巨人、阪神の元投手で、現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏が17日午前11時頃、福井市内の病院で心不全のため急死した。57歳だった。巨人のエースとして活躍していた同氏は「空白の一日」としてプロ野球界を揺るがした江川事件の”犠牲”となる形で、1979年2月にトレードで阪神に移籍。引退後は近鉄、韓国・SKでコーチを務め、09年から日本ハムで投手コーチを務めていた。春季キャンプを目前に、現役コーチが57歳の若さで波瀾万丈の人生に幕を下ろした。(18日のスポニチより)
この訃報を聞いて、私は自分のことをヤバイっと思い当たったのです。この江川騒動では、瞬間湯沸かし器のように、巨人の横暴、江川家の身勝手さ、コミッショナーのなんとも見識の低さに怒った。江川陣営のことばかりが怒りで頭がいっぱいだった。私が、その怒りド心頭、狂ったように怒っているうちに、亡くなった小林投手がその後築き上げた偉大な記録に感心することもなく、記憶の果てに追いやってしまっていた。
作新学院を卒業した頃は、大学ならどこでも受け入れてくれるだろう、それが早稲田であろうと慶応であろうと、入れるものだと思い込んでいた。私の価値は相当なもんだと自惚れていた部分もあったのだろう。まだ、少年から大人になりかけの未成熟な年齢なら、しょうがなかったとしよう。最初は、入る大学のブランドを求めたが、慶応入学は叶わなかった。次に求めたのは,所属球団だった。当時、人気では他球団を圧倒していた巨人でなければ、ならなかったのだ。そんな一途な気持ちが、その気持ちを利用した各欲望諸氏に踊らされてしまった、と言うことだったのでは。
トレードを宣告された小林投手は、けなげに巨人を去り、その年には22勝を挙げて最多勝だった。そのうち対巨人戦では8勝もしているのです。そして二度目の沢村賞を受賞した。一度目は巨人にいたときに受賞している。プロ野球の世界では、江川は、小林の記録を超えることはできなかった。このことも、江川は苦しかったことだろう。
この小林投手の頑張りを、江川!!お前なあ、わかっちょるか?
ところが、江川は解っていた。歳月が知恵をもたらせたのか、知性を磨かせたのか、私の思い過ごしだったようだ。江川は、アホではなかった。よく解っていた。自分の弱さに目を瞑り、都合主義に便乗した軽薄さ、金に目がくらんだ卑しさ、そんなことを自省したのだろう。後になって、江川はこの問題に触れられる度に、慎重な言葉遣いをした。今回、小林投手の死を知らされた江川は、礼を尽くした言葉で哀悼の意を表した。「申し訳ないという気持ちは、僕の中では終わってない」
空白の一日
1978年秋のドラフト会議前日、巨人は浪人中の江川卓投手と契約。江川の交渉権は前年のドラフトで指名したクラウン(現西武)にあったが、当時の野球協約ではドラフト前々日に交渉権が切れるため、巨人は会議前日を「空白の一日」としてどの球団とも契約可能と主張した。これは無効とされ、巨人が欠席したドラフトで阪神が江川を1位で指名。巨人はドラフトの無効を訴えるなど混乱が続いたが、当時の金子コミッショナーが「強い要望」として、阪神がいったん江川と契約して巨人へトレードする案を提示。両球団が応じ、巨人から小林投手が阪神へ移籍した(この記事は、朝日新聞18日のスポーツより)
1978年、法政大学を卒業した江川は、1位指名したクラウンライターズとは、九州は遠いとか何とか言っちゃって、交渉には応じないで、作新学院職員という身分で野球留学した。何故なら、大学から社会人野球に入団すると最低2年間はプロ野球に入団することは許されていなかったからだ。
「空白の一日」と言うのは、入団交渉が前日まで続いていた場合など、交渉していた場所が遠隔地だったり、また天候の変化などにより、関係者がドラフト会議に出られないことが起こり得ることも考慮に入れて、ドラフト会議のための準備期間として用意したもので、通常ではその空白の一日に行動を起こすことは考えられなかった、が江川・巨人連合は、なりふり構わず行動した。結果、江川は巨人と契約したのでした。
それに、当時はドラフトの対象者は「日本の中学、高校、大学に在学している者」と規定されていて、江川は法政大学を既に卒業しており、在籍ということではどこにも籍を置いていなかったので、ドラフトの対象外でもあったのです。
巨人のオーナー正力亨は傲慢にも、江川との契約を正当性のあるものだと主張したが、セントラル・リーグ会長の鈴木龍一は、巨人と江川の契約を無効であると裁定した。
それからが、腑に落ちない。
日本野球機構コミッショナーの金子鋭が動き出した。江川の父親、巨人の正力亨、作新学院の理事長・船田中とその秘書・蓮実透らが、鳩首、悪巧みを図ったのだ。裏側では、読売ジャイアンツは江川の親に、東京で住宅もプレゼントをするなんてことを約束していたとも聞いている。
★2007 秋。二人は清酒のテレビCMに共演した。
(200709 テレビCMで共演)
そのコマーシャルフイルムでは、二人が和解の握手をしながら会話を交わすのです。「申し訳ありませんでした」と江川。小林が笑顔で「君が謝ることないよ」と応える。それから、小林は、「お互いしんどかったなあ。だけど、あの事件はお互いの体に一つのパーツとして埋め込まれたまんまだ。死ぬまで、もっていくしかないよな」。江川は深く肯いた。この二人の会話は、二人の心境を察して誰かが作ったのだろうが、実に当を得ていて、二人は充分満足しながら演じたのだろう。