(080808)朝日朝刊
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五輪中国(北京オリンピック)に望むこと
「精力善用 自他共栄」
本社主筆/舟橋洋一
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天安門広場から北へ車で30分。「鳥の巣」がスモッグ状曇り空の中、ようやく姿をあらわした。8日、五輪開会式が開かれる北京のオリンピック・スタジアム(国家体育場)の愛称である。
そのぬくもりのあるイメージと語感に、人々のそこに託する気持ちを思う。これをつくったスイス人の建築家も「アンチ・モニュメントを心がけた」と言った。国家ではなく市民をたたえる記念碑を目指したということのようだが、そこはすでに中国の国威発揚の記念碑的構築物になりつつある。紫禁城、天安門広場、そして、「鳥の巣」スタジアムという新たな政治権力空間の登場である。伝統(王朝)と近代(主権国家)とポスト・モダン(グローバル化)をない交ぜにしつつ、「中国の世紀」への跳躍を演出する壮大な国家イベントが幕を開けようとしている。
ホテルで『五輪お天気ニュース』なるフリーペーパーを手にした。協議開催地の気象状態が載っている。中国政府が今一番気をもんでいるのはテロもさることながら天気ではないか。スモッグを晴らすため、あの手この手の「気候操作」を政府は図っているようだが。
開催にあたって、中国政府は「緑色五輪」、つまり環境に優しい五輪にすると大見得を切ったが、北京市の汚染データー改ざん事件も明るみに出た。中国は、環境ではメダルは取り損なったようだ。中国政府はまた、五輪は中国の人権改善に役立つと対外的に説明してきたが、世界の人権擁護団体は、人権圧迫は一段とひどくなっていると報告している。ここでも入賞を逸したと言わざるを得ない。
中国にとっては誤算続きだったに違いない。
胡錦涛政権は北京五輪に、富強、安定、グローバル化などのメッセージを目いっぱい投影しょうとしてきた。宇宙船に五輪旗を積み込んだ。聖火リレーは、5大陸踏破、エベレスト登頂も組み込んだ。
ところが、今年3月、ラサ暴動が起こった。聖火リレーは、チベット、ダルフール虐殺、環境、人権、食品安全などの問題に対する国際社会の中国への抗議の場となった。これに対して中国国民は、聖火リレーを貶(おとし)めるのは中国の主権を侵し、誇りを傷つけようとしていると激しく反発した。それを「中国イジメ」ととらえる若者たちの激しい排外的民族感情が噴出した。
世界は不安を募らせている。一体、中国はどういう国なのか。どこに向かうのか。中国は、世界秩序と国際規範を守るのか。破壊するのか。
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中国の国際化
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中国の外交官たちは、五輪を前に世界中で噴出した対中不信の広がりに、ショックを隠せない。知人の外交官は、それぞれに言った。
「開催時期がちょっと早かったかな。自国の弱さを外国から指摘されても、もっと平常心で対応したいものだ。もう少し自信を持ってから、次か次の次に開催した方がよかったかもしれない」(国連畑)
「外交部の同僚はみんな、疲れている。五輪を成功させなきゃと言うので、外交官が対応にただただ走り回り、外交が受身になっている。お祭りなのに、ちっとも楽しめない」(米国畑)
それでも、中国の五輪開催の意義は、過去1世紀の時間軸の中、それも中国の国際化の観点から位置づけるべきだろう。
中国国内で五輪開催の声が上がったのは1908年、辛亥革命前夜である。「アジアの病人」と呼ばれる母国を体育強化を通じて再生させることを願ってのことだった。32年のロサンゼルス大会に、中国人選手、それもたった1人の選手が参加した。大連出身の陸上短距離、劉長春。
日本の満州侵略と満州国建国への抗議の意も込め、東北軍閥の張学良が資金援助し、送り込んだ。以後半世紀、日中戦争。、内戦、文化大革命と大動乱が続いた。共産党政権の五輪本格復帰は、改革・開放後の84年のロサンゼルスの大会だった。その後、2000年開催に名乗りを上げたものの、天安門事件が足かせとなり実らなかった。北京大会は、過去1世紀の日中韓の発展と国際化のベクトルが重なりつつあることを示唆してもいる。東京五輪(64年)は日本の国際社会への再復帰を後押ししたし、ソウル五輪(88年)は韓国の民主化を促す上で力があった。両国とも、五輪を開かれた国づくりと国際的地位の向上のためのテコとして使った。中国もその流れを受け継いでいる。ただ、中国のこれからの課題は、環境や人権などの地球的、普遍的な価値と取り組みを世界の公共財として、育て、分かち合うことであろう。国際化とはそのように世界を豊かにしていく過程であるはずだ。
そのように考えるとき、最初の非西欧の五輪種目となり、世界のスポーツへと発展した柔道の国際化の意義は大きい。その礎は、20世紀初頭、アジア最初の国際オリンピック委員会(IOC)メンバーとなった講道館館長嘉納治五郎が築いた。嘉納は日清戦争後、設立した「宏文学院」という学舎に7千人以上の中国の留学生を受け入れ、全学生に柔道を課した。その中には魯迅もいた。嘉納は「精力善用 自他共栄」を柔道の哲学とした。
人間の体と心の可能性への挑戦を通じて、スポーツが人間社会の可能性、例えば「精力善用 自他共栄」といった想像力を灯すことを、私は夢見ている、台頭する中国がそのような精神を育み、世界の平和と秩序に資することを私は、願っている。そうした希望を心に秘めながら、五輪競技を中国の国民、そして世界の市民とともに楽しみたいと思う。
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朝日新聞 社説
北京五輪開幕
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「限界への挑戦」が始まる
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世界には実にさまざまな人々がいる。だれもがそのことに目をみはるに違いない。肌の色も、言葉も、宗教も異なる205の国と地域から選手が集まり、北京五輪が今日開幕する。
205の国・地域といえば、国際オリンピック委員会(IOC)に加盟するすべてのメンバーである。加盟国・地域がこぞって参加する大会は、長い五輪の歴史の中でも2大会連続3度目というのだから、その意味も大きい。
さて、このスポーツの祭典の魅力は、何よりも人が持つ能力の限界を競い合うことだ。より速く、より高く、より強く、である。
陸上の男子100メートルには新旧3人の世界記録保持者が挑む。そのなかで5月に9秒72の新記録を出したウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)はまだ21歳の若者だ。
サッカーに夢中だった少年は、陸上を始めても専門は200メートルだった。100メートルに取り組んだのは今年からだ。それなのに、今や世界中から目標にされる存在である。
スポーツでも英才教育が進む一方で、荒削りの才能が突然開花することがある。ジャマイカからやってくる196センチの超大型ランナーはその象徴だろう。
一つの大会での金メダル獲得は、72年ミュンヘン五輪競泳のマーク・スピッツ選手(米)が最も多く、7個だった。同じ水泳王国の後輩にあたるマイケル・フェルプス選手は、それを超える8冠に挑む。種目の専門化が進むなかあで、その万能ぶりは驚きだ。
挑戦するのは、金メダルに対してだけではない。みずからの年齢や限界を超える闘いもある。
馬術の法華津(ほけつ)寛、八木三枝子の両選手は67歳と58歳だ。今大会で男女の最年長選手である。米国の女子競泳のダラ・トーレス選手は41歳だ。2度の引退をへて、5度目の五輪になる。
初参加の国が三つある。モンテネグロは2年前に独立を果たしたばかりだ。人口1万人の島ツバルは、温暖化による海面上昇という大きな心配事を抱えての参加だ。太平洋からはマーシャル諸島の選手もやって来る。
戦争や貧困、環境問題。そんな国際社会の現実からいっとき離れて、世界の人々が4年に1度、スポーツで競い合う。そしてテレビ中継を通じて同じ時間と感動を共有する。そのことの意味は決して小さくない。
もちりん、五輪が抱える問題はある。たとえば、テレビの放映権料を当てにしての大会運営のゆがみ、選手の薬物使用などは悩みの種だ。
ギリシャでの古代五輪は1200年近く続いたが、最後は拝金主義や薬物の使用が横行し、幕を閉じたという。
競技の放つ興奮を楽しみつつ、五輪の将来を考える大会でもありたい。
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祭典が映す隣国の多難さ
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聖火リレーの沿道や五輪会場周辺を埋める赤いシャツと五星紅旗。開幕を迎えた北京の街には赤があふれ、人々の喜びと興奮が高まっている。
五輪を催すまでに発展し、世界に受け入れられたことの誇らしさ。中国の金メダルラッシュもありそうだ。若いナショナリズムは最高潮に達するに違いない。
振り返れば44年前、アジアで最初に開催された東京五輪に、中国は参加しなかった。それどころか、開会式の6日後、初の原爆実験を行い、世界を驚かせた。米ソ両超大国との対立を深めつつ、共産中国の建設のまっただ中にあった。五輪の開催など夢にも考えられなかった。
新中国が五輪に初参加したのは52年のヘルシンキ大会だった。その後は台湾問題などからボイコットを続け、夏季五輪に正式に復帰したのは84年のロサイイゼルス大会からだ。
東京五輪から間もなく、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れた。そして鄧小平時代からの改革・開放政策で、ここまでたどりついた。世界はこの間の中国の変貌と発展に驚嘆している。
中国の人々の喜びは、そうした建国以来の歩みだけが理由ではない。
19世紀のアヘン戦争以来、西洋列強や日本の侵略を受け続けた歴史から来る屈辱感。心理的なトラウマとして今も意識の奥に潜むと言われている。五輪開催は、それを晴らす一つの機会なのかもしれない。
そんな中国のナショナリズムは、ときに爆発的なエネルギーを放つ。最近では99年に反米、05年に反日、今年は反仏の大規模デモを各地で引き起こした。共産党支配を揺るがしかねない力を秘めていると言っていいだろう。
このエネルギーをどう束ねていくか。これこそが今後、中国が直面する最も重大な課題なのではないか。さらなる発展の原動力になれば幸いだが、暴走しだすと社会は不安定になり、日本を含めて近隣国や国際社会も安心していられなくなる。
北京五輪によって、中国の歴史に輝きに満ちた新しいページが開かれる。
中国の人々はそう期待しているに違いない。だが、現実はそう簡単ではない。経済格差や腐敗、環境汚染など急速な発展のゆがみが噴出している。ウイグルやチベットの問題も内政の枠を超えた深刻さをはらむ。
日本も、韓国も、五輪開催後の道は平坦ではなかったが、中国の大きさと発展の速度は日韓の比ではない。
ただでさえ社会不安をもたらしかねない課題を山のように抱える中で、若いナショナリズムの独り歩きをどう防ぎ、建設的な方向に導いていくか。
日中平和友好条約の締結から30年。アジアで3度目の五輪開催を喜びつつ、13億人の隣国の多難さを思う。