私が毎日通院している整形外科でのことだ。
毎日午後3時ごろになると、私はJR東戸塚駅の近場にある・・整形外科クリニックに行く。午後の開業は3時からなので、先ずは受付にある顧客リストに名前だけでも書いておけば、診療の順位が確保される。
それから時間が経つのを惜しむように、新聞や雑誌を読む。この時間が嬉しいわけではない、しょうがないだけのことだ。
今の私の体は、頭が重たく気分がすぐれない、、、、体全体がコンクリートで固められたようにゴチゴチだ。下肢や臀部に刺すような痛みがある。他人には聞えぬ声でヒィーヒィー移動している。ヘルニアの劇的な重症だ。
私のコンチクショウ状態のカラダの事情を分からない人には、なんとも、見苦しく見えていることだろう。魑魅魍魎(ちみもうりょう)。生気が無いどころか生体が危なかしい。厭らしい、何の魅力があろうか?
歩き方も実に貧乏たらしいのだ。かっての私は早足が得意で、ちんたらちんたら、ノロノロ歩く奴のことが、嫌で嫌でしょうがなかった。実に、蛇足?ノロ足だ。仕事現場でのこのような野郎を間抜けだと思っていた。
ところが、今、私は赤恥を掻いている。どんな小さな穴でも、入り込んで、人の目に触れたくない。死んでしまいたい、と思うことだってある。
整形外科への患者さんは、お年寄りの人が多くて、私のような68歳の人は少なく、もっともっと(老)老人ばかり、面白くない。
aオバアサンとbオバアサンの話が面白くて、こんなブログを書く羽目になった。
一人のオバアサンが、「私ね、昨日の夜から朝にかけて全然寝られなかったのよ、夜は背骨が痛くて、朝方は去年亡くなったオジイサンのことを思い出したのよ」 「へえ、あんなオジイサンのことを思い出さなくてもいいのよ」
「変なオジイサンだったよね、もう死んじゃったんだから、思い出さなくていいの」
「思い出しても、いいことなんか、な~んもないんだから」
もう一組の老人夫婦。静かにしているオジイサンが、去年の秋に行った京都でのことをオバアサンに言い出した。何があったのだろう、「何で、あの時大きな声で、あんなことを言ったの?」
「馬鹿なことを、こんなに人がいるところで言うものじゃないよ」と、ピシャリとオバアサンが幕を閉ざした。これで一部は終わり。
それから、オジイサンが何か思いついたのだろう。一言言い出したと同時に、「なんで、あんな所で、あんな事を、大きな声で言いだしたの」と、これまたこれで終わりだった。
それからの老人たちは、小さな声で、ちょこちょこ話すものだから、私には聞き取れなかった。話さなくてもいいの、と言うけれど、二人の会話は幾らでも続いていた。
この稿の内容はそれだけの話だが、私にはとっては面白く聞き取れた。
何故、このような話を持ち出したのかと言えば、実は、夫婦が離婚することで、自宅を売り出すことになったケースが多いのだ。そんな物件を買わしてもらう。家を観にお邪魔しても、ご夫婦はしらっばっくれている。
年老いた狸と狐の離婚話なんか聴きたくない。
オジイサンが仕事に熱中している時には、オバアサンは従順で丁寧で、いかにもいい夫婦なのだけれど、何かが変わると何かが変わるものなのだ。
老夫婦のことは、よう解らんわ。いつの時代も、夫婦善哉はいいものだ。
問題は、60歳から70歳を過ぎたような年齢の夫婦だ。
何も、この年になって、離婚などすることはないじゃないの、と思う。
20才代や30才代なら、離婚したって、男はうら若き別嬪さんを、女は粋のいい優男を見つけ出すことだってある。
そうなれば、粋のいいカップルだって生まれる。
互いに、思わぬ新しい人生が得られるのだ。