2008年8月19日火曜日

新聞拾い読み 5話

①長嶋さんが似合う場所
(080729)

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高層ホテルから眺める東京ドームは、まるで宇宙の果てから地球に降り立った巨大宇宙船である。居心地が悪そうであり、場違いであり、そこに存在していることに戸惑っている。
「プロ野球」と「場違い」からの連想で頭に浮かんだのは、10年ほど前の取材で訪れた東大総長室での一場面だった。
当時総長で、サッカーのACミラン(イタリア)大好き「少年」蓮実重彦さんと、巨人大嫌い長嶋大好きの文芸評論家、渡部直己さんが、長嶋について「意気投合」していた。テーマは「ラテン系・長嶋茂雄」。
蓮見さんが話す。
「野球はアングロサクソンのスポーツ。サッカーはラテンのスポーツ。長嶋の最大の功績は、ラテンのノリを野球に持ち込んだことですよ」
渡部さんの応じる。
「長嶋以前に「長嶋」はいないし、長嶋以後に「長嶋」はいない。彼は、天から舞い降りた神のプレゼントです」
新人の58年、東京ドームの前身・後楽園球場で4打席連続三振でデビューしながら、打点、本塁打の2冠王。簡単なゴロも猛ダッシュでさばき、空振りのときのヘルメットの落ち方まで「絵になる」ように研究した。
監督になってからも、彼自身が「東京ドームでの一番の思い出」と振り返る96年シーズン(11.5ゲーム差を逆転してリーグ優勝)のように、数々の「メークドラマ」を披露した。

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②親離れ、あとは山下先生に任せよう
(080726)
柔道家 井上康生のおやじ・明さん

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4 
シドニー五輪の表彰台。金メダルの康生は、かず子の遺影を掲げた

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1996年、くも膜下出血で急死した妻かず子(享年51歳)の通夜・葬儀じは3日3晩続けて執り行われた。火葬場から自宅に戻った明(62)は康生(30)の雰囲気がおかしいことに気づいた。庭に出るときトイレに行くときも、ずっと後をついてくる。
明は最初、康生が父親の自殺を心配しているのでは?と思った。そして、こんな会話が始まった。
「康生、おれは子供3人おいて、お母さんの後を追うような馬鹿なまねはしない。安心しろ」
「いや、実はーー。おやじ、今日これから、東京に帰らせて欲しい」
「なに、帰る?」
「全日本の大学柔道大会があるのだ」。絶句した明は、怒鳴りつけた。
「母親の葬儀の日に、なにを言い出すんだ。そんな大会やめろ。そんな大学も、いますぐやめろ」

康生は当時、3年生ながら東海大学のエースである。監督として康生を育てた山下泰裕(51)も葬儀に出席し、一足先に空港に向かっていた。山下が康生をそそのかしたと考え、明は激高した。
なだめたのは、長男将明(6年後に32歳で急逝)だった。
「上手に言うわけです。康生がここで嘆き悲しんでいるのと、大会に出場して勝つのと、母親はどっちが喜ぶかと」
最後に別れた明は康生を空港に送っていく。車を降りた康生が横断歩道を渡り空港ビルに入る。すると、康生の大きな背中に突然もう一つの大きな背中が近づき、肩を抱くではないか。山下である。
「抱き合う二つの背中を見て思いました。山下先生には負けたと。康生を信じて、先生はずっと空港で待っていた」
明が康生の親離れを確信し、いっさいを山下に任せようと決めた瞬間だった。
それ以降の活躍は改めて述べるまでもない。アジア大会の金、シドニー五輪で金、世界選手権3連覇ーー。
「私と康生の師弟関係は、かず子の葬儀の日まで。そのあとは全部、康生自身の努力、努力。私はなーんにもしてません」
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③8月と五輪/時の肖像
(080811) 朝日 朝刊
高橋郁男(論説顧問)

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「もし輪廻というものが実際に存在し、再びこの世に生まれてきたら、わたしは自分が作ったものを全部こわしてしまうであろう」
近代五輪を創設したクーベルタンが、そう語ったと伝えられる。
人の世が美しいことだけで成り立っていない以上、五輪もまた、美しいだけのものではありえない。
それは認めるとしても、やみくもな商品化や、国威発揚のたくらみに流され続けていいはずもない。
企業、国家からの過剰な支援や、人体を改造するかのような動きからは自由になるべきだろう。主役はあくまでも選手であり、そのひとりひとりが全力を尽くす姿を、時には勝ち負けや国籍を超えて讃え合う五輪をめざしたい。
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北京五輪
中村礼子
④200背泳ぎで銅メダル

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北京五輪第9日の16日、競泳の女子200メートル背泳ぎで、中村礼子(東京SC)が04年アテネに続く2大会連続の銅メダルを2分7秒13の日本新記録で獲得した。日本女子の個人種目の2大会連続メダルは、200平泳ぎの前畑秀子(32年ロサンゼルス銀、36年ベルリン金)以来だ。
この中村礼子の話だ。
今回の北京五輪で、100メートル背泳ぎ予選で日本記録を0秒46更新する泳ぎを見せた。だが、体力を使い果たした。6位に終わった。平井コーチの前で大泣きした。
「頑張るということは、もうだめと思ったときが始まり」
座右の銘にしている。どこで見つけた言葉か、覚えていない。逃げたくなった時、必ずこの言葉を思い出し、乗り越えて来た。

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④死に至る病 (四知)
朝日(080814)

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「死に至る病」が、日本列島に蔓延している。この病は別名を絶望という。その病根には、劣化する現在日本の経済・社会がある。
この世は危険に満ちており、人は一人では生きられないので、血縁による大家族制や地縁による共同体を形成し、濃密な人間関係を築くことで、脅威を防御してきた。
明治維新後の政府は共同体を崩壊させた。戦後の高度成長は大家族制を解体し、核家族を主流にした。バブル後は核家族すら解体しつつある。
橋本政権以降は、市場原理主義が格差社会を拡大させる一方、自己責任の下に、企業、国家は国民の生存・自由・幸福の追求を保証する安全網を取り外す仕組みづくりを進めてきた。
この結果、格差の進行によって、貧困層は孤立化を深めている。かろうじて保たれている核家族の中でも、ひとたび齟齬をきたせば、残酷な親子・兄妹殺人事件が起こる。
「誰でもよかった」という通り魔事件の容疑者の発言は、孤立化した核家族や個人が、無機質の社会と直接向き合うしかなくなった絶望の声に聞こえる。
濃密な人間関係の記憶が残る老人たちは、振込み詐欺のような悪質業者の格好の餌食となる。貧困に取り残される老人たちには、孤独死に加え、老老介護の果ての心中、殺人が増える。
欧米の「罪の文化」に対し、我が国は「恥の文化」といわれ、廉恥・善意が行動様式であったが、人間性の希薄な社会では恥の文化は意味を失う。
今必要なのは、官僚による対症療法的な制度設計ではなく、坂本龍馬のように、この国を「いま一度センタク」しようとする志である。