだろうか?」と頓珍漢(とんちんかん)に考えるようになった。

嬉しいのか?悲しいのか! 不思議な感慨だ。
散歩していて、ちょっとした私に対する挨拶だけで、そんなことを考えることが多くなってしまった。

他人には、私の上下半身の衣装の気まずさ、靴のせいなのか歩き方なのか、身振り手振り、容赦のない視線の向きなのか、私のことをどのように目移りしてしまったのだろうか。

何故、そのようなことを考えるようになったのか?
それなりにそんなことを考える機会が多くなってしまった。
ママとお出掛け 38098599
(ネットでお借りしました)

出社から帰宅するまで、電車やバスを使ったことはなく、只管(ひたすら)徒歩オンリーだ。
歩くと頭のなかがスッキリして、体全体が軽くなる。
体の何処も、何もかも健康な元気者なら、そんなにまでして歩くことないじゃないの。
無理することはないんじゃないのと考えるようだ。
この私だって、そのように考えていた。
でも不思議なんだ、何もしないでじっとしていると、体が可笑しくなってしまう。
帰路、会社から自宅までの徒歩は出社したときに使った疎通のバック転だ。
余り仕事をしていないのに、歩くことには真剣勝負だ。

でも、どっこい。
5年半前、高さ5,6メートルの樹木の上から落下して後頭部を道路に叩きつけてからは、そんな、常識的な考えは遙か遠くの世界に忘却してしまったようだ。
あっちこっち高次脳機能障害を得てしまった。

そんななか、歩くのが凄く快感なのだ。
痛いとか草臥れたとかそんな感覚なんて露(つゆ)知らず、歩くことから得られる疲労感が、身が引きさがるほど快感なのだ。
足腰はそれなりに辛いだろうが、頭は痺れるように気持ちがいい。

だから、休日だからと言って、自宅でのんびりグザグダするなんて思いつかない。
家に居るよりも、外に歩きに出る。
自宅で本を読むよりも、敢えて1時間ぐらい徒歩して、野良作業やら図書館に行く。
そんなにまでして、無茶苦茶(むちゃくちゃ)歩いてから、何かに精を出すことが幸せなのだ。

軽快な徒歩中、不思議なことに巡り合うのでそのヒトコマひとこまを書いてみた。
出社するときは、保土ヶ谷公園を縦走(歩)と言えばいいのか、権太坂から神奈川坂を登りきり、公園の谷間に雪崩(なだれ)落ち、そのまま天王町駅に向かう。
7、000歩、距離にすると3、5キロぐらいだろう。
休みの日には5コースほど定番のコースがあって、お陽さまや雲の流れと、その日の私の気分で決める。
コースを決めるのに、イーハトーブの様子見も兼ねることがある。

朝早く市沢団地から左近山団地を抜けて、二俣川の近くでターンしてイーハトーブの快楽農地の様子見と草刈り、適当な水量を差して自宅に帰る。
1万3千歩、距離として6キロ。
この日本住宅公団の団地を歩いていると、私のことを団地の役員とでも思われるのか、おジイサンからお早うございますと挨拶される。
私はその相手の心の裡など何もお構いなしに、微笑みをもって同じように、お早うございますと返す。
ただ、それだけのことだが、静かな営みです。

自宅から環状2号に沿って平戸立体まで、そこから国道1号線の裏道を芹が谷を過ぎて児童遊園地の傍を自宅まで帰るコース。
1万5千歩、距離として7キロ。
そのコースの芹が谷交番の前には常に若いお巡りさんが交番の前に立って何かがあれば、私に申し立てて下さいと言わんばかり。
以前、交番の前のお巡りさんは、前を通り越す人々に挨拶していて、エライお人やなあと感心していた時代があった。
ところがその後、通行人との挨拶は少なくなってきたように思っていたが、違うんですここの駐在所のお巡りさんは、散歩の私にだって几帳面に挨拶してくれる。
私は恥かしげもなく、大きな声でお早うございますと返す。

休日だった昨日、20190804のこと。
鎌倉を目指して、自宅を06:15に軽くパンを食って、麦茶を持って出かけた。
頭は多少寝ぼけたままだったが、気象は爽やか心も軽い! 空気は清澄、何も文句なかった。
旧東海道を歩いていたら、黄色いシャツを着たオジサンにお早うございますと挨拶された。
始めてお会いした人だったが、私に相性が好く表情が輝いていた。
私の心の隅々まで、鋭気が漲った。
自宅から東戸塚駅、戸塚駅まで9800歩、約1時間。
そこから鎌倉を目指すほど体に余裕がなく、鎌倉を諦めて大船駅を目指した。

帰途、大船駅から東戸塚駅まで電車に乗ったから、総歩数は2万4000歩、歩いた距離は12キロは超えているだろう。
東戸塚駅から30分ほど歩いて自宅に落着、この日はこれで完結した。
ところがどうしても鎌倉駅までは歩きたくて何とかしたい。

その願望を達成するための術を思いついた。
先ずは、東戸塚駅から鎌倉駅まで電車で往って、駅前に素寒貧(すかんぴん)の状態で立つ、そして還りに付くこと。
それならば、根性無しでない私のこと、なんとか帰り切れるのではないか。
今は、これしかないと思い込んでいる。
次の日曜日に敢行したいと思い込んで、楽しみにしている。

会社から帰宅までのこと。
誰にでも起こり得ることだろうが、旧東海道の権太坂には高校、支援学校、小学校がありその通学のためこの道を歩く生徒、先生は多い。
私の子供たちも全てこの学校の何れかに通った。
今は、孫が1人2年生だ。

その学校の周りに近ずくと、私の身に流れる血脈までもが騒ぎ出し、視線だってどの学校にも注ぐ。
そんな状態で小学校の前を歩いていたら、前から来た年とった紳士から、私の顔を見てにっこり今日はと挨拶された。
私は、良く解らないまま、同じように今日はと返した。
これって、なんだったんだろう?
一体全体、他人は私のことを何と思っているのだろうか。
学校の何らかの関係者? PTAの役員、教材の納品会社の人、地元自治会の役員、市か教育委員会の事務員?
よく解らないできごとだった。

先週の日曜日、早起きして特別コースを歩いていた。
自宅から東戸塚駅、川上町、横浜カントリークラブの脇を通り、お稲荷さん、今井町、そしてイーハトーブの畑に向かっていた。
2万5500歩。
ベースボールのユニフォームを着た自転車乗りの小学生が、私の服装に興味を持ったのか、私の顔をよく見つめて、にっこりお早うございますと声を掛けてくれた。
私が身に付けている服装から、先生とでも早とちりしたのだろうか。
暑いから気をつけて、バッチリ頑張ってよと返した。
子どもに負けないように、私の顔は満面、破顔だった。
これも、これも不思議な出来事だった。

20190722  自宅に着くと三女がこれから保土ヶ谷球場へ母校の横浜商業(Y高)が県相模原高校と野球の試合をするのだが、お父さんが観に行くなら一緒に行きたいんだけどと言われた。
天下晴れての甲子園球場!を目指す。
高校時代にとって破格、極上の舞台だ。
今でこそ究極の成績は挙げられていないけれど、Y高だって名の知れた野球の優秀高だった。
横浜の育ち盛りの頃の企業人・商業人を沢山育てた、校歌が森鴎外さんだよと言えば誰だって魂消(たまげ)るぞ。
私も以前にグラウンドの傍に貸家を持っていて、年老いたOBたちと練習を観たものです。
この日は、4:3でY高は県相模原高校に惜敗した。
そして20190727、横浜球場にて県相模原高校と東海大相模高校の準決勝戦を、三女夫婦と観に行った。
孫はいつも付きっ切りだ。
糞っ垂れと言いたいほどの成績、11:2で東海大相模高校は勝った。
この試合を観ていて、こんな程度のレベルでは甲子園まで行っても、計り知れないほどの成績を収めきれないぞ、と発破をかけたくなった。

三女家族はバスで自宅に向ったが、私は歩いて帰ることにして、少し早い目にスタジアムを後にした。
この日、朝、自宅から会社まで、会社から横浜球場、横浜球場から自宅まで、約3万歩。
流石に疲れ果て、自宅前700メートル辺りの保土ヶ谷バイパスの陸橋の上で、暫しの疲れを癒すために橋の手摺に両手で身を委ね一休みしていた。
そしたら、黒い大きな車が前方50メートルで止まり、車中から2,3人の手を振るのが見えて、私には不思議な人もいるものだ、俺のことを誰かと間違っているのではないかと思った。
翌日、昨日の現場はこの辺かなあとバイパスの陸橋を見ると、ハッキリと私の両手の手形の跡が残っていた。
面白いものだと感慨深かった。

窓から顔を出す人がいて、驚くことなかれそれが長女だった。
長女家族が横浜へウナギではなく、何か好い物を鱈腹喰ってその帰り道だったようだ。
変なオジサンが、どうしたんだろうと眺めていたら、正真正銘お父さんだったなんて、吃驚したわ、と慰めて?くれた。
娘が幾つになっても、変な親父はいつまでも変なんだ。
感動?してくれたのか、悪口だったのか。