2018年6月4日月曜日

切磋琢磨の日々です

切磋琢磨とは、前向きさや向上心を表すポジティブな言葉。
技芸や学問に熱心に努めること。
骨は切り、象牙は磋(と)ぎ、玉は琢(う)ち、石は磨く、といった精細な加工を施すこと。
互いに探求、研鑚(けんさん)し合うこと。

今年からの、社内での私の労働時間から休日数までがころっと変わって、多少の嫌な想いもあったが、数年前にやってしまった落下事故以来、一番気がかりなのは気分が晴れないことだ。
この気分が晴れないというのが、頭痛の種。
この事故のことについては、今は話さないで貰いたい。痛みが、増々高じてくるのだ。
事故とは関係なく、大学時代のサッカー部での後遺症として、足腰の痛みに何年かの刻みで襲われる。
頭痛と足腰の痛み、双方の痛みで焼けっ放(ぱな)しにやられている。

休日は日曜日と水曜日、週休2日制だ。働く時間は朝8時から正午まで。
社内の台所で、勝手に昼飯を作って、仕事仲間は知らぬが仏、私流に業務は勝手に終わる。
これだけだと、楽勝!と聞いた人は思うでしょうが、そうでもないのが辛いこと、悲しいことだ。

そこで肝腎なのが、会社に居ないときの時間の過ごし方だ。
私のような気まぐれ男だけではない、ほとんどの人にとって、雨模様もあるし暦の冥利(みようり)もある。
気分がいい人もいれば悪い人もいる。幸運か不運か、気分転換中の人もいる。
まして、曜日ごとにやることを決めてかかるのは無理。
そこで私は自腹を据えかねて、やらなくてはならないこと、種目とノルマを決めた。
何を、どれだけ遣(やれ)るか?ってことだ。


保土ヶ谷プールで、1か月10キロメートルをクロールで泳ぐ。
平泳ぎ、背泳、バタフライは泳げないので、クロールだけで泳ぎきる。
恥かしいんだが、クロールしか泳げないのだ。
学校を出て就職した会社の2年目、西湘では有名な室内プールにおいて、冬の間、水泳教室をやることになって、私は現場の責任者になった。
支配人は早稲田の水泳部、支配人の義弟も早稲田の水泳部で、メルボルン・オリンピックの日本代表者だった。
スポーツと言ったって、サッカーしか充分に練習してなかったから、水泳なんて私の圏外?範疇外だった。
仕事で、水泳教室の先生をやるなんて、考えてもいなかった。
社員がプールにやって来ない間は、当然受講生もいない。
その間に、出来るだけの練習をやった。
他人様に見られても恥ずかしくないように、人知れず練習に励んだ。
此の段に至っては、どの種目よりもクロールが一番都合が良かった。初心者にとって、泳ぎやすく、子供や親たちの目にも良かった。
格好よく見えるのだ。

月曜日と水曜日は必ず行く。もう1日は気分が好くて、保土ヶ谷プールが空いていると思われる日? それは雨の日、豪雨、台風の日なんかは頗るグーだ。
入泳者が少なくて、私には都合がよかった。
年老いたご老人が、自分の力量に合った泳ぎを楽しんでいる。限られた柵の中で、その人たちを抜くわけにはいかなかった。
1回に最低750メートル、多く泳いで1キロ。
そうすると、10キロには10~13回で完泳できる。
1ヶ月に10回以上プールに行けば、充分ノルマはさばける。
1回でのプール使用時間は45分までと決めていた。
いつまでも、ザラザラと練習するのが嫌いなのだ。


それから毎日、多い時は2回、少なくても夕方に1回。保土ヶ谷・今井町のイーハトーブでの畑仕事に邁進する。
この2年間は誠に真面目な作業マンだ。
種を蒔いて、芽が出て大きくなっていくサマは、私にとって極めて充実した思いがする。
こんなことが、こんなに嬉しいものなのか!
畑を取り巻く住民の人たちから私の仕事の一つ一つを聞きにくる。
聞いた話に、住民は楽しみですねと返ってくる。

ところで、イーハトーブとは宮沢賢治による造語だ。
ネット『Wikipedia』で、「イーハトーブ」を調べていたら、次のような説明があった。

賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である。
賢治が生前に出版した唯一の童話集である「イーハトブ」童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章には、「イーハトブ」について以下のような説明がなされている。この広告文自体は無署名だが、内容等から賢治自身によるものと推定されている。

「イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

この作業で一番大事なことは、毎日必ず畑に足を運ぶことだった。
畑に着くと、知らず知らずにやってしまうのが、雑草を見つけては引き抜くこと。
朝見て夕方観て、それだけの時間の経過で、野菜の成長に気が付くのですから、このことは大事なこと。
夕方、帰る前に野菜に必ず水をやることだ。隣家の水道から貰うのですが、この水の有難さも大切なものだ。
隣人のオジサンに「この水には宝ものが含まれていて、よく効くんですよ」と言って、喜ばれた。
水を嫌う野菜もあるので、これには注意が必要。
住宅地に囲まれているので殺虫剤は使わない。虫が好む野菜はできるだけ避ける。
害虫と言えども、野菜から摘(つま)み出して、足裏で踏み殺す。こんなことだって、決して気持ちのいいものではない。
今年になって作った野菜は、ほうれん草、小松菜、カリフラワー、ブロッコリー。今制作中なのは、人参、葱、玉ねぎ、枝豆。
柿、数種類の蜜柑類、山椒、ブルーベリー、桃、栗、レモンなどは健在だ。
柿は2本が甘柿で1本は渋柿。この渋柿で干し柿をつくる。


それから、歩くこと。
例えば本日(2018 6 3)の場合は、16、931歩 本日の消費カロリーは688キロカロリー。
久しぶりに朝一番、自宅から戸塚駅まで、と午後自宅から東戸塚駅まで歩いた。
悲しい事故後、人並み以上に歩けなくなった。
戸塚駅までは1時間45分、東戸塚までは30分。
戸塚駅まで2時間近く歩いたのに、帰りはバスでたったの10~15分だった。
戸塚宿は、東海道の日本橋から数えて5番目。距離にして10里半=約42キロの宿場町。
権太坂から戸塚駅までは6~7キロはあったはずだ。
当初、保土ヶ谷宿(程ヶ谷)の次は藤沢宿であったが、通行する人々が増え、戸塚が宿場町になった。
保土ヶ谷との間にある権太坂や品濃坂も同じだ。
今週の日曜日は、東戸塚駅から大船駅まで電車で往って、そこから徒歩で還ってくる。少し距離は長いが、やってみよう。
来年の初詣に、鎌倉八幡宮まで歩いてみたいと思っている。10年前には平気の平左衛門だった。

出勤時は必ず徒歩出社をしている。
歩数は約6、033歩、距離にして5、5キロ。
往復すると、歩数は12、000歩。
所要時間は、事故前は50分、今は1時間。往復で2時間。
歩くスピードは余程鈍(のろ)くなっているようだ。
だから、そういうことで、1日に2万歩は確保したい。

でも、上り坂に下り坂、腰痛で痛みきっている腰には、この坂が実にイイのだ。
自宅や会社を出たときには、腰や足の痛みを感じるが、10分も歩き出せば、すっかりなくなる。
上り坂が、この腰にどのようにイイのか?
下り坂が、どのように腰に都合よく効いているのか?それは解からない。
広大な保土ヶ谷公園の端っこから端っこまで、その間にトイレが2か所あって、事故後の排尿には、随分お世話になった。


私の読書欲を活かしながら、ぼけっとすることなく、頭に残っている本を、もう一度読み返したい。
我が家での娘(三女)夫婦との部屋取りの関係で、2階にあった本箱を1階に移動した。
その際に1万冊あった本を、6千か7千冊にした。友人にあげたり捨てたりした。
大学に入ったのが20才だった。
それから学校の勉強は二の次三の次にして、心の趣くまま読書に励んできた。
大学時代は一連のデカダン・新戯作派たち。
それから、安倍公房や大江健三郎、高橋和巳、野間宏、水上勉、加賀乙彦、三島由紀夫、野坂昭如、遠藤周作、宮沢賢治、本田勝一、渡辺淳一、島尾敏雄、大西巨人。
どの作家もすこぶる私を楽しませてくれた。
そんな私なのに、現在風の作家の本には、どうしても馴染めない。
昔の昔に読んだ本は、今では余り好かれていないようだが、私の脳層は変わっていない。

それから、気を使わなくてはいけないのが、老人の介護だ。
広い世間での問題ではない、先ずは身内の老人の介護だ。
3年前、女房の実家から、母の面倒を看られないか、と女房の妹から電話があった。
私にどんな苦労が遣って来るのか、さっぱり解からないまま、OK返事をした。
それから、義母と一緒に暮らすようになって、私は唯、女房の頑張りに拍手をおくるだけで、何もしてやれないのが、歯痒い。
高齢で、体が不自由、しかし頭の方は、まァ~まぁ!
義母は、何につけても解かっているようだが、共通に分かり合えていないのが、辛い。
そのような高齢者の介護を、何とかこなしたい、と思っている。
偉そうなことをいい加減に言っているわけではない。
私だってこの夏で70歳になる。
時期は兎も角、他人さまのお世話になることは分かりきっている。