2015年8月6日木曜日

あんなに嫌だった防大グラウンドだ

20150805、定例のお休み日。

休日は相変わらずの農耕地に行くことにして、そこで逞しく働いた後、横須賀市走水にある防衛大学校のグラウンドに向かう予定だった。但し、この予定は前日までのお話。この農耕地というのは、衣笠に2か所あって、果樹を育てている。2か所とも、10年以上前に取得したものだ。荒地に鍬を入れ、草を採り、雑木を除いた。小さな草さえ根から捥(も)ぎった。

 

飛行機上から撮影した防衛大学校

防衛大学校

防衛大学校、50年前なら、こんな大学からどういう幸運が得られようとも、行くものか、と決めていた、その大学のグラウンドに向かった。今日は大学の後輩の「大林」君が、教諭として教え子を引率してきた。今じゃ、大和地区にある公立高校の体育の先生だ。神奈川県の教諭としては、日本代表チームとしての経験もある、貴重な人材だ。守りには強く堅く、攻撃には逡巡で果敢。大学を卒業して何年も経つ私には、入部当初にウイングのエリアから体で相手を先ずは殺し、そして長刀(なぎなた)を天守閣に擲(なげう)つ、その姿に感動した。何から何まで不思議な後輩で、目も触れられない程、恐ろしかった。

その彼が学校のクラブに入部したのは、今から50年前。私が卒業して数年後のことだ。このときの奴らのプレーが堪らなく愉快だったので、私はすっかり虜(とりこ)になってしまった。とくにその中でもこの男、「大林」がド外(はず)れて、こっ酷(ぴど)く抜けていた。その集団が、絶えることなく、閏(うるう)ことなく、エネルギーを発しまくった、その勢いに私は嵌(は)まり込んでしまった。

その嵌まり込んだ風情は、試合を観に行くことだけでは、スマサレメエ。彼達が主催する宴会にも度々出かけた。ジンギスカンや秀吉や野武士たち、のた打ち回る連中の宴会は凄まじいものだった。我が大学においても、掛け替えのないものであったろう。私も、当然準員のひとりだった。そんな仲間のボスが「大林」君だった。

学校を卒業して日立製作所に入社した。日本の代表選手として出場したゲームには必ず観に行った。だって、この男は俺の男だぐらいに思っていたからだ。それから転職、神奈川県の教職員の試験を受ける前に、我が家で前祝をした。そして受かった。

 

彼のことを「大林」君とか、いろいろ表現しているが、嘘八百と思ってもらいたい。先輩として彼の誇りを守りたい。