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この映画を巡って、世間は喧(かまびす)しい。
この作品の正体を見極めたいと思っていたところ、タイミングよく、友人に是非見たいので連れて行ってよ、とせがまれた。我社が大株主の映画館で上映中だから、友人はこの株主優待券をあてにしていたようだ。ここは大株主なんだから、太っ腹でなくっちゃ。
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映画を観終わった私の感想だけは、早い目に述べておこう。
この映画は、世間に物議をかもしているだけあって、刺激的だった。全編のシーンが、観る者の立場によって、誰もが一言言いたくなる映画でした。
相手に、「あなたはどう思いましたか?」と問うと、各人各様に立場、信念と信条が違うのだから、その感想は百花繚乱、喧々諤々大変なことになるだろう。大変なことになるだろうが、この映画が提示している問題には、国民の大多数が納得するまでの話し合いが必要だ。兎に角、今すぐに話し合わなければならない、と感じた。
その争論の前に、まずは話し合いができる環境を作りだす運動が必要だろう。
私は、世間に余り知られていない「靖国神社」の実態を知りたくなった。法制上、この神社はどうなっているのか、他の神社とはどう違うのか、学習する必要がありそうだ。
小泉元首相が言う「心の問題」、従軍後、生きて帰ってきた人たち、兵士として戦場に送り出した妻、親、子供、恋人たちの「心の問題」はどうだったのだろう。遺族の「心の問題」はどうなんだろう。
戦場で、散っていった兵士たちの「心の問題」は、果たしてどうだったのだろうか。天皇陛下の「心の問題」も、聞かせてもらいたい。
7月21日(海の日)、朝日新聞を読んでいたら、「風考計」で竹島問題について、朝日新聞本社のコラムニストの若宮啓文さんの一文の一部に目が奪われた。
その一文とは、「宗教争いのように異論を激しく排斥するばかりでは、話が進まない。『君の意見には反対だが、君が言う権利には賛成する』とはフランスの思想家ボルテールが残した自由主義の原則だ。この精神を忘れずに論じたい」、ということだった。この精神で、靖国問題の議論を戦わして、しかるべき到達点を導き出したいものだ。
靖国神社のこと、解らない。英霊のこと、判らない。祀る「神としてあがめる」って、分からない。
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洞爺サミット開催中、神奈川県警がサミット関係の警備に多数の応援を出しているという理由で、横浜の映画館が警備を求めたが、応じてもらえなくて上映を断念した、との新聞報道があった。
右翼が、映画の何に本気で怒っているのか、知りたかった。
この映画は、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」の芸術文化振興基金から750万円の助成金を得て制作された。
自由民主党国会議員の一部から、「助成基準にある『政治的な宣伝意図を有しないもの』に該当しないのではないか」と疑問を呈され、物議をかもしたことから、それが新聞等で報道され、私も知ることになった。
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議員連盟「伝統と創造の会」と「平和を願い、真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」(会長・今津寛)などが文化庁を通して、公開前に試写会を要請した。配給会社は、当初当然断ったが、全国会議員を対象にするという条件で承諾した。3月12日国会議員80人が参加した試写会が開かれた。
国会議員が圧力をかけて、作品にモノ申そうとしたことは、検閲を意図した心算ではなかった、と言えども気に食わなければ文句を言ってやる、とその意図は見え見えだ。政治家がこの類に口出すするのは危険だ。そんな非文明的な国家ではないはずだ、日本は。
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試写を終えた国会議員からは、一部の国会議員を除いて、明解なコメントはなかった。
試写を観た唐沢俊一は、「もっと靖国を諸悪の根源として徹底追及の視点で描いているのかと思ったら、そこらへんを非常にうまく回避してしている映画になっていた」上に「靖国を賛美する人と反対する人の姿を同一視線で記録することにより、賛成するとか反対するとかという視点ではなく、今の靖国をめぐる日本人(及び諸外国人)の混乱をありのままに描き、結論は観た人の考えに任す、といった姿勢を基本にしている」という。この唐沢氏の発言に、私は首肯した。
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試写会の頃、週刊新潮は、「映画は『反日的』」と論評した。
この論評を機に右翼団体の街宣車による抗議行動や電話による公開中止を求める抗議があって、4月12日から公開を予定していた東京都の4映画館と大阪府の1映画館は、「周辺の商業施設に迷惑をかけることになる」ので、中止を決めた。名古屋での5月3日からの公開も延期になった。
この映画で、初めて知ったことなのですが、靖国神社の御神体は何だと思いますか。
私達の世代の者には想像もつかなかったのですが、御神体は「神剣及び神鏡」だそうです。この映画のパンフレットでは御神体は「刀」であると記載されているのを、靖国神社の方から訂正を求められたそうです。
神剣って?又、私の疑問が増えました。
4月18日には、国会議員に次いで日本の右翼活動家を対象にした試写会が開催されたが、そこでは「労作」「駄作」と賛否両論あり、意見は大きく分かれた。
新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男は「靖国神社を通し、〈日本〉を考える。『戦争と平和』を考える。何も知らなかった自分が恥ずかしい。厳しいが、愛がある。これは『愛日映画』だ!」と絶賛した。
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ストーリー。 映画「靖国」のパンフレットのまま転載した。
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薄暗い鍛治場で、居合いを披露する一人の老人。刈谷直治、90歳。現役最後の靖国刀の刀匠である。
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昭和8年から終戦までの12年の間、靖国刀と呼ばれる8100振りの軍刀が靖国神社の境内において作られた。
明治2年に設立された靖国神社は、天皇のための聖戦で亡くなった軍人を護国の神(英霊)として祀り続けている。246万6千余人の軍人の魂が移された一振りの刀が靖国神社の御神体である。
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毎年8月15日になると、靖国神社とその一帯は奇妙な祝祭的空間に変貌する。
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日の丸を掲げ、「祖国のため殉じ、戦争の犠牲となられた戦没者の英霊の御霊よ、安らかに眠れたまえ」と吼えながら、参道を進んで行く白髪の老人。
軍服姿の青年がこう叫ぶ。
「戦後の日本人は明治維新以来約246万柱の英霊の犠牲の上に今現在があり、そのお陰で我々が生かされているという事実から目を背け、いまだ大東亜戦争で散華された英霊の名誉を回復できずにいる」「侵略戦争だの防衛戦争だのと議論もいいが、祖国日本のため命の極限において戦った人を侵略者扱いする馬鹿な国はこの日本以外ない!」
海軍の格好で整列した一行は、拝殿のなかの「先輩戦友」に向かってラッパを吹く。
「次は、陸軍海軍ともに軍隊生活をもっていちばん楽しい食事ラッパであります」「天皇陛下万歳!天皇陛下万歳!」
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一方、テレビでは小泉首相の会見が写しだされている。
「一国の首相が、一政治家として、一国民として戦没者に対して感謝と敬意を捧げる。哀悼の念をもって靖国神社に参拝する。二度と戦争を起こしてはいけないという事が日本人からおかしいとかいけないとかいう批判が私はいまだに理解できません。まして、外国政府がそのような心の問題にまで介入して外交問題にしょうとするその姿勢も理解できません。精神の自由、心の問題、これは誰も侵すことのできない憲法に保障されたものであります」
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その小泉首相の参拝に関して、意見を述べる参拝客たち。兄弟が戦死したという高齢の女性は、「私はね、行ったっていいと思うの」と言いながら、同年代の女性と戦時中を振り返る。
「うちはね、3人兵隊行ってたの。陸軍と海軍と航空兵と3人兵隊に行って、戦死したのですよ」「遺骨を取りに行ったら父親がわんわん泣いてね。中を開けると〈英霊〉って紙だけ」「爪とか髪の毛くらいしかない」「あれだって誰かわかんないのよ」
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片手に「小泉総理を支援します」という看板、もう片手に星条旗を掲げたアメリカ人男性は、まわりの参拝客からなぜ靖国へ来たのかと問われ、「靖国の問題については、アメリカは黙っているが、それは世界のリーダーとしておかしい。だから私はここに来たんだ。」と返答する。その彼を褒め称え、サインを求める日本人参拝客たち。しかし、「ここは日の丸を掲げるところ!」と叫びながら詰め寄ってくる人たちによって状況は一転し、アメリカ人男性は退散を余儀なくされる。
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神社の外苑に集まってくるのは、これらの参拝者を相手に、署名を求める人々だ。
「支那中共がでっち上げた史上最大の歴史偽造、南京大虐殺を否定する署名運動を行っております。1人でも多くの方が署名をしていただいて、百人斬りの冤罪で苦しんでいるご遺族のために力を貸してください」
〈英霊〉を讃える人々の一方で、首相の靖国参拝に反対するグループや、合祀取り下げを求める遺族たちも声を張り上げる。
台湾原住民の母を持つ台湾国会議員の高金素梅は、戦没した高砂義勇兵(日本統治下の台湾で結成された台湾原住民からなる軍隊)の魂を靖国神社から取り戻すべく、何度も靖国神社を訪ねてきた。
「(台湾原住民は)2世代にわたる犠牲がありました。第1世代は土地と尊厳を守ろうとし、殺されました。その子供達は軍国主義の教育を受けました。太平洋戦争が始まると、日本軍・高砂義勇隊として、洗脳と欺瞞のもと南洋戦線に送られました。その戦死者がここに閉じ込められています」
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浄土真宗の僧侶として、また遺族の一員として、合祀取り下げを求めてきた真宗遺族会事務局長の菅原龍憲は、同じく僧侶だった父親を太平洋戦争で失った。命の尊厳を説くべき宗教者が戦争に行ったという事実を忘れないために、菅原は寺の仏間に軍服姿の父の写真を飾っている。その父に対し、昭和42年、日本政府から勲章が贈られた。
「〈遺族は〉大変理不尽な死を余儀なくされたわけです。国策によって駆り出されたわけだから、その怒りや恨みや悲しみを国にぶつけたいですよね。だけど国の方は勲章を与えて褒め称え、名誉の戦死だという。まさに遺族の思いは居場所を失うわけですね。(勲章贈与には)そういう倒錯した構図があると思います。つまり、国の戦争責任は問われないかたちで、遺族たちに文句を言わせないという機能を果たしていると思います」
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また、境内で開かれている追悼集会に乱入して「靖国神社参拝糾弾!」と叫ぶ若者もいる。参列者に袋だたきにされた一人の青年は、マスコミのカメラの前で血を流しながら警察に保護され、パトカーで連行されていくーーー
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このような狂乱から遠く離れた鍛治場で、刀匠は粛々と刀を打ち続ける。約800度の炎の中から取り出した刀を、水に沈め、荒研ぎを行う。そして最後に銘を切る。茎に光るその銘は「靖国一心子刈谷紫郎源直秀作」
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ステレオからは、昭和43年に開催された明治百年記念式典での昭和天皇のスピーチが流れている。「今日のこの発展は、明治維新以来の先人が、英知と勇気をもってなしとげた業績と、国民が相携えて幾多の困難を乗り越え、たゆまぬ努力を重ねてきた成果によることを想い、感銘深いものがあります。いま、百年の歴史をかえりみ、また、内外の現状に思いをいたすとき、過去の経験と教訓を生かし、さらに創意を加えて、よき将来の建設に努めなければならないと思います」
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詩吟「日本刀を詠ず」(作・水戸光圀)を披露する刀匠。
蒼竜(そうりゅう)猶〈な〉未だ雲(うん)しょうに昇らず
潜んで神州剣客の腰にあり
ぜんりょみなごろしにせんと欲す
策なきに非ず
容易に汚すなかれ日本刀
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製作者の言葉
監督・李纓(Li Ying)
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靖国神社のご神体は刀である。
それに対しての問いかけでもあるこの映画の(ご神体)は、ある意味に置いて(鏡)といえるだろう。靖国神社は戦争を祀る〈生〉と〈死〉の巨大な舞台であり、そこで私は戦争に関する様々な〈記憶〉と〈忘却〉、戦争の巨大な〈仮面〉を目の当たりにした。いまもなお世界において、戦争という名の亡霊が人類に接近する歩みを止めたことはない。
私は、靖国神社の中に残る(戦争後遺症)を通して、人類にとって永遠のテーゼでもある(戦争と平和)とは何なのかを、十年もの歳月をかけて追いかけてきた。
その問いかけにはそれぞれの観客の心の中の(靖国)を通じて考えてもらいたい。