2007年2月28日水曜日

”勇気ある行動”物語

勇気ある行動は、いつの時代にも、大所、高所、「車輪の下」だけではなく、いたる所で、たくさんの人によって行われてきた。大仰に言わしていただければ、歴史は、勇気ある者の勇気ある行動の集積、とでも言えるのではないか。そんなことを考えながら、キーボードを叩いていたら、なんと、この私のいかに勇気の無いはかなさを、こんなところで実感してしまい、意気消沈してしまった。だからと言って、滅入ってばかりいるわけには、いかん。頑張って、生きよう。今は、キーボードを一所懸命叩くのみだ。

先日 “死にたい病“に罹ったお姉さんが、線路に飛び込もうとしたが、居合わせた巡査が止めに入り、駐在所内に引き連れ、巡査は、冷静になるように諭していた。が、女性はその隙間を縫って、再び線路に身を投げた。身を投げた”死にたい病”に罹ったお姉さんは命をとりとめ、勇敢に、助けようとした巡査は亡くなった。死亡したのは、警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53) 12日付けで警部特進。13日午後 安置先の板橋署から、2年間勤務した東京都板橋区の常盤台交番前を通って斎場に向った。大勢の人々が手を合わせて遺体を乗せた車を見送った。

なんとも、辛い出来事だった。突然の不幸な出来事に、ご家族、ご親族、関係者の方々はさぞかし悲嘆にくれておられることでしょう。

強い使命感と、それを支える勇気に溢れた、立派な警察官だった。

そんな出来事があった前後1週間に、新聞記事に載った“勇気ある物語”2件がどうしても、頭から抜けない。

よって、朝日新聞からの抜粋だけれども、どうしても記憶に残したい。皆さんに読んでいただきたいのです。

下記の二つの勇気ある“物語”は、歌手、とカントリーソングを歌う女性3人組のお話だ。歌手は、時の権力者の前で為政(独裁)に対する反旗を翻した。女性3人組は、世論がイラク侵攻を80%近く支持する米国で、反対の意志表示をした。

勇気ある物語 その一    朝日新聞(天声人語)より7日に80歳になった、ジュリエット・グレコ。

夜の森を思わせる深い声、語るような歌唱、黒ずくめの衣装、宙を舞う両の手。

どれも22歳のデビュー当時からだ。自由を愛し、強者や権力を疑う生き方も変わらない。ナチス占領下のパリで、レジスタンス活動家の娘として秘密警察に拘束された体験が原点だろう。

すでに大御所だった1981年、チリのピノチェト独裁政権の招きをあえて受け入れた。軍幹部と家族が聴き入る御前コンサートの途中から、軍政が禁じた抵抗歌を続け、直ちに国外追放となる。いかつい兵士に囲まれ、空港へ連行される報道写真はフランス人を熱くした。本人は「生涯最大の勝利」と振り返った。

4月に19回目の日本公演がある。「最後の」としない理由はパリマッチ誌との問答からうかがえる。「私に理解できない言葉があるとすれば、ノスタルジー(懐旧の念)です」

とんがって、反骨を貫くのは、人生の損得勘定でいえば大損かもしれない。これを不器用と笑うか、潔とするかは人それぞれであり。80歳を迎えた水曜日の夜、彼女は仏テレビの生番組に出た後、祝宴に臨んだ。参加者は家族8人だけだった。

勇気ある物語 その二    朝日新聞2007年2月15日 文化より 第49回グラミー賞 ディクシー・チックス
米国の音楽家で最も栄誉とされる第49回グラミー賞が日本時間12日、発表された。下馬評に反し、今回の顔となったのは、主要3部門を含む5冠獲得の女性カントリーグループ、ディクシー・チックスだ。


「大統領と同じテキサス州出身なのが恥ずかしい」ボーカルのナタリー・メインズが、そう口にしたのは03年3月、イラクを侵攻しようとする母国への批判だった。この発言に「保守層」が猛反発。ラジオ局による曲の放送拒否、CDの不買運動、脅迫もあった。

バッシングの嵐を経て、3年9ヶ月ぶりに出したのが今回最優秀アルバム受賞の「テイキング・ザ・ロング・ウェイ」だ。騒動をめぐる心の揺れを描いた曲も収録。

最優秀楽曲・レコードの「ノット・レディ・トゥ・メイク・ナイス」は、訳せば「いい子にはまだなれない」と挑戦的だ。このため米国では、彼女たちの4年ぶりの「復権」を、ブッシュ政権批判の空気の高まりと重ねる分析もある。