2017年8月26日土曜日

8月26日の天声人語より

そろそろ、9月1日に近づいてきたので、関東大震災のことが改めて話題になるのだろうな、と思っていた矢先に、朝日新聞の私が大いに関心をもっている「天声人語」で扱われていた。8月26日、今朝のことだ。
大震災は、大正12年9月1日、11時58分32秒に起こった。

その後、9月1日を「防災の日」とした。
いつ地震が起きてもおかしくないと言われている。
地震が起こったときのことをよく考えて、防災グッズ、家具の転倒防止、避難場所、家族との連絡方法などを決めておくことが大事だ。

以下、関東大震災のことをネットで調べさせていただいた。
190万人が被災、10万5千人が余りが死亡、あるいは行方不明になった。
犠牲者のほとんどは東京府と神奈川県が占める。東京は火災被害が中心、被害の中心は震源断層のある神奈川県で、振動による建物の崩壊、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生した。

この天声人語で、関東大震災のことは私のよみ通りだったが、問題は、忘れかけていた在日朝鮮人のことだった。
生まれは京都と言っても滋賀県に近いところなので、出しゃばって言える筋合いのものではないが、中学時代から高校、素浪人・月影兵庫まで、朝鮮籍の友人も居たが、村民が朝鮮の人たちが住んでいる場所を、何か卑しい・賤しいもののように話すのを聞いていた。
食事に使うものや洗濯の風景、着ている物、言葉の違いに興味をそそった。

素浪人時代には、東京での生活費に入学金、4年間の学費を稼ぐためにドカタ仕事に励んだ。その仲間に、この部落の人もいて私はよく迎えに行ったり、その場でお別れした。朝鮮籍の友人は、私が宇治の城南高校に通っていたときに、伏見の工業高校に通っていた。中学校のときは、お互いにバスケットボール部だった。
工業高校の時、多分1960年頃、何年生の時だったか記憶はないが、居なくなった。村のオジサンたちからは、朝鮮に帰国したんだよ、だった。
その後、私には勿論友人たちにも、何の便りもない。

帰国者の多くは、北朝鮮の身分制度の最下層の敵対階層またはその上の動揺階層に分類され、北朝鮮当局から配属先などを決められた。
望む仕事に就けるとか、お金持ちになれるとか、そんな夢のような話は、アット言う間に消えてなくなった。

朝日新聞の今朝の社会面でも不思議な記事が出ていた。
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼会に今年は、都知事名の追悼文を送らないことにした。このことについての知事のこころは如何なものか?解りやすくお話しされることを願う。



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★8月26日の朝日新聞の天声人語をそのまま、転載させてもらった。
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関東大震災の混乱のさなか、ある銀行員が見聞きしたことである。広場で群衆が棒切れを振りかざしている。近づいてみると大勢の人たちが1人の男を殴っている。殺せ、と言いながら。

「朝鮮人だ」「巡査に渡さずに殴り殺してしまえ」との声が、聞えてくる。「此奴が爆弾を投げたり、毒薬を井戸に投じたり、毒薬を井戸に投じたりするのだなと思ふと、私もつい怒気が溢れて来た」(染川藍泉著『震災日誌』)朝鮮人が暴動を起こしたとの流言飛語が、飛び交っていた。

人びとは武器を手に自警団を作って検問をした。「15円50銭」と発言しにくい言葉を言わせ、日本人かどうか調べた例もあった。あまりに多くの朝鮮人が虐殺された。

差別的な振る舞いや意識があったがゆえに、仕返しを恐れたか。官憲もデモを打ち消すどころか真に受け、火に油を注いだ。「当局として誠に面目なき次第」と警視庁幹部だった正力松太郎が後に述べている。不安心理が異常な行動をもたらす。忘れてはいけない教訓である。

そう考えると、首をかしげざるをえない。朝鮮人犠牲者を悼む式典に、小池百合子東京都知事が追悼文を送らない方針だという。例年とは異なる判断である。都慰霊協会の追悼行事があるので、「個々の行事への対応はやめる」のが理由という」が、見たくない過去に目をつぶることにつながらないか。

今からでも遅くない。方針を改め、追悼文をしたためてほしい。大震災から94年となる9月1日。風化を許してはいけない歴史がある。

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関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ 小池知事
 東京都の小池百合子知事が、9月1日に市民団体の日朝協会などが主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に、都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが分かった。都知事は例年、追悼文を出してきたが、小池氏は今春、見直しを示唆していた。主催者からは「突然の方針転換は納得できない」と非難する声が上がっている。
 追悼式は毎年、日朝協会や日中友好協会などが、都立横網町公園(東京都墨田区)で開いている。1923年の関東大震災時には「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマが広がり、多数の朝鮮人や中国人が虐殺された。式典では、その犠牲になった人たちも追悼している。
 都や式典の主催団体によると、式典には例年、石原慎太郎元都知事らが知事名で追悼文を寄せてきた。小池氏も昨年、「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」などとする文を主催者に送っている。だが今年は、主催団体が5月に追悼文送付を要請したところ、担当する都建設局が今月、送付中止の方針を伝えたという。
 その理由について同局の担当者は「毎年9月1日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした」と説明した。
 小池氏は3月、都議会で自民都議が、主催団体の案内文に虐殺の犠牲者数が「6千余名」とあるのは根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆した。都建設局はこの答弁などを受けて追悼文の送付中止を検討し、その方針を小池氏も了承したという。
日朝協会都連合会の赤石英夫事務局長(76)は「天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なる。一緒に追悼するからという説明には納得できない」と話している。