2008年8月29日金曜日

敵こそ、我が友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生

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(080815-17:30~)

監督・ケヴィン・マクドナルド

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銀座テアトルシネマの映画紹介よりーーーー。

元ナチスの男は、なぜ裁かれることなく、長年自由の身でいられたのか。その謎から戦後史の裏側を暴く、衝撃ドキュメンタリー!!。東京・銀座テアトルシネマクラウス・バルビーーーー先天の怪物か、戦時の産物か。彼は、1935年に22歳でナチス・ドイツの親衛隊に所属してから、1987年にフランスでの裁判で”終身刑”を宣告されるまでの50数年の間に”3つの人生”を生きた。それもとびきり残虐で欺瞞に満ちた人生を。

第1の人生は、ドイツ占領下のフランスで、レジスタアンス活動家やユダヤ人を迫害、〈リヨンの虐殺者〉の異名をもつ、ゲシュタボとして。

第2の人生は、戦後のヨーロッパでアメリカ陸軍情報部のためにスパイ活動をしていたエージェント・バルビーとして。

第3の人生は、南米ボリビアにおいて、軍事政権を支援、チェ・ゲバラの暗殺計画をも立案したクラウス・アルトマンとしてーー。

バルビーの一生は、政府や秘密組織との醜悪な関係なしには成り立たなかった。大戦後、ドイツとかっての敵国であったアメリカは、バルビーがナチス戦犯だと知りながらも、冷戦に勝ち抜くために対ソ連の諜報活動に利用した。しかし、間もなくバルビーの素性をフランス側に察知されると、”ラット・ライン”を使い、彼を秘密裏に南米へと逃亡させた。”ラット・ライン”とは、まさにねずみの抜け道の如く、国外への逃走ルートを意味し、その策動にはバチカン右派の神父たちが深く関わっていたのだ!多くのナチス残党が海を渡ったその陰で、カトリック右派の聖職者たちがうごめいていた。

1951年、”アルトマン”の偽名を使い、バルビーはボリビアへ到着。1964年、クーデターでボリビアに軍事独裁政権誕生、背景にはバルビーの暗躍があった。時を同じくして1966年にチェ・ゲバラがウルグアイ人に変装し、ボリビアに潜入、ゲリラ活動を開始する。反帝国主義を掲げるゲバラに対し、生涯懸けて反共主義を貫くバルビー。対極にある2人の数奇な運命がここで交錯する。

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本作は、バルビ本人の肉声はもちろんのこと、レジスタンスの英雄であるジャン・ムーラン、バルビー裁判の模様,チェ・ゲバラの演説風景や無造作に横たえられた彼の遺体などの貴重なアーカイブ映像と豊富なインタービューとで構成されている。これらの映像と新たな証言の数々は、どんなスパイ小説や劇映画をも凌駕し、我々に真実を訴える。

戦争が終結してから60年を経た今も尚、国家や政府は得体の知れない組織や個人と関わって、成果を上げているという監督の言葉に、本作の扱う現代社会に通ずる今日的なテーマが明示されている。

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(0808??)

朝日夕刊・文化欄

重層的な20世紀裏面史

評論家・秦 早穂子

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クラウス・バルビー(1913~91)。またの呼び名は〈リヨンの虐殺者(ブッチャー)〉。多くのフランス人にとっては、許しがたき存在だが、一体、彼は何者か?

ナチス・ドイツのゲシュタボとして、彼は43年、リヨンで抵抗運動の統一者ジャン・ムーランを逮捕、拷問。ムーランはドイツへ護送中死んだとされている。更に多くのユダヤ人っを収容所に送ったが、孤児院の子供たちの命まで奪い、生き残ったのは1人。戦後は米陸軍情報部(cic)に雇われ、冷戦下、反共政策の工作員として活躍した。

フランス側のバルビー引渡し要求をかわすため、cicは彼と一家を南米のボリビアに逃がす。51年から83年まで、バルビーはナチス残党の首謀として、第四帝国の建国を夢見た。ここまでは、他の優れたドキュメンタリーでも追及されてきた。

本作は、ムーラン、ユダヤ人、わけてもチェ・ゲバラ暗殺計画に彼が関与した新事実を縦糸に、出生から3度の変名、獄死までを横糸とし、20世紀の裏面史を重層的に抉(えぐ)り出す。

スコットランド出身のケビン・マクドナルド監督は、数多くの資料証言を土台に深い闇に迫る。問題はあまりに複雑で、理解できにくい点もあるが、世界の権力構造は今も決して変わるまい。歴史は長い年月をかけて検証するもの。それにしても事実は想像を絶し、真相は謎だ。

恐怖の弁護士と言われるヴェルジェスはバルビー裁判の法廷で、被害者であるフランス人は加害者でもあると指摘し、人間の責任を追及する。政治、歴史を超え、裏切り、密告、抵抗、協力と、人間の根本的問題にまで突っ込んだ重要な作品である。