朝日新聞に、島尾敏雄の小説「死の棘」についての桐野夏生さんの書評が出ていたので、記録することにした。
私は随分以前にこの本を読んで、頭をおかしくさせられた。苦しまされた。読書中はもちろん、読了後もしばらくは、頭が痛たくて、体はしゃきっとしなくて、ゆうらゆうらと揺れているような感じだった。その後、映画を観て頭の芯に鉛の塊でも入れられたように、頭がずどう~んと重たくなった。見終わって、座席から立ち上がれなかった。しっかりと歩けない。これも2~3日続いた。そして敏雄とミホは、私の脳の深底に滓(おり)のように沈殿してしまった。本を読んで、映画を観て、その後しばらく経って演劇に関する本を読んでいて、ミホさんが精神病院に入院した際、敏雄も付き添いで一緒に入院したことを知った。
私は、この本のことを、敏雄とミホのことを、私の脳の深底に沈殿した滓のことを、書き残したいと思いながら、悶々としてきた。そしたら、売れっ子の人気作家桐野夏生さんが、私がどうにも表現できなかった読後の感想を、氏の視点から紙上に書評として著したのが目にとまった。この書評で、なるほど、と合点(ガッテン)した。沈殿していた滓が、部分的に氷解した。私の読解力は、悲しいけれどこれほどまでに深耕しきれてはいない。卑小な私だけれども、立派な共感者の思わぬ降臨に嬉しかった。氏には大変迷惑だろうが。氏の力量に驚嘆しながら、感謝した。さすが、現在を代表される作家だと思った。
会社の同僚にもこの本を薦(すす)めた。彼は、博識で知識の量も相当な奴で、かつ理数にも長(た)けている。
その彼が、相当難しい問題に対しても明快に言辞でもって説明や分析ができるのに、この本の読後感想を求める私に、結果、両手で頭をかかえたまま、うん、う~ん、あっあ~、ぐらいにしか答えてはくれないのだ。彼も、愛妻との問題で彼なりの悩みを抱えていたのだろうか? だから、か、その表情は。この本の主人公を自分のことのように感情移入してしまったら、感想は述べられない。主人公を自分と置き換えて、読んでみようものなら、もうあなたは生きてはいけません〈本当は、そんなことありませんが〉。
そんなこんなで、私は彼に余計な悩みを背負わせたのだろうか、と私の軽率さを悔やんだ。
愛すること、と愛されること。
この小説は、男にしても女にしても、真剣に愛について悩んだことがある人にしか、薦めてはならないのだ、ということを理解した。愛される恐怖に耐え得る人でないと、読み通すことが困難なのです。この愛される恐怖と、劇烈に愛することが、気が遠くなるほど永く続くのです。
私がこの小説に拘(こだわ)るのは、私も愛されることにに悩んでいたのかな? 愛することに悩んでいたのかな? 〈笑ってください〉 この一節は冗談ですから、余り深読みしないで流し読み。
同業の知り合いの女性にもこの本を薦めた。どう、面白かった? 感想はどうや? と尋ねた。彼女は、私の瞳孔を覗き込みながら、ニタッと、不思議な笑みを浮かべたまま、その後、何も喋らなかった。彼女は、私の美しい虹彩の奥の奥の奥で、何を見たというのだろう。
「あなたも、敏雄さんのように、狂ったように愛されたいの」、と言わんばかりの顔をしていた。
私は、自分の顔が強張(こわば)っていくのが分かった。
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(080622) 朝日新聞「たいせつな本」
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愛は際限のないエゴ
死をも自分のものに
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《桐野夏生》 島尾敏雄「死の棘」の書評より
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最近、加計呂麻(かけろま)島の島尾敏雄文学碑の奥に墓碑が建てられ、夫婦と娘のマヤさんの遺骨が納められた、という記事を読んだ。三人の納骨は、昨年亡くなったミホさんのご遺志であったらしい。文学碑・墓碑は、特攻艇・呑之浦(のみのうら)を見下ろしているのだそうだ。
とうとう家族がまた一緒になったのだ、とまるで自分に縁のある人々のことのようにほっとする半面、墓碑が島尾敏雄とミホ夫人が出会って恋に落ちた場所を見据えていることに、いささかの戦(おのの)きも感じるのだった。縁がある、とする妄想に縛られること。これも愛の一つのバージョンではあるまいか。
『死の棘」を、何度読み返しただろうか。最初に読んだのは二十代だった。その頃は、狂ったと言われたミホさんがかわいそうでならなかった。が、今はただ、愛が怖いと思う。
愛に生きることは、加害者や被害者を作ることではない。誰も悪くはないのだ。が、あるきっかけから、確実に互いを蝕(はぐく)むものがどっかと根を下ろし、関係を捩(ね)じらせていく。これで終わり、と底を打つこともなく、収まったように見えても、またぶり返し、延々と棘が心を刺し続けて、いつしか現実を変える。あるきっかけとは「不信」である。
「あなたはどこまで恥知らずなのでしょう。あたしの名前が平気でよべるの。あなたさま、と言いなさい」「あなたさま、どうしても死ぬつもりか」「死にますとも。そうすればあなたには都合がいいでしょ。すぐその女のところに行きなさい(中略)」
形を変えて、繰り出される言葉。怖ろしいのは際限がないことだ。愛は底なしのエゴでもある。だから、すべての人間を平等に愛することを、愛とは言わないのである。そして、激しい愛は、相手の死をも含めた全てを得たい、とする営みなのだ。『死の棘』は、そのことを教えてくれる、誠に怖ろしい小説である。