2016年2月8日月曜日

収容所の絵 数奇な旅路

収容所の絵 数奇な旅路


20160107 朝日新聞(夕刊)に掲載されていた記事を後日のために、ここに転載させてもらった。

この記事のなかの絵に、驚天動地、なによりも驚かされた。

今時、このような材料をこのような筆致で描かれたものをみたことがない。

それよりも何よりも、一人一人の画家の筆使いが厳しく激しいのだ。

全体の画風。愉快で楽しい我が家に、突然、裸の爆弾が放り込まれた気がした。

こんなものを観た者は、この記事を捨ててしまいそうだ。

私には、先天的な要素を持って生まれたように思う。

アウシュビッツを描いた19点
日本人に託され20年保管、「帰国」へ

それでは、本番に入ります。


第二次世界大戦中、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に収容され、奇跡的に生き残った画家の絵が、20年前に日本人に託され、保管されてきた。

「いつかはポーランドにかえしたい」。

そんな思いから、ポーランド側への寄贈に向けた準備が進んでいる。


人体実験用に生かされたとみられる子どもたち。


ほとんど具が入っていないスープを受け取るために並ぶ人。

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以下は、新聞から得た文章をそのまま、使わせていただいた。


ポーランドの画家、ミェチスワフ・コンチェルニャック氏(1912~93)が戦後、アウシュビッツの実情を伝えるために描き残した絵だ。
日本で布教をしたコルベ神父が餓死室で息絶えていく様子を描いたものもある。

コンチェルニャック氏は反ナチス運動に参加して逮捕され、41年、アウシュビッツに送られた。

絵の才能を認められ、収容所内の工房で啓発用のポスター作製などを手がける一方、ドイツ兵に頼まれて、肖像画を描くこともあった。

コンサート風景の中に収容所の顔を描き、外部にその人が健在であることを知らせた絵もある。収容中から戦後にかけて描いた絵は、約500枚残されているという。

作家の野村路子さん(78)=埼玉県川越市=は、95年に出版したアウシュビッツの写真集の編集を任された。その仕事進める中で、こんな思いを強める。
「被害者側が撮った写真だけでなく、被害者側の観点も必要なのではないか」

探してみると、収容者たちが描いた絵が残っていることを知った。

その一人がコンチェルニャック氏。
手紙を出すと、写真集への収録は快諾してくれた。
しかし、会う機会がないまま亡くなった。

出版から1年後、妻から相談が舞い込んだ。

「国が混乱し、生活もままならない。絵を日本で保管して欲しい」。
当時、ポーランドは共産主義から資本主義に変わり、急激な物価上昇などが続いた時期。
野村さんは19点を買い取り、日本で画集の出版や展覧会などを続けてきた。

だが、美術品用の倉庫の費用がかさみ、自身も高齢になったことから、「いつかはポーランドへ」との思いを形にすることに。

ポーランド大使館と話し合い、寄贈することが決まった。
野村さんは「本来あるべき場所で、多くの人に見てほしい」と思いを託す。

絵は契約が整い次第、ポーランドに送られ、現地で展示される予定。

ツィリル・コザチェフスキ駐日大使は「アウシュビッツの被害者が描いた絵は、人の心をとらえる力があり、とても貴重。

日本人の手で保管されてきたことにとても驚き、感銘を受けた。
歴史を伝えるものとして、多くの人に見てほしい」と話す。

《仲村和代》