2019年7月4日木曜日

吉展ちゃん誘拐事件

本田靖春(やすはる)氏の「誘拐」(ちくま文庫)を読んだ。
  
この本は、第39回文芸春秋読者賞、第9回講談社出版文化賞を受賞した。
1965年7月5日朝、NHKが放送した「ついに帰らなかった吉展ちゃん」は、ビデオリサーチ・関東地区調べで、59.0%の視聴率を記録した。
これは、今日に至るまでワイドニュースの視聴率日本記録となった。
この事件は、数々の映画化、テレビビデオ化、出版その他にされ、戦後日本の悲しい歴史を作り上げた。

この本は吉展ちゃんが誘拐された事件の始終を、詳細に書かれたものであるというだけで、大きな関心をもった。
その事件の詳細を手にとるようにして読んでいた。

東京オリンピックを翌年にひかえた1963年3月31日、東京都台東区入谷町で起きた幼児誘拐「吉展ちゃん事件」と言われた。
1963年と言えば、私がこの事件が起こった時はまだ14歳、中学生だったか高校1年生だったと思う。
警察の度々の失態、不用意によって犯人を取逃がし、被害者の死亡によって世間の注目を集めた。
初めて勃発した幼児の誘拐事件であったこと、警察には虎の巻になるほどの知恵がなかったせいだろうか。
捜査の一幕一幕において、犯人と思(おぼ)しき人材にキューと言わせるだけの捜査が進んで行かなかったことに、本を読みながら歯軋(はぎし)りした。

それでも、捜査陣は何回も変更したが、結局、迷宮入りと思われたが刑事たちの執念により結着を見た。
どんなにしても、捜査を完結させると意気込むスタッフもいたのだ。
本田靖春氏は、犯人を凶行に走らせた背景とは何か?
その時代の数々の領域での人の生き方、世の奇怪に動いている実態を文字にした。

貧困と高度成長が交錯する都会の片隅に生きた人間の姿を描いたノンフィクションの最高傑作だ。
小説の細かいことについては、ここで色々と私なりの判断を踏まえてあ~あ~だとか、こ~だとか述べることはない。
小説のあらましについては、是非とも本そのものを読んでいただくことが一番かとは思うが、この本の終わりに書かれている、佐野眞一氏の「解説 東北人の悲しき血」の全文を転載させてもらうことにした。
その小文だけで大体全てを理解してもらえる。

この佐野眞一氏の文章でこの本の中身を理解してもらうこととして、事件について語りたい。

それは、難航する捜査状況に市民は、犯罪はつねに反社会的行為であるのだが、幼児誘拐というもっとも卑劣な犯罪の行為者に対して、社会の側が自衛意識をめざめさせた。
最初に立ち上がった全国組織は、三万人の会員を擁する全国クリーニング環境衛生同業会。
これらのことを、順次揚げてみる。
全国小売酒販組合中央会(会員12万八千人)、全国食糧事業協同組合連合会(会員四万五千人)。
クリーニング屋、酒屋、米屋の三業種は、御用聞き、配達と、各家庭に出入りする頻度がもっとも高い商売である。
こうした動きに呼応して、東京ガス、東京電力の両社が、検針員、集金員など外勤職員八千人を中心とする協力体制を敷き、東京都水道局もこれにならった。
東京都民生局は家庭を回る機会の都内四千四百人の民生・児童委員に捜査協力を依頼した。
台東区役所は吉展の写真を入れたチラシを二十五万枚印刷して、区内に全戸配布した。
神田市場内の東光青果事業協同組合は、加盟各店の店頭に吉展ちゃんの写真を掲げた。
東京母の会連合会は「吉展ちゃんを探して下さい」のプラカードを持ち、入谷、坂本、上野、浅草など下町一帯を練り歩いて、一万枚のチラシを配った。

このように民間から盛り上がった動きは、このようにして、自治体、中央官庁をも巻き込んで行き、犯人の声と人質の顔は、成人はいうまでもなく、小、中学校の児童、生徒にまで浸透して行った。

この小説の一から十までを、とやかく説明することはないと思っている。
ノンフイクションの事件の全てを、作家の本田靖春氏は、いささかのゆるみもなく著述されている。
緊張感が最後の最後まで漲っている。
遅読の私なのに、読み切るまで頭の中は捜査の進み具合のことばかり。
私も犯人(小原保)と同じ「保」という名で異常に興味を持った。
この事件の発生から捜査、犯人・小原保逮捕までは、私の高校生から大学を卒業するまでの傷つき易い年代だったせいかもしれない。
この本の終末に書かれた佐野眞一氏の文章がこの小説の全てを著しているのでその文章をそのまま転載させてもらった。



★解説 東北人の悲しき血
 佐野眞一

時代というものをどうしょうもなく烙印された名前がある。

私にとって小原保という名前は、東京オリンピックの開催を翌年に控え、あの何もかもが泡立つような時代の裏側にぴったり張りついて忘れようにも忘れられない名前となっている。

やはりに脳裏にこびりついて離れない名前となった。
村越吉展という四歳の幼児を営利目的で誘拐し、殺害した「吉展ちゃん事件」が起きたとき、私は事件現場から隅田川を一本隔てただけの”川向こう”の学校に通う高校生だった。

大きな鉄の橋を渡ると、くすんだ山谷のドヤ街が広がっていた。
うずくまるような街区には、仕事にあぶれ昼間から酒を飲んで赤ら顔をした労務者たちが、いつもたむろしていた。

そこの隣接する南千住、三ノ輪界隈は、もう、東北の貧しい村から吹き寄せられ、その日暮らしの下積み生活を送る小原保が棲息する世界だった。

下町の商店街には、当時人気双子歌手だったザ・ピーナツが、誘拐犯人に訴えて歌う「返しておくれ」という社会派ソングが、ひっきりなしに流れていた。

ふつうなら聞き流してしまうはずのそんな歌が、いまでも耳に残っているのは、この事件が私が住む世界といわば地つづきのところで起こったことを、どこかで強く意識していたからに違いない。

公開捜査のため、ラジオから繰り返し流される福島訛りの犯人の声も、恐怖とともに、よく覚えている。
犯人が身代金を受け取る場所として、村越家に指定した品川自動車を「すながわ自動車」と発音したことも、この本を読んで鮮やかによみがえってきた。

そのねっとりとからみつくような声を聞く度、かすかな旋律を感じた。
私の父親も福島の寒村に生まれ、下町の商店に”労働力”として漂着した人間だった。

小原保は、隅田川をはさんだ東京下町の”隣人”という以上に、どこか血をわけあった近親者にも似た、どこまでもまとわりついてくるような不気味な存在感があった。

いまさら「誘拐」は戦後ノンフィクションを代表する傑作であると、客観的な評価だけでそういうわけではない。
「誘拐」は私のなかに流れる東北人の血を人々に覚醒させ、身内の奥底から痺れがやってくるように揺さぶられた。

かわいいさかりの幼児を誘拐して絞殺し、借金返済と遊興費捻出のため、たった五十万円の身代金を奪う。
鬼畜にも劣る所業である。
だが、本田氏はそれを残忍な事件として描く安易な方法は選ばない。

事件発生から約二年後に逮捕され、死刑となった小原保に注がれる本田氏のまなざしは、限りなくやさしい。

小原は福島の片田舎の開拓部落に生まれ、赤貧洗うがごとき環境で育った。
子どもの頃のあかぎれが元で骨髄炎を患い、その後遺症から片足をひきずるハンディも負っている。

近親者には、癲癇(てんかん)持ちや聾唖(ろうあ)者など先天的障害者ばかりが生まれた。
幼い保の耳に入ってくるのは、「あの家には悪い血が流れている」という、閉鎖性と排他性をむきだしにした口さがない評判ばかりだった。

小原は「悪い血」が淀んだその故郷から、耳と口をふさぐようにして逃げ出し、東北線の終着駅の上野駅に降り立つ。

時あたかも東京オリンピックの直前である。
高速道路や地下鉄の建設が急ピッチで進められ、東北の貧農たちが大挙して東京に出稼ぎにやってくる高度経済成長のまっただなかだった。

しかし、小卒の学歴しかなく、肉体的ハンディがある小原には、短期間で大金が稼げる工事現場は無縁だった。
本田氏と同じ昭和八(1933)年生まれのこの男は、上野駅に近いアメ横の時計屋のしがない修理工として賃稼ぎする都市最底辺労働者の道を選ぶしかなかった。

「誘拐」で読むべきは、高度経済状態が謳いあげたバラ色の夢の裏側に付着したディテール世界の物悲しさである。
中古の腕時計、質流れの時計バンド、社金返済の形にとられる高級腕時計ノラドーーーー。

誘拐現場となった公園には、夜泣きそばの売り子が所在なくベンチに腰掛け、故郷に戻った小原は、生家になぜか足が向けられず藁ぼっちのなかで夜を明かす。

それらはすべて、高度成長の光がまったく差さない陰画世界の、さらに暗い彩となっている。
これまで、世間から完全においてけ堀にされたそうした影の部分に目をこらした作家がいただろうか。

それらの小道具を効果的に使った点描が、高度成長の恩恵に浴することなく、故郷を追い立てられ、都会の片隅に吹き溜まって生きてきた小原の内面をあざやかにあぶりだしている。

小原を自白に追い込んだベテラン刑事の平塚八兵衛に仮託して述べた次の述懐に、本田氏がこの作品にこめた自信のほどが垣間見える。

〈彼の「落とし」が美事に決まるのは、たしかに裏付けられた事実を、容疑者へ次々にぶつけて行くからなのであって、声を荒げることでも、猫撫で声で囁きかけることでもないのである〉

取材によってあがってきた事実をもって、すべてを語らしめる。
小原の足跡をひたむきに追う本田氏の筆は、ノンフィクションの王道を行って、ベテラン刑事の足取りに似ている。

この作品を読む者は、小原の犯行の無慈悲さに戦慄する前に、小原のような誰からも忘れられた人間に何ひとつ手を差し伸べてこなかったこの国の政治の無策さに、あらためて激しい怒りを覚えることだろう。

「誘拐」は、わが国の事件ノンフィクションの金字塔という評価にとどまらない。
これは、高度経済成長という未曽有の時代状況に遭遇し、自らクラッシュして果てた東北人の悲しい血の物語である。


註、※・※
この本の中で初めて見たという字とは、この二つの言葉だった。

その一つは、「沛然(はいぜん)だった」。
・『帰るころ、ひどい雨になっていた。
それは「沛然たる」という形容詞がふさわしい、すさまじい降りであった。
伊藤は車の中で部下と討議した。』だった。
ところで沛然とは?
下の「沛然」という字のことは、ネットで知った。
 盛んに降るさま。 「 -たる豪雨」 「驟雨しゆうう)-として至る/欺かざるの記
 盛大なさま。 「国家大計論ずるや、-として禦(ふせ)ぐ可からず/佳人之奇遇 」

もう一つは「畢竟」だった。
・『畢竟(ひっきょう)、人間というやつは、他のだれかを圧迫しないことには生きられない存在なのであって、犯罪者というのは、社会的に追いつめられてしまった弱者の代名詞ではないか。』
畢竟とは?その意味するところをネットで調べて添付させてもらった。

「畢竟」の意味1結局

「畢竟」の意味は、「結局・つまるところ・とどのつまり・最終的に」などになります。

「畢竟」という言葉は、「色々な経過を経たとしても最終的に行き着くところ」といった意味合いのニュアンスがあります。

そのため、「畢竟」の意味は「結局・つまり」「要するに・結論づけると(最終的に)」といった感じで副詞的な意味合いになってきます。

「畢竟」の意味2=仏教用語の究極

「畢竟」の意味は、原始仏教のサンスクリット語である「atyantaの漢訳」に由来して、「究極・最終・至極(しごく)」になります。

「畢竟」という言葉は、「畢」の漢字にも「竟」の漢字にも「終わること・行き着くこと・尽きること」の意味合いがあり、仏教用語としての「畢竟」「究極的には・最終的には」というニュアンスを持っているのです。