封印されていた文書(ドシェ)
昭和・平成裏面氏史の光芒
著者=麻生 幾
出版社=新潮社
この本を買って読み出すことになったのは、株式会社講談社発行の著者・大泉康雄の「あさま山荘銃撃戦の深層 上巻」を読み終え、それならば下巻も読みたいと考え、古本屋で探している時に気付いたのが、この「封印されていた文書(ドシェ)」だった。
目次を見る限り、この内容ならば買って読むしかないと思ったが、店内では見つけることができなくて、友人にネットで探索してもらって買い求めた。
この本については読了後、このブログに書いてみたいと思う。
★三菱銀行事件犯人「梅川昭美(あきよし)」
VS大阪府警捜査第1課
〈三菱銀行北畠(きたばたけ)支店 猟銃立て籠もり事件〉
昭和54年1月26日、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が乱入し、森岡浩司支店長ら行員を射殺した他、駆けつけた楠本正巳警部補と前島和明巡査を射殺し、行員と客を人質に立て籠った。
借金苦と遊興費欲しさからの凶行だが、籠城中に女子行員を全裸にしたり、男子行員の耳を切り取るなど、その猟奇的な犯罪は全国を震撼させた。
★幻のオウム
VS自衛隊治安出動
〈オウム真理教強制捜査〉
坂本弁護士一家拉致事件や松本サリン事件、相次ぐ信者の失踪など多くの疑惑にまみれていたオウム真理教は、平成七年三月二十日、東京の地下鉄にサリンをばら撒き、十二名の死亡者と数千名の被害者を出した。
さらなるテロの恐怖に騒然とする中、捜査当局は三月二十二日山梨県上九一色(かみくいしき)村や東京・青山のアジトを強制捜査。
五月十六日には教祖・麻原彰晃が殺人及び殺人未遂容疑で逮捕された。
★〈あさま山荘銃撃攻防〉
未公開資料の全貌
〈連合赤軍あさま山荘事件〉
昭和四十七年二月十九日、長野県軽井沢町のあさま山荘に武装した連合赤軍兵士五人が乱入、管理人の妻、牟田泰子さん(31)を人質に十日間立て篭もった。
警察の強行突入で逮捕された坂東国男(ばんどうくにお)(25)ら犯人は取り調べに完全黙秘で臨んだが、その後、同志十四人を「総括」と称してリンチ殺害していた事が判明。
妙義山や迦葉山(かしょうざん)のアジトから続々と遺体が掘り起こされた。
この事件で、左翼勢力に対する国民の支持と理解は失われていった。
★ホテルニュージャパン大火災 埋もれたままの消防隊
六百七十七名全記録
〈ホテルニュージャパン火災〉
昭和五十七年二月八日午前三時十五分頃、千代田区永田町のホテルニュージャパン(故・横井英樹(ひでき)社長)の9階客室から出火。
火は十階と七階部分まで延焼し、死者三十四人を出す大惨事となった。
都心の一等地にあるホテルだが、防火設備など安全管理を怠った横井社長の経営方針に批判が集中した。
警視庁麹町署は同年十一月、横井社長ら幹部を業務上過失致死傷容疑で逮捕。
同社長は最高裁まで争ったが、禁固三年の実刑判決が確定した。
★特捜部VS田中総理
知られざる密室の攻防
〈ロッキード事件〉
昭和五十一年二月、米上院外交委多国籍企業小委員会の公聴会で、ロッキード社が旅客機売込みのため、日本の政治家などに工作資金を贈った事実が発覚。
東京地検特捜部は桧山広(ひやまひろ)丸紅前会長らを贈賄などの疑いで逮捕。
捜査のメスは田中角栄元首相にまで及び、五億円の受託収賄罪で起訴された。
田中元首相は一、二審で懲役四年、追徴金五億円の判決を受けたが、最高裁審理中に死亡。
が、「総理大臣の犯罪」は桧山らに対する最高裁判決で確定した。
★ペルー日本大使公邸事件
存在しなかった「国家の決断」
〈ペルー日本大使公邸人質事件〉
平成八年十二月十八日午前十時十五分頃(日本時間)、天皇誕生日の祝賀パーティーを開催中の日本大使公邸を、ペルーのテロ組織MRTAのメンバー十四人が襲撃。
人質を楯(たて)に獄中の仲間の釈放などを要求した。
日本政府は当初から「平和的解決」を主張、セルパ容疑者ら犯人グループも人質を段階的に開放しながらペルー政府と交渉を続けたが、翌年四月二十三日午前五時二十三分、ペルー国軍の特殊部隊が公邸に突入、犯人全員を射殺し、人質七十一名を解放した。
★金丸逮捕劇の知られざる真実
〈金丸信元自民党副総裁脱税事件〉
建設業界等の裏献金を不正な蓄財に充てていたとして、平成五年三月六日、東京地検特捜部は金丸信元自民党副総裁(78)と生原(はいばら)・元第一公設秘書(49)を所得税法違反の疑いで逮捕した。
前年九月、特捜部は金丸が東京佐川急便の渡辺広康元社長から五億円の献金を受けて居ながら略式起訴で済ませたため、世論の厳しい非難を浴びていた。
金丸は同八年三月二十八日死去。
公訴は棄却されたが、生原は有罪判決を受けた。
★下山事件50年目の解決
〈下山国鉄総裁轢死事件〉
昭和二十四年七月五日、初代国鉄総裁・下山定則(49)が登庁途中に行方不明になり、翌六日未明、常盤線線路上で轢死体となって発見された。
当時は占領下に加え、朝鮮戦争を控え、GHQ主導によるレッドパージが横行。
国鉄では人員大整理を巡り、経営側と労組が一触即発の状態にあった。
「自殺」「他殺」「謀殺」など、様々な憶測や情報が飛び交い、昭和史を代表する”ミステリー”として語り継がれた。
★ペレンコ亡命で第3次世界大戦への悪夢
〈ミグ25函館空港強行着陸事件〉
昭和五十一年九月六日午後一時五十分、ソ連極東防空軍のメグ25戦闘機が函館空港に強行着陸した。
パイロットのベレンコ中尉(29)は即座に警察に身柄を拘束されたが米国への亡命を希望。
同国も受け入れを表明し、九日に日本を出国した。
一方、最高機密である機体の扱いについては、強硬に返還を申し入れるソ連と日本との間で激しい応酬があったが、九月二十五日米軍輸送機で茨城県百里基地に輸送、分解調査することになる。
★北朝鮮「侵入船」を迎え撃った緊迫の8時間
〈不審船領海侵犯事件〉
平成十一年三月二十三日早朝、新潟県沖の領海内で「第2大和丸」「第1大西丸」と船体に書かれた不審船二隻が発見された。
海上保安庁の停船命令や威嚇射撃を無視し、二隻はスピードを上げながら北へ逃走。
政府は二十四日午前零時五十分「海上警備行動」を発令。
護衛艦「はるな」「みょうこう」、p-3cが追尾して警告射撃を行う。
二隻はそのままロシア領海から北朝鮮に逃げ込んだ。
その形状や逃走先から「北朝鮮の工作船」と断定された。