心に不安な趣(おもむき)がムラムラ仕出したのだ。
趣きとは、心の動きやその方向性のことだろう。
この趣に、苦しんでいると言えば、それこそ、大(物)笑いの種になって、結果、哄笑が悲しい笑止千万になり、呆(あき)れ果てられることになるのか。
誰もが腹を抱えることになり、顎(あご)が落ちることになるのだろうか!!
(保土ヶ谷プール)
来月で71歳になろうとしているこの頼りない前期高齢者が、孫、今年の春に中学生になったばかりの女の子と、今秋、自由形(クロール)と平泳ぎの競争をすることを、ゴールデンウイークが終わった頃に約束してしまった。
この決意?に、息も絶え絶(だ)え、息苦しくなったわけではない、この趣は私の悪戯(ふざけ)た踏ん張りのせいかもしれない?
日時が過ぎ去る度に、私の胸は必死の間際まで追い込まれていた。
平泳ぎよりも、犬掻き(イヌカキ)にしてくれないかと、話の合間に話したら、私はイヌカキなんて知らんワと馬鹿にされてしまった。
馬脚を現したって、こういうことか?
約束が少し早急過ぎとか、軽い気持ちで勇み過ぎたのでは、と反省もしている。
昨日(20190721)、長女の家に友人から戴いた農林水産大臣賞を受賞した「永光卵(えいこうらん)」のお裾(すそ)分けに行ったら、その卵を受け取った私の競争相手に、今、必死で平泳ぎの練習をしているよと告げると、ジジイも一旦決めたことには、徹底的にやるのね、と笑われた。
「当たり前田(マエダ)のクラッカー」? 私が言い出したことだ。
幾ら苦手の平泳ぎと言えども、簡単には負けたくないんだよ、と決意を述べた。
(ネットより拝借しました)
実は、去年の春から泳ぎだした。
30年ぶり!! 久しぶりだったこと以上に、泳ぐことそのものが嬉しかった。
5年半前に5,6メートルの樹木の上から落ちて、後頭部を前面道路に直撃した。
半年ほど入院して復帰に励んだが、後頭部の落下によるショックは流石に強烈で、高次脳機能障害から、そう簡単には逃げ切れない。
七人にわたる担当医から、この障害からは完全には逃げ切れないものですよ、ヤマオカさん慎重に気長に取り組みましょう、と言われていた。
事故後今まで、3ヶ月ごとに新百合ヶ丘の最初に入院した病院の脳外科に通院している。
お医者さんと少しの会話をすることと1日3度飲む薬を貰いに行って、それを異変なく飲む続けることが、せめての治療方法と決め込んでいる。
その後、新百合ヶ丘病院までは自宅から余りにも遠距離なので、先月から我家に近い戸塚区狩場にある病院に転移させていただいた。
やらなくてはいけないことは、毎日、薬を飲み続けることが条件だと決め込んでいる。
これは治療の、回復するための必須条件だ。
記憶障害とか思い違い勘違い、能動的な脳機能の障害だけではなく、運動する体のバランスの変調が著しくなってしまった。
夕刻になると必ず頭痛に悩み、ストレス回復のためのことは、私流にも色々考えた。
その障害を少しでも回復させようと必死だ。
そのために、歩行を進めること、
泳ぐこと、
本を読むこと、
体をアンバランスにさせないように、特に階段など、左右上下、何から何まで気を使うようにした。
階段の段差にちょっとでも、狂いを発生させてはならないのだ。
心底激しく苦しんだのは、日暮れ時、遠くに見える看板の絵柄が妖怪のように恐ろしく見えて怖(おそれ)れ怖れ近づくこと、電柱の陰に潜めた物が何か不思議な怪物のように見えて、電柱に近づくのが恐ろしい。
それに、事故の障害で一番恐れられているのがテンカンの発症だと聞かされているので、ちょっとした頭痛でさえ、頭の中は心配の種があっちこっちに、不安の花が満開になってしまう。
我ながら、クロールに関しては自画自賛、一人自慢と笑われたくないが、私のクロールは早く、泳げば泳ぐだけ体が愉快なのだ。
体が自然に動くのだ
昨年の春から、夏休み期間は子供たちが大勢やってきて、私のような鳥渡(ちょっと)本気な奴には、足が遠のいた。
秋になって寒い冬がやってくるまでは、週1回多いときで2回はプールに出かけた。
(水泳教室を行ったプール)
かって、45年ほど前のことだが、湘南のあるエリアで水泳教室の先生をさせられたことがある。
夏にはこれ以上来なくてもエエヨと思われるほどお客さんは来てくれるが、夏が終わればプールの営業は終わり、当然のように人は来なくなる。
そんなオフシーズンに水泳教室をすることを本社の部長さんが自分勝手に決めた。
この部長さんは、湘南のプールの支配人の大学の先輩。
偶然、この部長と支配人、私も同じ都の西北の大学の卒業だった。
そんなことを指示された支配人は、やるしかないと腹を決めたのだろう、支配人は矢のように現場の現場の担当者に私が指名された、当然のようだった。
人前で子どもたちに泳ぎを教えるとなると、私のやらなくてはならないことは、自分の泳法が醜くならないこと、恥じらいなく人さまに見せられるように泳げること、そんなことを魂胆に、朝から晩まで泳ーいーだ、、、泳ーいーだ。
水泳教室が本決まりになってから、1日に5時間も6時間も泳いだ。
子どもたちに対する水泳教室の初歩的な段階では、水に慣れること、水中に体ごと特に頭を丸丸浸(つ)かることから始まる。
だから、平泳ぎは他のコーチに任せることにして、私はダイナミックなクロールに拘った。
早く泳ぐために、腕の使いから大量の水を掻く方法に専念した。
子どもや父兄の人たちには、あの人立派なスイマーねと言われなくては、どうにもナラン。
孫との約束のことだ。
約束通りに行って、勝っても負けても、71歳と中1の戦いはきっちり付けたいものだ。
でも、心模様は微妙に振れている。
そんな鳥渡(ちょっと)真面目で、鳥渡好い加減な私には、このままでは納得できないものが、心の隅っこに生まれ出した。
この隅っこを偽りなく告げよう。
クロールは兎も角、勝っても負けても納得いく。
が、平泳ぎに苦労しているのが性根(しょうね)なのだ。
性根とは、私の根本の心構えのこと、心の持ち方だ。
平泳ぎについては、泳げるかと問われると泳げるとは応えるだろうが、レースに出て、文句あるかとまでは言えない。
それほど余裕がないのが本音だ。
よって、この頃の横浜プールではクロール750メートル、平泳ぎに100メートルを何とか熟(こな)している。
驚くことなかれ、平泳ぎをすると太腿から膝にかけての筋肉が異常に疲れて、プールから帰り道のなんと苦しいことか。
先日、プールからの帰り道は、下り坂になっていて、その傾きに身を由(ゆ)ざれながらトボトボと歩いていたら、登り坂を上ってきた年老いたオバアチャンから、もう終わったのですかと問われた。
ええ、今日の部分は何とか終わりましたと応えたものの、老人の目にも、私のくたばりようが顕著に見えたようだ。
(箱根の山歩き)
★そして、徒歩を休みなく、1日どんなことがあっても2万歩を崩さないことにした。
運転免許書を担当医の前で、ものの見事に破棄した。
それほどダメージを受けた悲しさよりも、出社する時も退社する時も、私の移動手段は歩くのみに決まったことの方を利益と思い込んだ。
雨の日は止むを得ないとしても、自宅から会社まで、帰社は私に夢と希望を与えてくれるイーハトーブの農耕地を巡って帰る。
そうすれば、2万歩近くは確保できる。
休日は特別コースを用意している、それは3万完歩だ。
月間70万歩を踏破する。
会社での内外の仕事の移動を何もかも合算すれば、なかなか好い距離になる。
余り徒歩のことに興味のない人からは、何是、そんなにしてまで歩くの?と聞かれることはあるが、私にとっては、歩き続けられることが何よりも嬉しいのです、と応えるのですが、話し相手は、よ~く分らん、という顔をなさる。
高次脳機能障害の影響から、何とか逃げ切りたい、そのための本能的で自発的な反応なのだ。
毎日、毎日、気持ちよく2万歩は避けがたく歩き続けたい。
(ネットからいただいた)
★食事を楽しくいただくことだ。
恥ずかしながらこの何十年間か? 酒に溺れ、友人との付き合いに溢れ、仕事上の関係者に気を使い、それよりも何よりも私のデタラメが目立った日続きだった。
深酒をしたくても欲張って飲めない、好い物を鱈腹食べたくなったことはない。
朝起きて腹具合は当然調子よく、胸糞悪くなったこともない。
女房に、気の効いたことは言えないが、晩飯が待ち遠しいのだ。
朝起きて、新聞読んでそれなりの出社のための準備ができたころ、出される朝飯の美味いこと。
そんなに、他人(ひとさま)の膳とは違うものが出されている訳ではない。
ご飯に添えられているものは、納豆に味噌汁、昨晩の夕食の残ったおかず、お茶だけだ。
その朝飯がこんなにおいしく頂けるのは、私の体の各位が神妙に立ち戻ったお陰だ。
朝飯、昼飯、夕飯後、その度に与えられた3錠の薬を飲む。