2015年(平成27年)7月1日(水)
19:00 キックオフ
等々力陸上競技場
昭和44年に早稲田大学ア式蹴球部に入部させてもらった。させてもらった?、って、そりゃそうだ、それほど私には実力がなかったのだ。当時の4年生の1,2年生を担当する新人監督が、京都の山城高校出身だったので、私の実力など何の考慮もせずに許可してくれたようだ。私の高校時代には、早稲田大学は有力な社会人チームに勝っていた。3年生の時、正月恒例の天皇杯にも、東洋工業に勝って早稲田は優勝した。そんな早稲田にどうしても入って、みんなとサッカーを味わいたかった。早稲田大学以外の学校にも、a,m,w,にも受けてみたが、最初から入学なんて考えていなかった。
昭和49年の全国大学サッカー選手権大会と関東大学サッカー選手権には優勝できた。私は、ゲームに出たり入ったりの珍しい選手だったけれど、唯一の誇りだ。
20140516、仕事上の大事故以来、ホンの一塊(ひとかたまり)の楽しみがこの定期戦を観戦することだった。今回は66回目だ。再び、早慶戦の雄叫びをこの体で味わいたいと思った。体は老化して弱体化しようが、それが勇士の老いぼれだとは、そう簡単には、、、ス、マ、サ、レ、メ、イ。樹木の高い所から、アスファルト道路に頭から直下、脳をやられてしまった。結果、脳を使って働くことが出来なくなった、高次脳障害って奴だ。
昨年の1年じゅうは恥かしくて、人にも言えない心情に苦しめられていた。意識不明の1週間後、ほぼ1年間は入院生活。悔恨や信条・信念から抜け出ることなんて、それ程難しいことではない筈なのに、心根をグジュグジュにさせられていた。シッカリと歩くこともできなかった。私にとって、学生時代の4年間は、学ぶことではなく、サッカーをやることだった。
新しい年を迎えて、不思議な友人のマサと孫と3人で観に行こうと決めていた。孫やマサと、楽しく遊ばなくなっていたのを、此処で思い出した。ここらで、一緒に観ないと、もう終わっちゃうじゃないか?俺だけが、異常に長生きできることはない?