2008年1月15日火曜日

我が早大サッカー、13年ぶり日本一

13日(日曜日)。私が業務繁忙中、会社の女性スタッフから「青島さんから電話があって、早稲田が勝った、と言っておいてください」という電話がありましたと告げられた。昨日、青島から敵の法政は強いぞ、と聞かされていたので、勝ったと聞いた時は天にも昇る喜びを味わえた。青島と私が所属していた早稲田大学のサッカー部が、13年ぶりに全日本大学サッカー選手権大会で優勝したのです。早速、青島の生の声を聞きたくて、彼の携帯電話にかけた。彼は試合会場にいた。いい試合だった。法政も早稲田もいいゲームをやった。レベルの高い試合だったとの報告。流石、青島さんだ。どちらのチームにも偏らない試合の分析は見事だった。私は、先取点を取った方が有利に展開できるだろうから、是非早稲田に先取点を取って欲しいと思っていた。有難いことに、その通りにゲームは進んだようだ。

サッカー部のOBとして、こんな日がいつやってくるのだろうか、気が気でならなかったのです。青島や後輩が、我が大学の我がチームのちょっとでもいい話しをしようものなら、私は自分勝手に幸せな気分に浸りたくて、過大に想像を巡らしていたのです。1部の入れ替え戦の時も、2部の入れ替え戦の時も応援に行った。その何れの時にも、選手は頑張った。残念だったが、実力がなければしょうがない。これが競技の厳粛さだ。昨年は準優勝だった。

今回の優勝をどれだけ待っていたことか。永い道のりだった。この大学や、この大学のサッカー部に何らかの関わりをもった人なら、今回のこの実績をどのように喜んでいるだろうか、と想像するには難くない。

戦況をWMW会報(早大ア式蹴球部の公式会報)より転載した。

昨年度味わった屈辱をはらすべく臨んだ法政との決勝。前半開始直後は法政ペース。得意のパスサッカーで早稲田ゴールを脅かす。しかし、GK伊藤のファインセーブにより早稲田がそれを凌ぐ。すると、徐徐にペースを取り戻した早稲田も反撃開始。流れを早稲田に引き寄せたまま前半を終える。後半開始早々、試合が動く。キャプテン兵藤が松本からのパスを冷静に流し込み、待望の先制点を挙げる。これで勢いにのった早稲田は、その直後のCKでも藤森がフリーで右足を振りぬき追加点。法政を突き放す。その後、横山、金守を中心にゴールは許さず、後半入ってすぐの2点を守りきった早稲田が念願のタイトルを獲得、”大学日本一”に輝いた。

*記事の内容とは関係ない写真です。昭和48年、青島と私が4年生だった時、関東大学サッカーリーグ優勝、全日本大学選手権(インカレ)優勝した。2冠をとったのです。インカレの表彰式後の記念写真と、当時、グラウンドで練習を共に部友たちと撮った写真をアルバムから引っ張りだした。撮影の時、私は「俺に表彰状を持たせてくれ」とせがんだことを思い出した。翌日のサンケイスポーツに、私がコメントした「神風が吹いたのですよ」が紙面のタイトルに使われていた。ニンマリしたものでした。

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(私と青島が4年生の時優勝した記念写真)

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(私と青島が4年生だった時の全部友たち)

大学の上位のチームとしては、部員数が極端に少なかった。みんな仲が良かった。

14日の日刊スポーツの新聞記事を転載させていただいた。

13年ぶり日本一!大榎監督有終

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(優勝した早大の選手たち。大榎監督の右隣が兵頭)

東都リーグまで落ちた名門を4年で立て直し「選手に感謝」

名門早大が、復活の日本一に輝いた。法大相手に苦しみながらも、MF兵頭慎剛主将(4年)のゴールなどで2-0勝利。東京都リーグ所属だった4年前に就任した大榎克己監督(42)が、退任前のラストマッチでチームを見事によみがえらせた。正月の駅伝、前日のラグビーに続いて吹き荒れた早大旋風。早大創立125周年の大トリを大榎早稲田が13年ぶり最多11回目の優勝で締めた。

大榎監督の目が潤んだ。「こんなハッピーエンド、できすぎです」。後半5分に兵頭が0-0の均衡を破り、同11分にDF藤森が続いた。終盤は法大の猛攻を浴びたが、守備陣が体を張って耐えた。4年前には「関東2部に上がることが最大の目標だった」(大榎監督)。同監督は「選手に感謝したい」と、言葉を震わせた。

07年度に125周年を迎えた早大は、運動部が次々と好成績を残した。前日には同じ国立でラグビー部が大学日本一になった。試合前、ラグビー部の汗と涙が残るロッカールームに、大榎監督の声が響いた。「天の時を逃すな!」。昨年から続く早大の勢いがサッカー部にも乗り移った。

4年間、1度も後退することなくチームは力を伸ばした。大榎監督の指導方針は「個を伸ばすこと」。多色のビブスを使い、工夫した練習だった。走りながら考えさせた。個の力をチーム力に変えた。ミニゲームでは衰えない技術を見せた。自らの持つ戦術も選手に伝えた。「4年間で成長できた。監督のおかげです」。MF鈴木は言った。100人近い部員の心をつかんだ。「3年まではレギュラーでもないのに、いつも声をかけてくれた」と藤森。「選手をリスペクトし、同じ目線で話す。上から指導するのではなく一緒に考える」と藤原コーチも言う。会見後には控え部員に競技場裏の通路で胴上げされた。部員から慕われているからこその2度目の胴上げ。「これがチームなんです」というと、監督の目がまた少し潤んだ。

東都リーグからの奇跡の復活を成し遂げ、大榎監督は清水に戻る。将来的にはトップチームの監督就任も予想されるが、まずはプリンスリーグで2部落ちしたユースの再建が仕事だ。「また0からです」。選手たちに囲まれて、大榎監督は最高の笑顔を見せた。

ーーーーー以上が新聞記事より。