2008年8月29日金曜日

敵こそ、我が友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生

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(080815-17:30~)

監督・ケヴィン・マクドナルド

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銀座テアトルシネマの映画紹介よりーーーー。

元ナチスの男は、なぜ裁かれることなく、長年自由の身でいられたのか。その謎から戦後史の裏側を暴く、衝撃ドキュメンタリー!!。東京・銀座テアトルシネマクラウス・バルビーーーー先天の怪物か、戦時の産物か。彼は、1935年に22歳でナチス・ドイツの親衛隊に所属してから、1987年にフランスでの裁判で”終身刑”を宣告されるまでの50数年の間に”3つの人生”を生きた。それもとびきり残虐で欺瞞に満ちた人生を。

第1の人生は、ドイツ占領下のフランスで、レジスタアンス活動家やユダヤ人を迫害、〈リヨンの虐殺者〉の異名をもつ、ゲシュタボとして。

第2の人生は、戦後のヨーロッパでアメリカ陸軍情報部のためにスパイ活動をしていたエージェント・バルビーとして。

第3の人生は、南米ボリビアにおいて、軍事政権を支援、チェ・ゲバラの暗殺計画をも立案したクラウス・アルトマンとしてーー。

バルビーの一生は、政府や秘密組織との醜悪な関係なしには成り立たなかった。大戦後、ドイツとかっての敵国であったアメリカは、バルビーがナチス戦犯だと知りながらも、冷戦に勝ち抜くために対ソ連の諜報活動に利用した。しかし、間もなくバルビーの素性をフランス側に察知されると、”ラット・ライン”を使い、彼を秘密裏に南米へと逃亡させた。”ラット・ライン”とは、まさにねずみの抜け道の如く、国外への逃走ルートを意味し、その策動にはバチカン右派の神父たちが深く関わっていたのだ!多くのナチス残党が海を渡ったその陰で、カトリック右派の聖職者たちがうごめいていた。

1951年、”アルトマン”の偽名を使い、バルビーはボリビアへ到着。1964年、クーデターでボリビアに軍事独裁政権誕生、背景にはバルビーの暗躍があった。時を同じくして1966年にチェ・ゲバラがウルグアイ人に変装し、ボリビアに潜入、ゲリラ活動を開始する。反帝国主義を掲げるゲバラに対し、生涯懸けて反共主義を貫くバルビー。対極にある2人の数奇な運命がここで交錯する。

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本作は、バルビ本人の肉声はもちろんのこと、レジスタンスの英雄であるジャン・ムーラン、バルビー裁判の模様,チェ・ゲバラの演説風景や無造作に横たえられた彼の遺体などの貴重なアーカイブ映像と豊富なインタービューとで構成されている。これらの映像と新たな証言の数々は、どんなスパイ小説や劇映画をも凌駕し、我々に真実を訴える。

戦争が終結してから60年を経た今も尚、国家や政府は得体の知れない組織や個人と関わって、成果を上げているという監督の言葉に、本作の扱う現代社会に通ずる今日的なテーマが明示されている。

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(0808??)

朝日夕刊・文化欄

重層的な20世紀裏面史

評論家・秦 早穂子

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クラウス・バルビー(1913~91)。またの呼び名は〈リヨンの虐殺者(ブッチャー)〉。多くのフランス人にとっては、許しがたき存在だが、一体、彼は何者か?

ナチス・ドイツのゲシュタボとして、彼は43年、リヨンで抵抗運動の統一者ジャン・ムーランを逮捕、拷問。ムーランはドイツへ護送中死んだとされている。更に多くのユダヤ人っを収容所に送ったが、孤児院の子供たちの命まで奪い、生き残ったのは1人。戦後は米陸軍情報部(cic)に雇われ、冷戦下、反共政策の工作員として活躍した。

フランス側のバルビー引渡し要求をかわすため、cicは彼と一家を南米のボリビアに逃がす。51年から83年まで、バルビーはナチス残党の首謀として、第四帝国の建国を夢見た。ここまでは、他の優れたドキュメンタリーでも追及されてきた。

本作は、ムーラン、ユダヤ人、わけてもチェ・ゲバラ暗殺計画に彼が関与した新事実を縦糸に、出生から3度の変名、獄死までを横糸とし、20世紀の裏面史を重層的に抉(えぐ)り出す。

スコットランド出身のケビン・マクドナルド監督は、数多くの資料証言を土台に深い闇に迫る。問題はあまりに複雑で、理解できにくい点もあるが、世界の権力構造は今も決して変わるまい。歴史は長い年月をかけて検証するもの。それにしても事実は想像を絶し、真相は謎だ。

恐怖の弁護士と言われるヴェルジェスはバルビー裁判の法廷で、被害者であるフランス人は加害者でもあると指摘し、人間の責任を追及する。政治、歴史を超え、裏切り、密告、抵抗、協力と、人間の根本的問題にまで突っ込んだ重要な作品である。

新聞拾い読み、5話

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(080824)

朝日朝刊

① 偶然の贈りもの

論説委員・辻篤子

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月より400倍大きい太陽が、ちょうど400倍遠くにある。

月が太陽を完全に隠す皆既日食が見られるのは、この配置の妙のおかげだ。こんな偶然がよくあったものだと、東京・北の丸公園の科学技術館に今週完成した「シンラドーム」の立体映画を見ながら改めて思った。

このドームは、宇宙から細胞の内部まで、最新の研究成果を3次元画像にして見せてくれる。その一つ、国立天文台が作成した画像は、ある天体が地球に衝突し、飛び散った破片が集まって月ができるまでを描いている。月は、ほんの偶然の産物であることがよくわかる。

自然が私たち地球人に「黒い太陽」を見せる粋な計らいをしてくれたのか。中国西域のゴビ砂漠まではるばる出かけて見た今月1日の皆既日食が脳裏に浮かんだ。真珠色のコロナと、プロミネンスと呼ばれる紅色の炎に縁(ふち)取られた黒い太陽は、同行した日食観測歴20回近いベテランもうなる美しさだった。

もっとも、この幸運も永遠には続かない。月は毎年3センチほど、地球から遠ざかっているからだ。いずれ皆既日食は見られなくなる。せめてそれまでは、自然の贈りものを、たっぷり楽しみたい。

幸い、来年7月22日にはトカラ列島など南の島々で見られる。

その後もほぼ3年に2回、地球のどこかで起きる。遠くまで旅するのが面倒という方は、関東地方などで見られる2035年まで長生きを。

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(080820)

朝日朝刊

②離島の決断/物価高でも、自然守る新税

今村尚徳

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沖縄の離島、伊平屋村で7月、「環境協力税」の徴収が始まった。沖縄本島からなら2380円のフェリー代に100円上乗せし税収を島の環境保全に使う。観光客だけではなく村民も負担する。

隣の離島、伊是名村も05年に同様の税を導入しており、伊平屋村は全国で2例目。村によると7月の税収は22万4600円だった。

同じ7月、増田総務相の視察に同行し、沖縄の石垣市を訪れた。住民との会合で、石垣島への渡航費が往復3千円を超すという西表島の女性は「子供を通院させるのは負担が重く、軽い風邪でも入院せざるを得ない」と訴えた。

原油高で渡航費が上がり、離島の暮らしは厳しさを増す。伊平屋村も、100円の負担でさえ重く感じるはずだ。それでも村は、サンゴ礁に囲まれた島の自然を守ろうと、新税導入の道を選んだ。

地方の交通手段の確保は当然必要だ。一方で、便利さだけではなく、歴史や文化、自然を大切にしなければ地域の豊かさは生まれない。負担を受け入れた離島の決断を、都市に住む一人として重く受け止めたい。

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(080827)

朝日朝刊

③ワンバウンドが駄目なら/MLB

イチロー怒りのストライク返球

シアトル=山田佳毅

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「あれって僕のエラーなんですか。解せないですね」。味方の劇的なサヨナアラ本塁打で延長戦を制した後も、イチローは不服そうだった。

3回2死二塁、ツインッズのカシーヤが右前に転がした打球をつかむと、イチローは本塁へ低いワンバウンド送球。これを捕手のバークが捕球し損なう。二塁走者は生還し、打者走者は一気に三塁へ。イチローの送球に「失策」が記録されたのだ。4回、同じ場面がきた。2死二塁で右前安打。ならば、ということだろう。猛然とダッシュして捕球したイチローは、捕手のミットっをめがけてノーバウンドのストライク送球。ミットが高い音を立てて球を吸い込み、今度は走者を悠々とタッチアウトにした。

チーム内に存在する野手としてのレベルの差は、イチローの悩みの一つだった。捕ってくれないのはつらいか、との問いに「聞くまでもないよね」。ただ、2度目の有無を言わさぬプレーで、少しだけ溜飲を下げたように見えた。

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(080826)

朝日朝刊

④ウシやシカ、方位磁針と同じ向き

グーグル・アースで発見/ドイツ・チェコのチーム調査

香取啓介

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哺乳類の「弟六感」は地磁気を感じる力---。ウシやシカのこんな隠れた能力が、ドイツとチェコのチームの調査で明らかになった。草をはんだり休んだりしているとき、体は方位磁石の針のように、おおむね地磁気の南北を向いている。米科学アカデミー紀要(電子版)に発表する。

ネット上で無料公開されている衛星写真「グーグル・アース」で、欧州、アフリカ、アジア、南・北アメリカ、オーストラリアの計308の牧場を調べた。草をはんだり休んだりしている計8510頭の牛を選び出し、体の向きを調べたら、多くの牛が地磁気の南北を向いていた。

チェコ国内で野生のシカ計2974頭の生態や雪に残った「寝床」の跡を調べた結果も、同様だった。シカの場合、大半が頭を地磁気の北極(磁北極)に向けていた。

ウシやシカが体を同じ方向に向けることは以前から知られていたが、風や太陽の向きの影響だと考えられていた。地磁気を感じる力は、渡り鳥やサケなどが身につけて移動に使っているが、哺乳類ではネズミの仲間やコウモリなどで報告があるだけだった。

チームは「何千年もの間、牧童や狩人が気づかなかったことに驚いている。人間も、座る向きが南北と東西とでは、脳波が明らかに異なる。こうした研究の端緒になるだろう」としている。

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(080822)

朝日朝刊

⑤食の安全/牛レバーの生食、危険伝えよ

九州大准教授〈細菌学〉・藤井 潤

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牛の生レバーやユッケなどを食べて、O157など腸管出血性大腸菌に感染する人が目立つ。きわめて危険で死亡することもあるのに、飲食店では幼児や児童、老人までもが平気で生肉を口にしている。これは、私のように細菌学を専門とする立場からは自殺行為に映る。国や自治体は十分な啓発や防止措置を講じてほしい。

厚生労働省によると、腸管出血性大腸菌が原因で07年に発生した食中毒事件は25件。このうちの10件は牛の生レバーやユッケ、焼肉料理が原因だった可能性があると判断された。06年は24件のうち17件で生レバーなどが関係していたとみられ、原因の多くを占めている。

腸管出血性大腸菌は牛の腸内に存在し、わずかな量がヒトの体内に入るだけで下痢や発熱、激しい腹痛や血便を引き起こす。幼児や老人は重症化しやすく、老人ホームなどで発症者の1割前後が死亡した例もある。

96年にレバーの生食で食中毒が発生したため、厚労省は98年に牛と馬の生食に関する衛生基準を定めた。それによれば、とちく場や食肉処理場、飲食店での肝臓処理は専用のまな板や包丁を使い、販売時は「生食用」と表示することなどとされた。

しかし、強制力はないので、多くの飲食店はいまも加熱用の肉を生で客に出している。事実、埼玉県が6月、119店の飲食店を調べた結果でも83,2%にあたる99店が「生食用」の表示がないまま肉を生で提供していた。それどころか、驚くべきことに厚労省の調査では、07年度に全国のとちく場から出荷された生食用の生レバーはゼロだった。牛レバーに限れば、市場には厚労省基準を満たす食材はそもそも存在しないことになる。

厚労省はまた、若齢者や高齢者らが生肉を口にしないようにという注意喚起をしている。しかし、ほとんどの国民はいまだレバ刺しなどの危険を認識せず、「生食用」と表示された牛肉や馬肉が存在することさえ知らないのではないか。

最近の知見では、牛の肝臓には、一定の割合で食中毒原因菌のカンピロバクターが存在することもわかってきた。厚労省は通知を出してよしとせず、特に牛レバーの危険についてより積極的に国民に周知してほしい。

衛星基準のあり方も再検討すべきであろう。多くの店で基準が守られていない以上、メニューに生食用の肉を使っていることの記載を義務づけるなど、より強い措置が必要ではないか。

私たちも、牛の生肉は時にヒトを死に至らしめることをよく認識し、飲食店は少なくとも加熱用牛レバーを生食用として提供することをやめ、消費者も口にすることを避けてほしい。

ヒャクニチソウ(百日草)とサルスベリ(百日紅)

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先日、横須賀の武に、司法書士の銀子正美さんと不動産の登記のことでお客様の家にお邪魔した。客間には仏壇があって、花瓶にヒャクニチソウが挿してあった。花についての知識は乏しいのですが、見た瞬間、懐かしさがこみ上げてきた。無粋な私の目にも快かった。ヒャクニチソウが久しぶりだったのです。子供の頃、祖母が畑の隅っこで花壇を作っていた。春に種を蒔いて、夏の早い時期に花を咲かせるのでした。祖母は、この花はヒャクニチソウと言って、百日は無理だけれど、それ程長く咲いているので、このような名前がついたんだ、と教えてくれた。子供心に、花の名前もそのようにして付けられるものなのだと、感心した。祖母は、咲いた花を切って仏壇にお供えしていた。几帳面な人だった。仏壇には、祖母の夫と私の父の兄(祖母にとっては、長男)が祀られていた。祖母が言うように、真夏の炎天下、花は長く咲いていた。切花にした花も、日持ちした。その祖母は、私が社会人2年生のとき亡くなった。父や母には厳しかったけれど、私には優しく、よく可愛がってくれた。

そして、場面は変わります。

私は、今でも毎朝犬の散歩をしています。もう15年程の習慣になっている。雨の日も、風の日も、雪が降っている日も、決して欠かしたことはありません。一年半前に逝ったゴンとは13年間、ポンタとツバサとは今から4年程前から。約4年間は、犬3頭との散歩だった。この犬との毎日の散歩は、とても楽しいのです。睡眠時間をたっぷりとった後なので、精神状態は、とても穏やかな時間帯なのです。夏も冬も、朝5時に家を出るのです。大型犬だったゴンとは、どんどん遠くまで散歩した。

犬との散歩で、私はそれぞれの家の庭に咲いている花や、樹木や花木を観賞するのも楽しみの一つにしているのです。管理が行き届いている庭や、人の手をあまりかけていない野放図な庭、草花の寄せ植え、野菜に重きをおいている庭、そんな他所の家の庭を見て回るのです。又、コンクリートの縁石のちょっとした隙間から、名も知らぬ草花が咲いていたりするのです。近所の誰かが作った割り箸のような柵でその小さな花を守っている。にっこり、微笑まずにはおれません。U字溝の枡の底から生えて、鉄の格子から首を出している草。ガンバレ。春夏秋冬と、それぞれの季節の変わりようも楽しい。景色はきちんと変わるのです。

夏、今頃のことです。夏の草花は多種だけれども、花の咲く花木が割と少ないように感じるのです。その少ない花木のなかで、一番目につくのがサルスベリです。紅い花、白、紫に近い赤、白に少しピンクがかった色、微妙に違った花をつけるサルスベリが今、盛りなのです。散歩中、遠くに色モノの花を見つけると、私は犬の都合など無視して、その花に向かっていくのです。そして、確認するのです。名前は知らないが、かなりの花を見ています。それが、今はサルスベリなのです。大木にならないので、家庭の庭木や街路樹に使われているのが多いように思う。枝に小さな花が群れて咲き、その枝の先に次から次と蕾ができて、それが開花し、いつまでも枝に花が咲いているように見えるのです。当然、咲いた花は、時間が経つと散り、地面にはジュウタンが敷き詰められたように、紅だったり、白だったり、ピンクだったり、あまり性急に掃かなくてもいいに、と私は惜しむ。

相模鉄道の駅「万騎が原」の駅前の通りの街路樹は、立派ですよ。

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そして、サルスベリのことを調べようと、インターネットで、「さるすべり」と、キーを叩いた。猿滑り、だろうか。植物学名なら、カタカナだな。それで、変換していたら、「猿滑り」は出てこなくて、「百日紅」と出た。はっは~ん、なるほど、と納得したのです。

田舎で祖母から教えてもらった百日草(ヒャクニチソウ)と、この頃のこの百日紅(サルスベリ)が、私の頭の中で連なった、ということです。

私が家人に、百日草やサルスベリの話をしたら、彼女が庭の花を指差し、あの花が日日草です、と言うではないか。私にとって一番身近な、自分の庭の花を見てはいながら、その名を知ろうとしなかった、そのうかつさを恥じた。日日草は、梅雨の頃から秋まで咲き続け、日々新しい花が咲き変わることからこの名前がついたそうだ。それぞれの花は1日花ではなく、3~5日はもつ。

私も、昨日(080829)、女性スタッフに花屋さんから買ってきてもらって、会社の前にプランタン3個に12株の日日草を植えた。社員の目に、お客さんの目に留まれば、嬉しいのだが。

千日草って花もあるらしい。これは後日なんかで、縁があろう。

2008年8月25日月曜日

カッコつけかた「団塊」に学べ

私は昭和23年9月の生まれです。ネズミ歳です。団塊世代の後半部です。経済活動のなかで、色んな人に巡り合って、仕事や仕事以外の局面局面で、あなたはどのように考えたり 、思ったりしているのですか、と尋ねられることが多い。その折、真面目には答えてきた心算だ。

お前は、何のために会社を運営してるの?私はその質問に、金持ちになりたいわけではありません、と答える。と、質問者はその真意を確かめたがった。それじゃ、お前は何故そんなに苦労して、何が目的なんだ、と質問は段々厳しくなってくる。私は、迷うことなく言い切ります。私の人生の証明のためです。それって、どういうことや。私は、それは評価です。私の実績を、人はどのように私のことを評価するのか、それを確かめたいのです。果たして「私は何者なんじゃ」を知りたいのです。

そのように私は考えながら生きてきた。後の文章を読んで、私が生きてきた道程のなかで、自分の今までの言辞に対しても、なるほどと思わせる答えがあって、後日のためにも保存したい文章だと思って転載させていただいた。

私の生き方と言っても、そんなに大した原理原則があるわけではないのですが、でも、だ、ちっぽけな私にだって、誰にも侵されたくないささやかな原理があるのだ。それは、知らず知らずのうちに、自分の中に秘め育てているようですね。

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カッコつけかた「団塊」に学べ

(080821)

朝日朝刊

プロデューサー・残間里江子

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戦後最長といっても、良くも悪くもないふつうの時間がずっと続いてきたような景気拡大期だったが、その終わりにさしかかって、吹く風がいきなり冷たく感じられるようになった。

とはいっても、団塊の多くの人たちは、まだ風の冷たさを実感していない。私一人だけじゃない、みんながいるから大丈夫と、のんきに構えている。幼い頃から多くの仲間とひしめき合って生きてきた団塊世代にとって、自然に身についたコミューン(共同体)的な感覚が冷たい風にも吹き飛ばされないという自信を支えている。

奇妙な自信のもう一つの支えは、貧乏の体験だ。高度経済成長を担った団塊世代には、経済の谷底にずっとうごめいてきたという記憶はない。だが、物心つくころは、戦後の貧しい光景があちこちに広がっていた。飢餓も含めて、貧乏や困窮の味は、疑似体験にせよ誰もが知っている。団塊の人たちにとって、これから吹き付けるだろう冷たい風も、人生のスタート時の大変さに比べれば物の数に入らないと思えてしまうのだ。

団塊の世代は、後に続く現役世代からは「ハッピーリタイヤー(幸福な引退)」などと揶揄される。一方で上の世代を見れば、後期高齢者医療制度の冷たさが、やがて自分たちも襲うのではないかという不安にとらわれもする。そんな中で、定年退職後に始めて迎える不況。その風を肌身に感じながら、彼等はうろたえるだろうか。

「お金がないなら、高い酒を飲むのはカッコ悪い」。それが団塊世代の選択だろう。いっそ昔たしなんだ安酒で若い頃の思い出に浸る方がカッコいい。

あるいは「最近、野菜が高いから、自家菜園をはじめた」と、友達にカッコつけるだろう。「都会でカツカツに暮らすのもなんだから、地方で町づくりプランナーの募集に応募したよ」と、移住の理由をカッコよく説明するかも知れない。

団塊世代の価値観の軸は、カッコいいか悪いか、分かれ目は知的(に見える)かどうかさ。自分の感性や考え方に共鳴してくれるはずの友人が、カッコいいと評価してくれるか、どうか。

この(単純な)価値観が、冷たい風に抗するのに意外と力を発揮するのではないか。こんな経済情勢下で「富裕層の皆様に」などというささやきかけに乗るのは、まことにカッコ悪い。みんなが生活に苦労しているのに、自分だけいい目にあっていると感じるのは、本当にカッコ悪い。そう思うのはまさに、暮らしを身の丈サイズに合わせる団塊の知恵だと思う。

無理にカッコつけているわけではない。バブル以降に買いためて消費しきれなかった物が、たんすの中にいくらでもある。おごってしまった舌も、昔はご飯と漬物で満足していたと思い出せば、ここ何十年間かが食べ過ぎだったんだと思い直せる。退職記念に買った高価なギターだって、手に入れた日の感激をいちど個人史に書き加えたなら、ちゅうちょなく手放せる。

明日は檜になろうとずっと思い続けてきた団塊世代は、同時に「ダメでもともと」の潔さももっている。団塊にとって、ともに座右の銘である「あすなろ」と「ダメもと」は、格差に苦しむ若い世代にとっても希望の言葉となるのではないか。

残間理江子(ざんまりえこ)=50年生まれ。アナウンサーや雑誌編集者を経て独立。生活・地域振興やマーケティングなどに詳しい。著書に「それでいいのか蕎麦打ち男」など。

2008年8月23日土曜日

今からでも遅くない!!岡田ジャパン

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080820。サッカーの日本代表は、9月6日のW杯アジア予選のバーレーン戦に向けてウルグアイと、札幌ドームで親善試合をおこなった。仮想、対バーレーン戦です。試合結果は1-3で日本は完敗した。

試合後、テクニシャン小野伸二は記者に、相手チームのことを「よく走りますね、このチームは。近代サッカーでは走らないとダメですね」、と同じ内容のコメントを二度も繰り返したそうだ。そこでだ、小野君、君は高度な能力をもち、ヨーロッパの名門チームに所属している君ならではの、ゲーム分析評なのだ。君はちゃんと、試合の内容を詳細に把握し、プレー中も理解している。それなら、試合中に、走って相手チームを、何故崩そうと試みないのか。君のように冷静に判断できる者こそ、いやな試合の流れを修正できる、と私は思っている。その修正能力が高かった中田英寿は、やったぜ。中村俊輔もできる。でも、その中田はもういない。君にこそその役割をやってもらうしかないのだ。それができないようであれば、チームにとって君は邪魔なのかもしれないのです。今後の日本について問われれば、主戦場をドイツに置く男として「相手にかわされようと90分間のハードワークすること」と説いた。だが、それは自身の耳にも痛い、と紙上にはある。ここで、又、私は吼える。そんなに解っているなら、何故、試合中に小野君、君は自分のパフォーマンスを見せられないのだ?

オシム前監督は、言っていた。日本には、うまくなったら走らなくてもいいのだ、というような風潮がある、と。そこで、岡田監督、私が信頼している監督さん、ガツガツ走る選手を率先して使ってみてはどうだろう。走ることは、考えることです。走りながら、相手を動かし、陣営を崩して、チャンスを作る。ほころびが生まれたら、そこにこそ攻撃のすべての動きを連動させる。強い意志をもって、果敢に闘うのだ。それが、勝負というものだ。

小野伸二にしても、この程度なのだから、考えて行動する、は難しいのかもしれない。そしたら、考えなくても意識しなくても走れる選手、頑張れる選手、シュートまでどんなにしてでも持ち込もうとする選手、俺が、俺が必ず入れてやると意気込む選手、そんな選手を本番では使って欲しい。小野にはオーラがあると紙上に書かれている、だから、私は小野が怖いのだ。上手すぎる、それがアカンのだ。影響力があり過ぎて危険なのです。

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大胆な選手の起用を考えてくれ。
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試合内容を、スポーツニッポン紙の記事を借りて記しておこう。ウルグアイが、長いパスを早いタイミングで入れてくるアジアの強豪と似た攻め方をしたので、いいテストができた。バーレーンはボールを奪ってから速攻を得意としている。後半3分、中村憲は右サイドをゴールライン付近まで駆け上がり、小野からのパスを受けて右足で蹴ったボールが相手チームのプレヤーにあたって、オウンゴールを誘った。これが、先制点になり、それから5,6分間の日本の攻撃はよかった。阿部が中盤を押し上げ、攻撃に厚みができた。が、日本の攻撃はその後、中盤は間延びし、相手を崩すまではいかなかった。トップの玉田、下がりめの田中達、玉田に代わった大黒も、佐藤秀も山瀬も空回り。日本代表には、ボールに絡む積極性がみられない。球際の激しさを貫いたのは、ウルグアイだった。

守備が肝心要だ。私も学生時代、守備を任されていた。絶対、相手にゴールをわらせせない、と我武者羅に守りきった。狂ったように守った。猛者が必要だ。ケガで出場できなかった選手もいたと聞いている。敢えてあの選手がいいんじゃないの、と安易なことは言えないが、岡田監督には解っているはずだ。走れる選手と狂ったように守れる選手による布陣を整えて欲しい。

ウンザリした試合運びに、焼酎のお湯割りを飲むピッチがあがり、お湯を注ぐのも忘れてストレートに。もうこれで私のW杯の夢がもてなくなるのでは、と悲嘆にくれたまま布団の上に転がった。こんな試合を繰り返していたら、なんの進歩もあらへんぞ。夢は儚(はかな)く消える、そんな悲しいことにはならないように、祈る。駒はある、駒はいるのだから、岡田監督に、メンバ一の組み直しをして欲しい。北京五輪でのなでしこジャパン(女子日本代表)は、アメリカにもドイツにも負けたけれど、ゴールを狙う攻撃の積極性は大したものだった。サッカーの試合を初めて見たという私の友人は、なでしこファンになりました、と言って興奮していた。

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犬飼新会長もこのゲーム内容を酷評した。「FWがペナルティーエリアの中でパスを出しているようではダメだ。監督も頭が痛いだろう」。

金子達仁のコメントより。北京で1勝もあげられなかった五輪代表が露呈した弱点は、この日戦ったA代表にもはっきりと表れていた。端的に言えば「チャンス恐怖症」。攻撃参加するDFについては当てはまらないのだが、本来攻撃を主たる仕事とするはずの選手たちはなぜか決定的な場面になると手柄を味方に譲りたがってしまう。そうでなくても多くはないチャンスを譲り合っているのだから、得点など奪えるはずもない。

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「勝負強さ」研究を
(080822)
朝日朝刊・忠鉢信一

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「勝負どころで相手が上だった」。球技の負けた試合の日本選手を取材している時に、こんなコメントを何度も聞いた。
男女のサッカー。男女のビーチバレー。女子のホッケー。男子のバレーボール。
日本の球技の選手は「勝負弱い」のだろうか。だとしたら、どうやって克服したらいいのか。勝負強さの強化法というものは聞いたことがない。まず勝負強さの正体を解明することが、具体的な強化の第一歩になる。
ソフトボールの斉藤監督は「集中力」と言っていた。きっとそれも関係がある。
サッカー女子のFW大野は「マークが外れてここだと思っても、走れないことがあった」と反省していた。単純な体力だけでなく、体力をどう配分するかも大事だ。
サッカー男子のDF内田は「いつでも自分の力を出せると思うのは甘い」と話していた。自分が不十分な状態をどうしのぎ、相手が不十分なところをどう攻めるか。それも勝負強さだろう。
闘争心のような精神力だけでなく、状況判断や駆け引きのスキルが絡んでいそうだ。
かって日本選手は「プレッシャーに弱い」と言われていた。日本体育協会が85年に「スポーツ選手のメンタルマネジメント研究」を始め、今ではプレッシャーを克服するための具体的なノウハウやスキルがある。
同じように勝負強さについての研究に取り組めば、対策が見えてくるかもしれない。

2008年8月19日火曜日

新聞拾い読み 5話

①長嶋さんが似合う場所
(080729)

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高層ホテルから眺める東京ドームは、まるで宇宙の果てから地球に降り立った巨大宇宙船である。居心地が悪そうであり、場違いであり、そこに存在していることに戸惑っている。
「プロ野球」と「場違い」からの連想で頭に浮かんだのは、10年ほど前の取材で訪れた東大総長室での一場面だった。
当時総長で、サッカーのACミラン(イタリア)大好き「少年」蓮実重彦さんと、巨人大嫌い長嶋大好きの文芸評論家、渡部直己さんが、長嶋について「意気投合」していた。テーマは「ラテン系・長嶋茂雄」。
蓮見さんが話す。
「野球はアングロサクソンのスポーツ。サッカーはラテンのスポーツ。長嶋の最大の功績は、ラテンのノリを野球に持ち込んだことですよ」
渡部さんの応じる。
「長嶋以前に「長嶋」はいないし、長嶋以後に「長嶋」はいない。彼は、天から舞い降りた神のプレゼントです」
新人の58年、東京ドームの前身・後楽園球場で4打席連続三振でデビューしながら、打点、本塁打の2冠王。簡単なゴロも猛ダッシュでさばき、空振りのときのヘルメットの落ち方まで「絵になる」ように研究した。
監督になってからも、彼自身が「東京ドームでの一番の思い出」と振り返る96年シーズン(11.5ゲーム差を逆転してリーグ優勝)のように、数々の「メークドラマ」を披露した。

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②親離れ、あとは山下先生に任せよう
(080726)
柔道家 井上康生のおやじ・明さん

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4 
シドニー五輪の表彰台。金メダルの康生は、かず子の遺影を掲げた

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1996年、くも膜下出血で急死した妻かず子(享年51歳)の通夜・葬儀じは3日3晩続けて執り行われた。火葬場から自宅に戻った明(62)は康生(30)の雰囲気がおかしいことに気づいた。庭に出るときトイレに行くときも、ずっと後をついてくる。
明は最初、康生が父親の自殺を心配しているのでは?と思った。そして、こんな会話が始まった。
「康生、おれは子供3人おいて、お母さんの後を追うような馬鹿なまねはしない。安心しろ」
「いや、実はーー。おやじ、今日これから、東京に帰らせて欲しい」
「なに、帰る?」
「全日本の大学柔道大会があるのだ」。絶句した明は、怒鳴りつけた。
「母親の葬儀の日に、なにを言い出すんだ。そんな大会やめろ。そんな大学も、いますぐやめろ」

康生は当時、3年生ながら東海大学のエースである。監督として康生を育てた山下泰裕(51)も葬儀に出席し、一足先に空港に向かっていた。山下が康生をそそのかしたと考え、明は激高した。
なだめたのは、長男将明(6年後に32歳で急逝)だった。
「上手に言うわけです。康生がここで嘆き悲しんでいるのと、大会に出場して勝つのと、母親はどっちが喜ぶかと」
最後に別れた明は康生を空港に送っていく。車を降りた康生が横断歩道を渡り空港ビルに入る。すると、康生の大きな背中に突然もう一つの大きな背中が近づき、肩を抱くではないか。山下である。
「抱き合う二つの背中を見て思いました。山下先生には負けたと。康生を信じて、先生はずっと空港で待っていた」
明が康生の親離れを確信し、いっさいを山下に任せようと決めた瞬間だった。
それ以降の活躍は改めて述べるまでもない。アジア大会の金、シドニー五輪で金、世界選手権3連覇ーー。
「私と康生の師弟関係は、かず子の葬儀の日まで。そのあとは全部、康生自身の努力、努力。私はなーんにもしてません」
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③8月と五輪/時の肖像
(080811) 朝日 朝刊
高橋郁男(論説顧問)

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「もし輪廻というものが実際に存在し、再びこの世に生まれてきたら、わたしは自分が作ったものを全部こわしてしまうであろう」
近代五輪を創設したクーベルタンが、そう語ったと伝えられる。
人の世が美しいことだけで成り立っていない以上、五輪もまた、美しいだけのものではありえない。
それは認めるとしても、やみくもな商品化や、国威発揚のたくらみに流され続けていいはずもない。
企業、国家からの過剰な支援や、人体を改造するかのような動きからは自由になるべきだろう。主役はあくまでも選手であり、そのひとりひとりが全力を尽くす姿を、時には勝ち負けや国籍を超えて讃え合う五輪をめざしたい。
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北京五輪
中村礼子
④200背泳ぎで銅メダル

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北京五輪第9日の16日、競泳の女子200メートル背泳ぎで、中村礼子(東京SC)が04年アテネに続く2大会連続の銅メダルを2分7秒13の日本新記録で獲得した。日本女子の個人種目の2大会連続メダルは、200平泳ぎの前畑秀子(32年ロサンゼルス銀、36年ベルリン金)以来だ。
この中村礼子の話だ。
今回の北京五輪で、100メートル背泳ぎ予選で日本記録を0秒46更新する泳ぎを見せた。だが、体力を使い果たした。6位に終わった。平井コーチの前で大泣きした。
「頑張るということは、もうだめと思ったときが始まり」
座右の銘にしている。どこで見つけた言葉か、覚えていない。逃げたくなった時、必ずこの言葉を思い出し、乗り越えて来た。

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④死に至る病 (四知)
朝日(080814)

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「死に至る病」が、日本列島に蔓延している。この病は別名を絶望という。その病根には、劣化する現在日本の経済・社会がある。
この世は危険に満ちており、人は一人では生きられないので、血縁による大家族制や地縁による共同体を形成し、濃密な人間関係を築くことで、脅威を防御してきた。
明治維新後の政府は共同体を崩壊させた。戦後の高度成長は大家族制を解体し、核家族を主流にした。バブル後は核家族すら解体しつつある。
橋本政権以降は、市場原理主義が格差社会を拡大させる一方、自己責任の下に、企業、国家は国民の生存・自由・幸福の追求を保証する安全網を取り外す仕組みづくりを進めてきた。
この結果、格差の進行によって、貧困層は孤立化を深めている。かろうじて保たれている核家族の中でも、ひとたび齟齬をきたせば、残酷な親子・兄妹殺人事件が起こる。
「誰でもよかった」という通り魔事件の容疑者の発言は、孤立化した核家族や個人が、無機質の社会と直接向き合うしかなくなった絶望の声に聞こえる。
濃密な人間関係の記憶が残る老人たちは、振込み詐欺のような悪質業者の格好の餌食となる。貧困に取り残される老人たちには、孤独死に加え、老老介護の果ての心中、殺人が増える。
欧米の「罪の文化」に対し、我が国は「恥の文化」といわれ、廉恥・善意が行動様式であったが、人間性の希薄な社会では恥の文化は意味を失う。
今必要なのは、官僚による対症療法的な制度設計ではなく、坂本龍馬のように、この国を「いま一度センタク」しようとする志である。

2008年8月18日月曜日

なぜ巨象は後塵を拝するか

京五輪の光と影。虚と実。

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北京五輪の開会式が、2008年8月8日に行われた。中国国民は8という数字が、すこぶる好きらしい。日本流には末広がり、だ。古代五輪は「平和の祭典」と言われていた。それでは、今回の北京五輪は果たして、真の「平和の祭典」と言えるのだろうか。
中国産ギョーザ事件があった。これは中国の工場で作ったギョーザが日本のお店に並び、それを食べた人が食中毒を起こしたのです。日中双方でその原因を究明した。が、中国からの返答は、自国工場では何ら原因らしきものは見つかりませんでした、との一辺倒だった。中国側にとっては、かなりグレーだったにも拘わらず、そんな処理の仕方でいいのかな、と頭をひねっていた。それからが、滑稽だった。中国で先に問題があったギョーザが回収され、その回収されたギョーザが中国国内に出回り、それを食した人が食中毒に罹って重体に陥った。そのことを中国は、洞爺湖サミットの際、日本に報告したそうだ。ただし、北京五輪開幕までは秘めておいてもらいたい、との申し出を日本政府は、ヤスヤスと承諾した、と言うことらしい。なんだか、国民そっちのけの政治は、どちらの国も似たり寄ったりだ。失望した。
そして、北京五輪が開幕した。

その開会式に度肝を抜かれた

私は開幕のセレモニーを見て、これは、これは嘘だらけではないのか、嘘っぽいと直感した。その後報道で、やはり出し物に多彩な嘘が盛りだくさんだったことを知った。千発もの「消雨弾」が雲に撃ち込まれ、花火の映像は一部CG,美少女の独唱は口パクだった。裏で歌ったのは、見た目は及ばぬが声は一番とされた別の少女である。音楽監督は「国益を考えた」と明かした。前の文章は朝日新聞の天声人語の一部を流用させていただいた。平和の祭典というものとは、ちょっと違うぞ。中国の文字文明の歴史が、絵巻物のなかに文字を書くことで、表現していた。ダンサーが体につけた墨で字をなぞったり、人間が印字に模して、リズムをとって踊るのです。印字役をはじめ、膨大な数の人間が出演した。演出は、中国の広大な大地を思わせる壮大さだった。
そこで、この大勢の出演者は、誰なんだろうか、どこに所属しているのだろうか。希望者、公務員、体育大学の学生、いろいろと思い巡らせて、ひょっとして軍隊なのでは、と思いついた。
頭の中で、勝手に出演者に軍服に着換えさせてみて、ぎょっ、とした。これらは、私の妄想です。その妄想の先は、私が生まれる12年前の1936年に開催された、ベルリン五輪とヒットラーに行き当たるのでした。その光景を写真でしか見てないので、安易なことは言えないのですが、国威発揚に五輪を大いに利用したことについては同じだろう。が、私は、時代が変わり、人類が進化していることを確信しています。
次には金だ。この開幕セレモニーで費やした総額はきっと莫大な筈だ。この莫大な費用をどこからどうして捻出したのだろうか?。どこから聞き込んできたのか、友人は、4兆円だってよ! と言うのだ。へえ、ホンマか?
中国政府の人権抑圧は、チベット自治区、新彊ウイグル自治区など少数民族支配に象徴的にあらわれている。都市部とくに沿海部と内陸の農村部との巨大な経済格差、異常な環境汚染問題をかかえている。
開幕してから、北京からは貧困層が都市部から追い払われ、外国記者に対しては開かれた報道を謳い、地元メディアには厳しい規制をしている。指導に従わなかった者は、廃業させるぞ、と圧力をかける。現実に、何人もの記者が拘束され、表現の自由が保証されていると言われている香港への入境を拒否されている。街頭での過剰な警備。こんな、中国で北京五輪が、ただいま進行中だ。加油、なんと読むのか知らないのだけれど、ガンバレということらしい。加油が連発され、中国勢は大活躍だ。
何か可笑しいぞ、と思いながらもテレビ中継で競技を楽しんでいる。私は、スポーツが大好きだ。そんな時に、この記事に出くわした。



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なぜ巨象は後塵を拝するか
(080810)
朝日朝刊 編集委員・加藤千洋


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グローバル経済では主役級に躍り出たインドだが、オリンピックの舞台ではなんとも影が薄い。アテネのメダルはクレー射撃での銀が1個だけ。過去にはお家芸の男子ホッケーで8個の金をとっているが、近年は不振続きだった。
一方、中国はアテネで金32個と米国に次ぐメダル大国へと台頭した。
「巨竜」の後塵を拝し続ける「巨象」。その訳は奈辺にありやと北京大学博士課程で研究中の若手インド人学者に問うと、「国民的スポーツは五輪種目にないクリケット。ノーベル賞やIT分野で人材が輩出するインド人は『考える人』、中国人は『行動する人』。この違いでしょうか」という答えが返ってきた。
その北京大で講演した在中国インド大使館の幹部は中国人学生を前に、こんな話を披露したそうだ。
「我が国には選手を商品に、スポーツをビジネスとする米国式資本主義もないし、他方で中国のように優秀選手を武器とし、国威発揚を目指す社会主義的発想もない」
なるほどインド人は自国の民主主義に誇りを持ち、「すべて五輪のために」という挙国体制をとりにくいお国柄なのは確かだろう。
このほかカースト制度や、スポーツに向かない女性の服装などの影響もありそうだが、「それに加えて」と中国メディが異口同音に指摘するのは経済的要因だ。
「インドのスポーツ振興関係予算は中国の8分の1以下。プロ化が遅れて優秀な成績を上げても収入に結びつかない。競技選手を目指す青少年はなかなか生まれないだろう」
そのインドに11日、待望の金メダルがもたらされた。アビナブ・ビンドラ選手が男子エアライフルで優勝した。インドにとって、個人では史上初の金だ。これがインドスポーツ台頭の起点になるかどうか。