2018年5月24日木曜日

関学大ー日大 (アメリカンフットボール)

関学大と日大とのアメリカンフットボール 51回大会でのこと。

競技中に行われた悪質な反則行為について、加害者側の日大が何のアクションを見せないことに私は何日不快だったか!
加害者が退場させられた時に、監督やコーチは退場者に向かって何でそこまでやるんだとお叱りをするか、ゲームが終わった段階で、相手チームに露骨な反則について謝るか、何かができた筈だ。

日大の加害者は、記者会見で監督やコーチの激しい指示に従ってやってしまったことに深く申し訳ないと面前の報道陣に対してあやまった。
この記者会見は、日大の方からはこの反則タックルについて、何らの意見も言わないままでいることに堪らず、勇気を持って自らの発意によって行ったものだ。
両親はよく息子の気持ちを理解し、弁護士に頼み、出席することを躊躇った。
加害者の勇気の張った行為だ。
あやまった先は、相手チームに被害者に、被害者のご家族に対してであった。
長時間、20秒、深々と頭を下げた。
この加害者のやったことに対する反省の弁と、事実を話す真摯な態度に私は心が打たれた。

監督やコーチから烈しいプレーの指示はあったが、いかなる指示が出ても、自分でよ~く考えて、何故反則をしないようにできなかったのか、と約2週間苦しんだ。
その後、日大の内田監督は、責任は私がとりますが、決して私が退場者に対して事細かく指示はだしていません、と強調した。

関学側は、記者会見で日大の考えが解らないことに苦悩・憤りを強調していた。
日大側は、その返答として、24日までに、書面にて応えさせてもらうの一枚舌。
そんなに時間をかけて、何をどのように考えているのか? 不思議だった。
私なら、その日、試合が終わったときに、相手チームに対して何らかの態度を見せたと思う。
監督、コーチだけではなく、部長やクラブ活動を総括している人がいるだろう。管理部的、総務部的に働いている人だっているだろう。
広報の人もいたが、自校での事とは思いも寄らない言動だけなら未だしも、余計なことのように、報道陣を跳ね除けた。

この事件についての詳細を、このブログで言いたいのではない。

スポーツをスポーツらしく、大学を教育の場と考えていない日大。
監督、コーチは、学生たちのことを、このようにすべきだったのだ、との発言はなかった。
学校側がやらなくてはならない一番肝心なことは、それは学生を守ること、そっぽに忘れてしまっていた。それどころか、学生を苦しめていた。
学生が、夢や希望に羽ばたき、心を驀進させる言葉がない。大学から、学生をこの世に勇躍させる言葉がない。
日大の監督、コーチには、貴方たちにはこの仕事をやる資格なんかありませんよ、と叱言したい。
私には大学入試を求める子どもがいないので、諦めざるを得ないが、こんな学校なんかにはどんなことがあっても行かせない。

スポーツをスポーツとして、学生を教育することを真剣に考える関学大。
この双方の言い分については、誰もが大いにお分かりだろうから、私のような風情(ふぜい)のない人間が、どうのこうのと言う筋合いではない。
試合が行われた後、関学大はこの違法な悪質タックルについて、日大は如何にお考えなのか、どのように思われているのか、教えて欲しいと申し出た。
だが、日大は無(な)しの礫(つぶて)。
何の返答もなく、監督やコーチから出る言葉には、関学大が求めているものは無いどころか、自分たちに都合のいいことばかり。
こんな奴らの話なんて聞きたくないわ。


サッカーを十二分にやってきた私には、このプレーは一発で退場処分を受けることは当たり前だと思う。
レッドカードだ。

この後に、事件の内容を新聞記事を使わせてもらって書いた。

私が京都府の田舎暮らしをしていたころから、関西学院大学の関西をどうして「かんせい」と読むのか?それが解らなかった。
つまらない、知恵なしの私のことだ。
ここへきて、50年以上経ったのに。
ならば、それも調べようとしたら、ネットで簡単に解った。
その原稿をここに転載させてもらった。



日大アメフト
右側が反則しているシーン


朝日新聞の記事をダイジェストして転載させてもらった。

日本大と関学大 アメリカンフットボール定期戦
悪質で違法なタックル問題で、日大の考え方に違和感を持つ。


今月の6日、東京・アミノバイタルフィールドで行われた、アメリカンフットボールの日本大―関西学院大の定期戦で日大の選手が悪質なタックルなど反則を繰り返して退場となった。
このタックルをやってしまった苦しみに日大の選手は悩みに悩んだ。
22日、この選手自身が記者会見を開くことになった。
彼は20才、大学3年生。
記者会見には、学校側の人物は一人も参加なし。弁護士2名が付き添った。
冒頭、記者クラブにおいて、素顔のまま、記者会見を行ったことは、学生と両親の強い意志であることを、弁護士が話した。

辞任した内田正人前監督による反則行為の指示があったのかどうかについて、選手本人が何を語るのか注目されていた。

関学オフェンスの最初のプレー。テレビなどで繰り返し流れているシーンだ。ボールは、はるかに移動した段階で、体から力の抜けた無防備の関学の選手に、後ろから強いタックルをかけた。
関学の選手は大きく体を捻って、結果的に3週間の怪我を負った。
その後、二つ目三つ目と反則を続け、彼はここで資格没収(退場)の処分を受けた。
U-19日本代表チームにも選抜されるような優秀な選手だ。

フィールドから出てきた彼はスタッフに促され、ベンチ奥にあった負傷者用のテントに入った。私はそこに近づいた。彼は泣いていた。声を上げて泣いていた。

同じポジションの選手が肩に手を置いて、言葉をかけていた。



関西(かんせい)学院大学と読みます。
どうして、このような読み方になっったのだろうか。

関学が設立されたのは1889年。
明治22年の日本では、東京を「とうけい」というように漢音読みにすることが多かったようです。
ですから当時は「関西」も「かんせい」と読んでおり、関学の校名もそのままの読み方でつけられました。
東京を「とうけい」、関西を「かんせい」と言われたり書いたりしていたのは、いつ頃のことなのか。
明治時代は、それが普通のことだったのだろうか。

校名からも118年をかぞえる関学の長い歴史が感じられます。
ちなみに発音は「くわんせい」となり、関学の英文表記も「KWANSEI GAKUIN」となります。