2008年11月30日日曜日

私の部屋の時計が狂った

私の部屋には、私だけが利用している壁掛けの時計がある。一週間前あたりまでは狂いなく時を刻んでいた筈だった。ところが、3日前の夜のこと、一寝入りしてその時計を見たら5時、10分前を指していた。私は、毎朝5時に起きて、犬の散歩に出かける習慣を、もう15年以上続けているので、上手い具合に目が覚めたものだと感心しながら、外出の準備に入った。ところが、枕元の携帯電話は1時33分だ。目をパチパチさせながら、両方を見比べた。目を凝らして壁掛けの時計をもう一度見直した。4時50分だ。見た目には、何等変わりなく動いている。隣の娘が寝ている部屋の時計を見たら、私の携帯電話の表示している時刻と一緒だった。壁掛けの時計の方が間違っていることが判明したのです。

そのことを我が配偶者に話したら、ハイハイ、乾電池を換えておきますから、と言うではないか。えっえ、それでいいの?と思ったのですが、彼女には迷いがない。乾電池の蓄電量が減って、パワーが弱くなり、針の進み具合が遅くなるのなら、新しい乾電池に換えるというのは、よく分かるのですが、今回は、通常よりも早く針が進み過ぎているのだ。そんな状態の時計に、乾電池を換えて直るものなのか、私には分からなかった。

放電直近の乾電池には、時計の針を今まで以上に早める力が発生するのだろうか。死期を迎えた最後の最後には、通常の力ではなく、異常な力が生まれるのだろうか。理解できないままでいた。

だが翌日、配偶者によって新しい乾電池に換えられた壁掛け時計は、けなげに正常に時を刻んでいるではないか。それって、なんだったんだ!!配偶者の知恵は本物だったんだ、と敬服しながらも、自分では納得できないままでした。

その合点のいかない心模様を、グダグダ、文字で綴っていたら、ガ~ンと、私は私の思考に重大な過ちがあることに気づいたのです。この壁掛けの時計は「早く進んでいるのではなく、やっぱり遅れていた」、のだ。何日間の遅れ遅れが積み重なって、気づいた時には、たまたま進んでいるようなことになってしまっただけのことだったのだ。死期迫る乾電池に、急に力なんて湧いてくるわけ無いではないか。こんな、当たり前のことを、何故そのように考えるようになったのだろうか。私は、どうか?していたようだ。

ただ、それだけの話なんです。

私は、ちょっと疲れているようですな。