2008年8月10日日曜日

郷里は源氏物語のメイン会場だった。


上原まり(朗読・筑前琵琶) 瀬戸内源氏を語る

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瀬戸内寂聴訳源氏物語


源氏物語三十一帖 真木柱(まきはしら)

横浜市岩間市民プラザ・ホール/ ( 080803)/ 開演17:00

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正確には、源氏物語のメイン会場は私の生まれた町のお隣の宇治市でした。
私が、生まれて育って、20歳で東京の学校に入るまでは、京都府綴喜郡宇治田原町で過ごした。宇治田原町は、宇治川に流れ込む田原川の河岸段丘にある。猫の額ほどもない平らな部分が住宅地で、ほとんどが山で、少しの畑と水田がある。宇治川を遡っていくと、瀬田川になり、琵琶湖下流の瀬田のあらい堰にたどり着く。湖畔には大津、石山だ。川は下っていくと、宇治から伏見を抜けて、木津川と合流して淀川になる。名前が宇治市と宇治田原町で、呼称は似ているものの、行政的に別々の市と町だ。住宅開発のために茶畑が少なくなっていく宇治に代わって、我が宇治田原町は開墾を重ねて茶畑を増やしている。今では、宇治茶の生産地としては、もう我が宇治田原町の方が量的に圧倒している。私の実家は、お茶の専業農家として、甥っ子が屋台骨を支えている。この甥も若い頃には、茶畑なんか、売ってしまえばいいんだ、なんて血迷っていたこともあったのだが、今は頼もしい後継人だ。
私はそんな「宇治」という市の名前が、町名の一部に組み込まれている【「宇治」田原町】の町民として育ったのです。私を育ててくれた生家は、農耕作業や山仕事以外の話を、家庭内では話したことがなかった。実生活においては、農業文化についてだけは、濃い生活をしていたなあと思う。
宇治にある京都府立城南高校に通いだしてからは、源氏物語の重要な部分で宇治が舞台になっていることを知った。が、もうそのときはズッポリサッカーに狂っていて、本を読むことなんて考えられない環境に自身を追い込んでいた。
高校生のときには、先生が源氏物語のほんの一部分を話してくれたことはあったのだが、この宇治の何処で、誰が何をしたのか、当時本など読もうなんて思いつかなかった私には、チンプンカンプン状態のまま、ここまで恥ずかしながら生きてきた。
その後、大学生になって社会人になって、与謝野晶子や谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴さんの口語訳本が出版されていることは知っていても、手にすることはなかった。
そして、昨年から今年になって「源氏物語千年紀」だとかで、なにかと世間は騒がしい。これは、2008年は源氏物語が記録(紫式部日記)で確認されてからちょうど一千年になるということで、その記念行事が各地で行われているからだろう。
そんな矢先、私の会社の近くにある保土ヶ谷区岩間市民プラザホールで、「源氏物語三十一帖 真木柱」の瀬戸内寂聴さんの口語訳を琵琶の演奏にあわせて、上原まりさんが朗読を演じる、という企画を横浜市の刊行している印刷部から見つけ出した。
迷わず予約した。入場料は2000円だった。
朗読というよりも、朗誦という感じだ。何回の朗読会で物語が完結するのか、判らないのですが、それを聴き通すことは仕事があり無理だろう。
源氏物語五十四帖の残り十帖が宇治なのだが、宇治のことは勿論、少なくとも源氏物語の全体的なあらすじぐらいは理解したいと思った。
インターネットで調べてみた。
宇治十帖までは、光源氏を主人公に宮廷での恋愛模様を描かれているのですが、宇治十帖の「橋姫」から「夢浮橋」は、光源氏の子・薫君と孫・匂宮の二人の男性と大君、中君、浮舟の三人の姫君と繰りなす悲恋の物語らしい。機会をとらえて宇治十帖も聴いてみたいものだと思っている。この催しは、毎月少しづつ、少しづつ進んでいくのです。
そんな宇治が、源氏物語のメイン会場になっていたなんて、なんだか不思議な気がします。源氏物語宇治十帖古跡巡りの案内図を見ると、どの箇所も私のよく知っている場所ばかりだ。今から40年前、私が東京の学校へ入る前まで、もっとしっかり探訪しておくべきだったと悔やまれる。どのポイントも友人とタムロったり、ホンダのカブで何度も前を通ったことがあるのです。
当時の私は、頭に血が昇った状態だったので、文化的なるモノには興味が持てなかったようです。
そんなこんなで、私は岩間市民プラザホール向かったのです。

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なんとも髭黒(ひげくろ)の大将の、人の好さ、単純さ、惚れた女に対する実直さが、アホのように微笑ましい。女に入れあげた男ほど、めでたいものはない。
大将とは、物語のなかでは官位を表す用語であるはずなのに、原本を確認したわけではないので不明なのですが、瀬戸内寂聴さんが、現代のオッサン感覚で大将(たいしょう)と、語らせていたようで、愉快だった。寂聴さんは、本当は髭黒の大将じゃなくて、髭黒のオッサンと言いたかったのではないだろうか。
大将と、原本には無いものを、敢えて付け足したのではないのか。寂聴さんのユーモアかも。
髭黒のオッサンが、年甲斐も無く玉鬘(たまかずら)に有頂天になって、北の方(きたのかた)には近寄らなくなった。気を病む北の方が、カッとなって、玉鬘のところへ行こうとする髭黒のオッサンの頭の上に、香の灰を一気に降りかけた。痛快だ。現在風に言えば、キレたのでしょう。
昔も、今も、嫉妬に駆られた者の行為は過激だ。
今回の「真木柱」はストーリーが簡単で解りやすかったけれど、こんな調子で男と女が、繰りなす恋愛劇なら、もうイイヤという気にもさせられた。男と女の愛憎ほど、私の最も苦手とするところです。誰が、誰を好きになろうが嫌いになろうが、好きにやって、と言うまでだ。

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(パンフレットより)
【これまでのあらすじ】
「夕顔」を忘れられない源氏は、夕顔の遺児・玉鬘を養女として引き取りました。
玉鬘の美しさは評判となり、次次に恋文が届くことになりました。源氏自らも玉鬘への恋心を募らせ、胸中を告白してしまいます。しかし、冷泉帝の行幸の見物で美しく端整な帝に目を奪われた玉鬘は、宮仕えに気持ちが傾きます。
源氏は玉鬘の入内のために、裳着の式を計画します。そして頭の中将に、玉鬘が夕顔との間にできた姫君であることを告げ、父娘の対面が果たされました。
出仕の準備はできたものの、宮中での帝寵争いを思い決心できずにいる玉鬘のもとには、求婚者たちからの恋文が多く届けられました。
しかし、玉鬘は蛍兵部卿の宮にだけ返歌をするのでした。

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【三十一帖 真木柱】
あろうことか、侍女の手引きで髭黒(ひげくろ)の大将と玉鬘(たまかずら)は結ばれてしまいます。源氏は不本意でしたが、仕方ありません。帝も失望しますが、尚侍として出仕させることにしました。鬢黒の北の方は数年来物の怪に取り付かれており、心を病んでいました。ある夜、玉鬘のもとに出かけようとする鬢黒に、北の方は香炉の灰をかけてしまい、鬢黒は家に近寄らなくなります。親である式部卿の宮は、北の方と子どもたちを自宅に引き取ることになりました。
真木柱の姫君は、父と別れる歌「今はとて宿はなれぬとも慣れきつる真木の柱はわれを忘るな」と書いた紙を柱の割れ目に挟み、泣きながら牛車に乗り込みます。翌年の春、予定通り玉串は出仕しますが、風邪を理由に鬢黒は自邸に引きとります。その年の暮れに、玉串は男の子を出産するのでした。

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