2008年8月18日月曜日

なぜ巨象は後塵を拝するか

京五輪の光と影。虚と実。

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北京五輪の開会式が、2008年8月8日に行われた。中国国民は8という数字が、すこぶる好きらしい。日本流には末広がり、だ。古代五輪は「平和の祭典」と言われていた。それでは、今回の北京五輪は果たして、真の「平和の祭典」と言えるのだろうか。
中国産ギョーザ事件があった。これは中国の工場で作ったギョーザが日本のお店に並び、それを食べた人が食中毒を起こしたのです。日中双方でその原因を究明した。が、中国からの返答は、自国工場では何ら原因らしきものは見つかりませんでした、との一辺倒だった。中国側にとっては、かなりグレーだったにも拘わらず、そんな処理の仕方でいいのかな、と頭をひねっていた。それからが、滑稽だった。中国で先に問題があったギョーザが回収され、その回収されたギョーザが中国国内に出回り、それを食した人が食中毒に罹って重体に陥った。そのことを中国は、洞爺湖サミットの際、日本に報告したそうだ。ただし、北京五輪開幕までは秘めておいてもらいたい、との申し出を日本政府は、ヤスヤスと承諾した、と言うことらしい。なんだか、国民そっちのけの政治は、どちらの国も似たり寄ったりだ。失望した。
そして、北京五輪が開幕した。

その開会式に度肝を抜かれた

私は開幕のセレモニーを見て、これは、これは嘘だらけではないのか、嘘っぽいと直感した。その後報道で、やはり出し物に多彩な嘘が盛りだくさんだったことを知った。千発もの「消雨弾」が雲に撃ち込まれ、花火の映像は一部CG,美少女の独唱は口パクだった。裏で歌ったのは、見た目は及ばぬが声は一番とされた別の少女である。音楽監督は「国益を考えた」と明かした。前の文章は朝日新聞の天声人語の一部を流用させていただいた。平和の祭典というものとは、ちょっと違うぞ。中国の文字文明の歴史が、絵巻物のなかに文字を書くことで、表現していた。ダンサーが体につけた墨で字をなぞったり、人間が印字に模して、リズムをとって踊るのです。印字役をはじめ、膨大な数の人間が出演した。演出は、中国の広大な大地を思わせる壮大さだった。
そこで、この大勢の出演者は、誰なんだろうか、どこに所属しているのだろうか。希望者、公務員、体育大学の学生、いろいろと思い巡らせて、ひょっとして軍隊なのでは、と思いついた。
頭の中で、勝手に出演者に軍服に着換えさせてみて、ぎょっ、とした。これらは、私の妄想です。その妄想の先は、私が生まれる12年前の1936年に開催された、ベルリン五輪とヒットラーに行き当たるのでした。その光景を写真でしか見てないので、安易なことは言えないのですが、国威発揚に五輪を大いに利用したことについては同じだろう。が、私は、時代が変わり、人類が進化していることを確信しています。
次には金だ。この開幕セレモニーで費やした総額はきっと莫大な筈だ。この莫大な費用をどこからどうして捻出したのだろうか?。どこから聞き込んできたのか、友人は、4兆円だってよ! と言うのだ。へえ、ホンマか?
中国政府の人権抑圧は、チベット自治区、新彊ウイグル自治区など少数民族支配に象徴的にあらわれている。都市部とくに沿海部と内陸の農村部との巨大な経済格差、異常な環境汚染問題をかかえている。
開幕してから、北京からは貧困層が都市部から追い払われ、外国記者に対しては開かれた報道を謳い、地元メディアには厳しい規制をしている。指導に従わなかった者は、廃業させるぞ、と圧力をかける。現実に、何人もの記者が拘束され、表現の自由が保証されていると言われている香港への入境を拒否されている。街頭での過剰な警備。こんな、中国で北京五輪が、ただいま進行中だ。加油、なんと読むのか知らないのだけれど、ガンバレということらしい。加油が連発され、中国勢は大活躍だ。
何か可笑しいぞ、と思いながらもテレビ中継で競技を楽しんでいる。私は、スポーツが大好きだ。そんな時に、この記事に出くわした。



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なぜ巨象は後塵を拝するか
(080810)
朝日朝刊 編集委員・加藤千洋


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グローバル経済では主役級に躍り出たインドだが、オリンピックの舞台ではなんとも影が薄い。アテネのメダルはクレー射撃での銀が1個だけ。過去にはお家芸の男子ホッケーで8個の金をとっているが、近年は不振続きだった。
一方、中国はアテネで金32個と米国に次ぐメダル大国へと台頭した。
「巨竜」の後塵を拝し続ける「巨象」。その訳は奈辺にありやと北京大学博士課程で研究中の若手インド人学者に問うと、「国民的スポーツは五輪種目にないクリケット。ノーベル賞やIT分野で人材が輩出するインド人は『考える人』、中国人は『行動する人』。この違いでしょうか」という答えが返ってきた。
その北京大で講演した在中国インド大使館の幹部は中国人学生を前に、こんな話を披露したそうだ。
「我が国には選手を商品に、スポーツをビジネスとする米国式資本主義もないし、他方で中国のように優秀選手を武器とし、国威発揚を目指す社会主義的発想もない」
なるほどインド人は自国の民主主義に誇りを持ち、「すべて五輪のために」という挙国体制をとりにくいお国柄なのは確かだろう。
このほかカースト制度や、スポーツに向かない女性の服装などの影響もありそうだが、「それに加えて」と中国メディが異口同音に指摘するのは経済的要因だ。
「インドのスポーツ振興関係予算は中国の8分の1以下。プロ化が遅れて優秀な成績を上げても収入に結びつかない。競技選手を目指す青少年はなかなか生まれないだろう」
そのインドに11日、待望の金メダルがもたらされた。アビナブ・ビンドラ選手が男子エアライフルで優勝した。インドにとって、個人では史上初の金だ。これがインドスポーツ台頭の起点になるかどうか。