2015年7月16日木曜日

オジサンが野戦に戻ってきた!!

大事故を起こした昨年の5月16日から、1年と2か月が経つ。

心身が悲苦や辛痛に貫かれ、そのことを今更文字にすることは避けたい。今筆はそんなことよりも、「明日に向かって撃つ」的なメッセージを書いてみたいと思った、のだ。ヤ・マ・オ・カ 的 に、根性丸出しで生きてみたい。

糞っ垂れ!! そりゃぁそう、だ! 俺の千早振(ちはやぶ)る狼煙(のろし)が、この1年間でどこかに消えてしまった、雲散霧消ってことか?。魂が痺れ骨は屑になるほど悔しい。もう一度、もう一度、ここらで魂に炎を灯したい。お髭(ひげ)の塵(ちり)を払う男になりたくない。

何故、こんなことを言いたいのか? って聞かれても、賢人に会ってお節介を受けた訳ではない。

市井は相も変わらず、桁違いのことが発生したわけでもない。66歳まで平左衛門でやってきた。大事故から、何ら変わったことはない。だが、不思議なのだーーーー、今までに普通に感じていたことがここにきて、極めて感じやすくなりだした。

スポーツを観る目が変わった。スタジアムでの競技者の競技に無性に早く強く高く感じる、その優美さに惹かれる。技巧にも目が奪われ過ぎる。これらの感性が、俺の満身を狂わせるようにバタバタと羽ばたかせる。

そして女学生に憧れる目だ。強い女や優しい女、妖しげで五月蠅(うるさ)い女にも惚れる。小学生の生徒から老人まで、見開いた瞼が何かに恐れるように、閉じることはない。麗しい感動に身を焦がし、それ以上に心は啓(ひら)かない。

強い男にも弱しげな男にも、悔しいけれど優しい男にも惚れる。

 

20150715 朝日新聞(夕)

広島県出身で、東京にある大学に通う女性は、10日に初めて国会前デモに参加した。拡声器に合わせて「戦争反対」と口にしてみた。涙があふれ、言葉を継げなかった。「おじいちゃんやパパの苦しみがあって、多くの人のむごい死があってやっと平和が訪れた。何でこの時代に、国会前で戦争反対とさけばんといけんのじゃろ」。祖父は戦後20年間中国で拘束され、「最後の帰還兵」と呼ばれた。1937年に召集され、中国で活動するスパイに。終戦後も上官の命令で中国人を装い任務を続けたが、58年に中国当局に逮捕された。迫害された家族は極貧生活を送った。長男の逮捕、妻の自殺未遂。悲劇は、78年におじいちゃんが釈放されるまで続いた。