2008年1月4日金曜日

エディット・ピアフ 愛の讃歌

エディット・ピアフ 愛の讃歌


2007 12 30。11:20~


キネカ大森


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私は、娘(次女と三女)2人と、孫(次女の子供)の4人で、テアトル系のキネカ大森で映画を観てきた。世間は、お正月の準備におおわらわの人と、そんなこと関係ないわい、とのんびり休日を過ごしている2種類に分かれているようだ。我が家では、女房は正月に来るお客さんのための準備で他を寄せ付けない迫力で家事三昧。私ときたら何もすることがない。それじゃ、ということで女房の家事の邪魔をしないようにと、娘、孫を連れ出しての映画鑑賞になった。

得意の株主優待券を使わせてもらった。助かりました。「あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて~」このフレーズは私たち日本人には特に馴染み深い歌詞だ。越路吹雪が、岩谷時子の訳詩で、大いに聞くものを虜にしてくれたものだ。この「愛の讃歌」の生みの親がエディット・ピアフだ。ストーリーについては、映画のパンフレットの文章をそのまま後ろの方にまとめた。不幸な幼少の頃、祖母と父と母、友人、路上で歌を歌って日銭を稼ぐ、クラブのオーナーにスカウトされた、オーナーが殺害される、挫折、酒をあおる、薬物依存、著名なアッソによる容赦ない訓練、復帰、飛躍、アメリカでの公演、マルセルとの出会い、マルセルの飛行機事故、歌が命、このように話は進んでいくのです。印象的だったのは、歌を歌い続けるための横暴なまでのふるまい、命を賭しての公演に対するこだわり。才能ある新人の作品を見つけ出し次々に世に紹介した。47歳という余りにも短すぎた人生だった。

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私は、映画のなかでこの「愛の讃歌」しか知っている曲はなかったのですが、彼女の持ち歌を知っている人にはたまらなかったのではないでしょうか。声量の豊かさ、明快な歌詞の表現、聞く者に歌詞の意味を委ねる。映画のなかでは、歌は、エディット・ピアフの声を使われたのですが、ピアフを演じたマリオン・コティヤールの名演技が、素晴らしかった。ピアフの歌い方、体や舌の動かし方、小さな息遣いさえも把握して演じたという。プレイバックをうまくこなすためにはリズムのとり方だけでは足りず、息遣いが非常に重要だった、ともいう。

出会い、別離、孤独、希望、愛が映画の始まりから終わりまで、満杯だった。

次女と孫は「えーがでとーじょー! たまごっち ドキドキ!うちゅーのまいごっち!?

私と三女は「エディット・ピアフ 愛の讃歌」

(ストーリー)

1915年エディット・ジョヴァンナ・ガションはフランスのパリ、ベルヴィル地区に誕生した。時は第一次大戦中で、町中戦火の渦だった。歌手を目指していた母アネッタは、路上で歌を歌い、日銭を稼ぐ毎日。そして、そのそばでエディットは小さくうずくまっていた。その後、彼女は祖母ルイーズが経営する娼館に預けれれることになった。エディットのことを実の子と同じように可愛がる娼婦テイテイーヌたちに出会い、戦争で傷ついた彼女の心は少しずつ癒されていった。しかし彼女の幸せな時間は長くは続かなかった。虚弱体質の彼女は角膜炎を患い失明してしまったのだ。何とか彼女の目をもとに戻してやりたいと思った。そこでルイーズたちは、エディットを教会に連れて行った。聖テレーズに祈ると彼女の目は光を取り戻したのである。その後、彼女は聖テレーズのクロスを生涯手放すことはなかった。

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その後、大道芸人の父親に引き取られ各地を転々としたエディットは、父の大道芸人の傍らで歌うことを覚える。彼女が歌った時は、いつもの数倍の金が集まった。彼女は自分の歌が人の心を動かすのを知った。

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1935年、エディットはパリのストリートで歌っていた。日銭を歌で稼いでいたのだ。そこで彼女は運命的な出会いを果たす。パリ市内の名門クラブ、ジェルニーズのオーナー、ルイ・ルプレが彼女の歌に目を留めたのだ。「もし人生をかえたければここに来てくれ」。彼女は彼からもらった名刺のクラブに行き、そこで歌を歌った。ルイ・ルプレはすぐに彼女を採用した。しかし彼女の名前が気に入らなかった。「エディット・ガショはパットしないな。君を見ていると雀(ピアフ)を思い出すよ。今から君はピアフだ」

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ジェルニーズでの舞台は大成功だった。彼女は一躍時の人となり、ジェニーズは彼女の歌を聴きにきた観客で毎晩満席となった。彼女は遂に歌手として一歩を踏み出したのである。しかし、彼女栄光はすぐにかげることとなる。ジェルニーズのオーナー、ルプレが死体で発見されたのである。しかもエディットは容疑者の一人になっていた。容疑は晴れたものの、彼女がステージに立つと「人殺し!」といった罵声を浴びせられるようにまでなっていた。父親とも慕っていたルプレの死で絶望の縁に立たされた彼女を救ったのは、著名な作詞・作曲家であるレイモン・アッソであった。アッソはピアフに対して容赦ない訓練を施した。その甲斐あって、復帰のコンサートは大成功に終わる。彼女は舞台に戻ってきたのだ。その後の彼女はまさに飛ぶ鳥落とす勢いでスターダムを駆け上がり、フランス以外の国でも大成功を収める。フランス人で成功した者がいない国アメリカでも批評家から「無知なアメリカ人にはピアフの歌はわからない。だまって彼女の歌を聴けばいいんだ!」と称賛される。そんな絶頂期を迎えていた1947年、ニューヨークで彼女は人生最大の愛に出会うこととなる。ボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンとの出会いである。マルセルには妻子がいたが、ピアフとマルセルは磁石のように急速に惹かれ合っていく。素晴らしい出会いは続くもので、NYでマルセルとの食事中に、映画界の大スター、マレーネ・デートリッヒがピアフに「あなたの歌は素晴らしいわ。パリの夜を思い出して泣いてしまったの」と声をかけてきた。あこがれの大スターに声をかけられてはにかむピアフ。デートリッヒとは生涯を通じての友情を育むこととなる。

それは突然やってきた。1949年10月28日。マルセルとの出会いから約2年が過ぎていた。ピアフはマルセルをNYに呼んでいた。二人は会えないときは手紙のやり取りをしながら、愛を育んでいた。そのマルセルがNYに来る。この事がピアフの心を高揚させていた。うた寝のなかでマルセルとの愛を語らうピアフ。しかしもたらされたのは、マルセルの乗った飛行機が墜落したという知らせだった。彼女はマルセルに聞かせるためにステージで新曲を発表する予定だった。その曲名は「愛の讃歌」~。

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歌えなくなったら?------------生きてないわ

死を恐れますか?----------孤独よりマシね

女性へのアドバイスをいただけますか?-------------愛しなさい

若い娘には?---------愛しなさい

子供には?--------愛しなさい

正直に生きられますか?---------そう生きてきたわ

(キャスト)

エディット・ピアフ           マリオン・コティヤール

モモーヌ(友人、支えあう)      シルヴィ・テステュー

ルイ・バリエ(マネージャー)     パスカル・グレゴリー

ティティーヌ(娼婦,実子のように可愛がる)    エマニュエル・セニエ 

ルイ・ガショ(ピアフの父)       ジャン=ポール・ルーブ

アネッタ(ピアフの母)         クロチルド・クロー

マルセル・セルダン(ボクサー、ピアフの恋人)    ジャン=ピエール・マルタンス

ルイ・ルプレ(キャバレーのオーナー)     ジェラードドパルデユー

ルイーズ(ピアフの祖母)       カトリーヌ・アレグレ

レイモン・アッソ(作詞・作曲家 、指導者)       マルク・バルベ

マレーネ・デートリッヒ(大女優・歌手、ピアフの友人)      カトリーヌ・シロル

5歳までのエディット・ピアフ     マノン・シュヴァリエ

10歳までのエディット・ピアフ    ポリース・ビュルレ

(スタッフ)

監督・脚本=オリヴィエ・ダアン

脚色=オリヴィエ・ダアン    イザベル・ソベルマン

製作=アラン・ゴールドマン

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