2007年5月22日火曜日

沖縄、本土復帰35年。

沖縄、本土復帰35年

2007年(平成19年)5月15日で沖縄が本土に復帰して35年になる。那覇のホテル建設の準備や、石垣島でのホテル計画、その他にもいくつもの企画がもちあがっていて、私を含めて弊社の役員は、何度も沖縄に通うことになった。そこで、話題になるそのひとつひとつから、考えさせられることが多い。


文化人類学上のことについては、興味を大いにそそられる。宗教、言語、音楽、住居、食については、後日、機会あるごとに学習して、学び取った内容を記録しようとも思った。


そんな折、沖縄が本土に復帰した35年目の5月15日に、発行された新聞を一目見るだけで、沖縄の現状、日米安全保障条約における日本の、とりわけ日本の中の沖縄の置かれている状況がよくわかる。本土に住む一市民としての私は、私達は、何を、どのように考えれば良いのか、この機会を大事にしたい。


沖縄タイムズと琉球新報の15日朝刊の2紙の社説を読んだ。


本土の人たちは、これらの新聞を読む機会が少なかろうと思って、転載した。沖縄の人たちの声、私たちが考えなくてはならないことの示唆に溢れている。


沖縄タイムズ

復帰35年・基地


穏やかな暮らしなお遠く

沖縄が本土復帰してきょう五月十五日で三十五年になる。


「基地のない平和な島」を願いながら県民が過ごした三十五年間は、復帰後も居座る続ける巨大な米軍基地との戦いであり、その返還、生理・縮小に向けて声を張り上げることであった。


沖縄タイムズが実施した復帰三十五年の県民世論調査drは、米軍基地について「段階的に縮小」(70%)「ただちに全面撤去」(15,4%)を合わせ、なお八割強が縮小を求めている。


しかし、現実はどうだろう。米兵による暴行事件を契機に日米特別行動委員会(SACO)で返還合意された普天間飛行場や那覇軍港など十一施設で明らかなように、返還が決まった施設も県内移設が条件とされ、目に見える「負担軽減」にはつながっていない。


それどころか、極東最大の嘉手納基地には、新たに地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が配備され、F15戦闘機の一部訓練を本土に移転する代わりに最新鋭のステルス戦闘機F22Aラプターを一時配備するなど負担は増すばかりだ。


県内の米軍訓練空域では、米軍再編に基づく「米軍と自衛隊の一体化」に沿い、航空自衛隊と米軍との合同訓練なども実施されている。


朝鮮半島有事の際、普天間飛行場が米軍のアジアにおける「出撃の最前線基地」になることも最近、米公文書などから明らかになった。紛争が勃発した時は、ハワイや米本土からも戦闘機を追加配備し、計三百機体制で作戦を遂行する計画だ。


私たちが気に掛かるのは、計画を知っていたはずの日本政府が、なぜ県民にこれらの情報を伝えないのか、ということである。これでは、県民の目に触れない軍事計画がほかにもあるのではないかと疑念が広がるだけだ。


県民は三十五年前の復帰の日に、それまでの米施政権下にあった二十七年間を振り返って「平和な島」をつくることを誓った。だが、復帰後もベトナム戦争、その後のアフガニスタン紛争、湾岸戦争、イラク戦争と沖縄は米軍の出撃拠点として使われてきた。


「加害者にはならない」という私たちの意志は踏みにじりられ、その思いは今に至っても強く残っている。


「沖縄の歴史」伝える責務

文部科学省の教科書検定で、二00八年度から使用される高校の歴史教科書の記述から沖縄戦における住民等の「集団自決」に対する日本軍の関与が削除された。


日本軍の強制という意味合いを消し去り、日本軍による「加害性」を教科書から排除しょうとの意図だ。


県民世論調査では日本軍の関与が削除されたことに対する「反対」が81,4%に達した。


理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」52,4% 「『集団自決』の現実を伝えていないから」37% 「日本軍の関与が明確だから」9,5%の順に多かった。


その上で、沖縄戦の体験などを次の世代に語り継ぐことについては「すすんで語り継ぎたい」(51,3%) 「尋ねられたら話す」(40,1%)を合わせ約九割が戦争体験継承の必要性を感じていることがうかがえる。


非戦闘員の「集団自決」がなぜ起きたかという「真実」に目を閉ざしては、歴史を見誤ることになりかねない。


旧体制下の負の遺産を直視することは重要であり、私たちもまた「沖縄の歴史」として後世に伝えていく責務があることを忘れてはなるまい。


「憲法の理念」見つめなおそう

憲法改正手続きを定める国民投票法が十四日、与党の賛成多数で可決、成立した。今後の改憲論議の最大焦点が戦争放棄と戦力の不保持をうたった第九条であることは言うまでもない。


集団的自衛権の解釈改憲への動きなども表面化した今、米軍基地を多く抱える私たちはこの問題にどう対応すべきなのか。自らの問題としてきちんと検証していく姿勢が求められよう。


しかし、憲法ができて二十五年間の空白がある沖縄では、まだまだ憲法の理念が生かされているとは言えない。


憲法施行六十年の節目に、現行憲法の理念とその重さをあらためて見つめ直したい。


戦後二十七年間の米施政権下で蹂躙された県民の人権、奪われてきた平和に暮らす権利を思えば、この三十五年間と私たちが復帰に求めた「願い」との隔たりはあまりにも大きい。


復帰とは何だったのか。これからの沖縄像をどう描くのか。復帰の日のきょう、あらためて考えたい。


琉球新報

復帰から35年


まだ遠い「自立の確立」対米追従からの脱却が先きょう十五日で、沖縄は復帰から三十五年迎えた。この間、道路や港など社会基盤の整備は進んだが、米軍基地など変らないものもある。

基地経済依存率は減少したが、日本政府の国庫支出金、振興策などの官依存経済は進み、県民の目標「自立の確立」はむしろ後退しているようにみえる。そして、十四日には憲法改正手続きを定める国民投票法が参院本会議で与党などの賛成多数で成立、憲法改正に向けて一歩を踏み出した。

沖縄の基地負担がさらに増える懸念もある。憲法が復帰の原動力去る対戦で沖縄は戦場となり、二十万人余の犠牲者をだした。県民は四人に一人が犠牲になった。一九五一年にはサンフランシスコ講和条約が結ばれ、翌五二年四月二十八日には発効、日本の独立の回復と引き換える形で、沖縄と奄美は日本から切り離された。

米軍は沖縄を太平洋の「キーストーン(要石)」「巨大な不沈空母」とする基地建設を進めた。基地機能を維持するため現役軍人を長とする琉球列島米国民政府(USCAR)を通じて統治するが、行政、司法、立法などすべてに権限が及び、銃剣とブルドーザーで土地を接収し基地を拡帳するなどした。

住民は怒り、島ぐるみ土地闘争、主席公選の要求など、復帰運動へと進展した。立法院での日本復帰決議をはじめ、国旗掲揚請願、本土と沖縄を隔てる北緯二七度線上で海上集会が開催された。

「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を掲げる日本国憲法の下で、基本的人権が守られ、人間としての尊厳をーとの願いが復帰運動の原動力でもあった。

日本国の憲法の適用を求め、立法院は復帰前の六五年に憲法記念日を休日と定めた。その憲法は今年で施行六十年を迎え、「戦後体制からの脱却」を掲げる安倍首相は任期中に憲法を改正する方針を打ち出し、改憲の手続きを定める「国民投票法」を成立させた。

沖縄に憲法が適用されてからまだ三十五年。米軍基地が集中する沖縄から見れば、憲法がちゃんと実践されていなように思える。

「今、求められているのは、憲法を変えることではありません。

憲法を誠実に実践し定着させることです」(沖縄の弁護士七十四名による共同の意見表明)。憲法の適用を求めてきた県民からすれば、まだ三十五年、憲法が持っている本来の目的、狙いを実感したい。

静かな沖縄返せ「戦後体制からの脱却」を訴えるなら、教育基本法や憲法より前に、日本政府が戦後一貫して推し進めてきた「対米一辺倒」「対米追従」からの脱却が先だ。沖縄の復帰運動の高まり、本土での反ベトナム戦争の高揚などから「沖縄が爆発する前に~」、と復帰を認めざるを得なくなった米国にとっては、沖縄の基地を復帰前と同様に自由に使用できることが重要だった。

日本政府は米国のやることに基本的には反対しなかった。それが今でも続いており、嘉手納、普天間基地からの騒音、基地から派生する事件、事故となっている。

嘉手納基地は日米合同委員会で合意した「航空機騒音規制措置」で、「午後十時~(翌日)午前六時の飛行および地上での活動は、米国の運用上の所用のために必要と考えられるものに制限される」としているが、実際は戦闘機の未明の離陸が恒常化しており、規制措置は有名無実。

「静かな夜を返せ」「静かな空を返せ」と訴える嘉手納や普天間の爆音訴訟で司法から過去の損害賠償の支払い命令を受け、今後とも損害賠償が発生する恐れがあるのに、有効策は打ち出していない。

在日米再編に協力した自治体に交付金を上積みする米軍再編推進法案は、米軍基地を押し付ける「アメとムチ法」。地元の頭越しで合意した再編をこれまで以上に強引に推し進めるものだ。このところ沖縄からの発信力が低下したといわれる。

日米両政府を動かした復帰運動のエネルギーを再構築して、県民が一体となり平和で豊かな沖縄を目指したい。県民一人当たりの所得は全国最低で、若者を中心に失業率は高い。

官経済、財政依存体質など課題は多いが、「経済の自立なくして沖縄の自立なし」で、脱・基地・沖縄振興を実現したい。

2007年5月18日金曜日

沖縄は、「神の国」。 ユタ物語

1179729064.jpg


  今月の12日(土曜日)に沖縄那覇に行ってきた。

弊社が、ビジネスホテル用に取得した那覇市前島の土地には、現在、結婚披露宴会場や住宅、レストランを含む複合施設のオンボロが建っている。そのオンボロを解体工事会社に発注したものの、受注してくれた会社が、これだけの大きな建物を解体するには心配事が多いので神の加護が必要ですと直訴された。 具体的には、ユタに祈って『祈る=拝み(ウガン)』欲しい、と言うことだった。

相談を持ちかけられた私は、「えっえ~、ユタって、そりゃ何じゃあ」、何だか良く解らないが、郷に入れば郷に従えです。やりまっしょ、と即断した。それから、私のユタ物語が始まったのです。先ずは、「ユタ」のことについて、学習するしかない。参考になる資料を集めて「ユタ」の理解に努めた。とは言え、沖縄のことをオキナワという地名ぐらいしか知らなかった私にとって、他所の文化・風習、まして「地元の神さま」を理解することは、そう簡単ではないことぐらい解りきっていた。

それでは、ユタとは
沖縄本島・離島・奄美諸島に、古来から存在する民間のシャーマンのことを一般にユタと呼ぶ。霊的(霊媒)能力を備えた人。運勢の吉凶、先祖供養、先祖の口寄せ、各種の祭祀、占いなどをする巫女。多くは女性です。一部、恐山の「イタコ」に似ているところがあるように思われます。 又、ユタには、教義、戒律のようなものは無さそうでした。本土では、各地にいろんな宗派のお寺があって、神道においても伊勢神宮系、杉山神社系などの神社があって、その他の宗教の施設が数多くあるのですが、沖縄とは大分違いますね、と質問した。そんなことはありません。本土とは同じなのですが、沖縄は経済的にも貧困だったので、大きな施設は作れなかったのです、と返答された。

そこで、ガッテン。神社やお寺に気楽にお参りできなかった状況のなかで、自然発生的に、日常生活のなかに占めるユタの役割が大いに増したのだろう。民衆の必要性に応じて、現在もユタの数は増える一方であるそうだ。ユタの多くは不幸な体験をきっかけに神がかりになり、『カンダーリィ(神ダーリィ)』と呼ばれる病気を患う。この期間中は精神状態が不安定になり不眠,拒食、意識喪失、大声で歌い騒ぐ、身体が震えるなどの状態が続き,幻視幻聴、精神病者と紙一重になる。しかし、これは殆んどユタが経験する関門なのだ。この間、彼らは自分に憑いた神霊や先祖霊に命じられるままに、いろいろな御嶽(ウタケ)を回って祈らされたりする。

ユタ禁止、ユタ征伐、ユタ狩りなど、琉球王国時代から明治政府、戦時体制化まで幾度も禁圧した歴史がある。だが、民衆の要求に支えられて潜伏し、今までいき続けてきた。

前夜、我が社の代理人N氏(かっては社会大衆党員で、那覇市の元市会議員)が、私の宿泊先のホテルでユタさん(こんな言い方していいのか?お叱りをうけるのかな?)に引き合わせてくれた。私は、ユタさんは長老のおじいちゃんかおばあちゃんで、きっと神々しい雰囲気をもっていて近寄り難く、恐そうな人間に違いないと勝手に想像していた。ところがじゃ、やってきたユタさんは、スポーツウェアーでスポーツシューズ姿。そして、若い男性だった。まだまだ、青年といってもそうは間違ってはいない。中学校か高校の体育の先生風といったら、ピッタリの表現かも。解体工事が無事に終えられることを、切に望んでいることを伝えた。土地の所有者は弊社で、弊社の本社の所在地を教え、代表者が私であることを知らせた。

翌朝13日(日曜日)。
関係者は、解体現場に9時に集合した。解体業者さんも、この神の儀式には重要な役割があるのかと思ったのですが、あくまでも、所有者とユタさんと、目には見えない霊の3者が、全ての関係者ということになるらしい。ユタさんは早い目に来て、現場を調査していた。調査といっても何かに思いを巡らしながら、ぐるっと歩いて回るのです。そして、ユタさんは「大丈夫です~ 大丈夫です」と言うだけ。この土地は埋立地なので、歴史が浅く恨みツラミ、諍いが少ないので、大丈夫です、ということのようでした。解体現場に影響を与えるであろう、近場の拝所『ウガンジュ(霊地)』を4ケ所廻りましょう、ということになって、現世の当事者2名とそれをサポートする優しい関係者たちは、車で移動した。

先ずは、1番目。
沖縄総鎮守旧官幣小社 波上宮(ナミノウエグウ)昔の人々は海神の国(ニライカナイ)の神々に、日々豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。この霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖であり、ここを聖地、拝所として祈りをささげたのが、波上宮の始まりだそうです。我々もここでお祈りの儀式を行った。本殿の両サイドに、ユタと相談者(祈祷依頼者)の二人が並んでお祈りができるスペースが確保されている。この前にお供え物や線香を並べて、茣蓙の上に胡坐を組んで座るのです。神社の方でも、ユタさんに対する配慮は十分施されているのです。お祈りの後、何かイメージされましたか?と聞かれて、私は、ただただ工事が無事に終わること、会社の商売が繁盛すること、社員全員の健康を祈っていました、何もとりわけイメージは湧いてきませんでした、と答えた。ユタさんは、サクラがいっぱい咲いていました。素晴らしいですよ、と答えてくれました。山岡さん、あなたは素晴らしい。素晴らしいですよ。緊張していた私は、ただ、ハアー、ハイとだけしか答えられなかった

2番目は水の神
女の神さまで情熱に溢れた神様です。そこの段になっている所からは、男性は入らないで下さい、と指示を受けた。情熱に溢れた神様なら、いっそうのこと、入った方がいいのでは、と顔を赤くして考えていた。私にはいつも、邪念が付きまとう。私が着ている会社の名前入りのサッカーウエアーに、ユタさんは気が付いた。それは、会社のユニホームですか? ユタさんは私の会社のユニホームが、何故サッカーウエアーなのか、不思議だったようです。私も、あなたが何故サッカーウエアーを着ているのか知りたかったのですよ。私は、ちょっとばかし、過去の一部を恥ずかしげもなく自慢してしまいました。ここで、霊媒者・ユタさんと私は、サッカーを媒介して通じてしまった。ここで、水の神(情熱に溢れた神様)とユタさん、私の合体作業は完了したのです。山岡さん、あなたの当初の役目はもう終わりました。これからは、あなたのこと、あなたの会社の将来の繁栄をお祈りすることにしましょう。ユタさんは、「最高です。最高ですよ」と。ユタさんは私に、「南の方へ、すうっと~~  うんぬん~」と言われた。方言のため、きちんと聞き取れなかったのですが、瞬間、私は今弊社が仕掛けている石垣島のホテル計画を思いつき、「う~ん ミナミ !! こりゃ 石垣島ホテル計画が成功する、ということだ」と喜んだ。これは、邪念ではありません、真剣勝負の話なのです。

3番目は沖の宮
当神社の例大祭の最中だった。本殿の前から神輿が出て行く準備が始まっていた。私の田舎(京都府綴喜郡宇治田原町)では、神輿の担ぎ手がいなくなって、トラックの荷台に乗せて村中を巡るようになって、35年は経つ。私達兄弟3人が揃って、神輿を担いだとき、父母、祖母は大層喜んでくれたことを、思い出してしまった。沖縄の沖の宮でも、同じなのだろうか、トラックの荷台に神輿を乗せていた。確かめなくっちゃと思った。私達は人出を掻き分けて、本殿の脇を通って、裏に回るとそこに拝所があって、そこでお祈りをした。拝所は小高い丘の頂上で、そこからは、周囲全部が見下ろせた。眼下には、スポーツ公園の全景が見えた。50メートルプールでは、監視員2人の注目を受けて老人が一人っきり、クロールで泳いでいた。沖縄は、もう既に夏に入っているのです。野球をやっているのも見えた。神社の広場では、子供達によるエーサイが行われていた。民族衣装をまとった子供達30人程が、腹に結び付けた太鼓を叩きながら、掛け声をかけて踊る。神に奉納する群舞だ。那覇のホテル建設の起工式には、是非これを組み込もうと思っていたので、よく注意して観せていただきました。

4番目は沖縄の県知事公舎内
ここは、政治を司る神さまです、とユタさん。国家鎮護の神さまです。4番目の霊場は知事公舎内にある。公舎は警備員によって厳重に警護されていた。私達が警備員詰め所に近づくと、警備員は両手を合わせて拝むポーズをとる、我々は車の中から同じように両手を合わせて拝むポーズをとって、笑顔を交し合った。それで、オッケーなのです。私の感覚では、公舎などに入るためには、前もって入所理由、入所者、入所時間、面会相手を所轄の部署に届けて許可を取っておくものだと思う。ところがじゃ、沖縄、ユタは違うようです。公舎敷地内の裏に拝所があった。そこでお祈りをしていたら、警備員は職務上、木の陰から確認していた。公舎は最重要警戒地域であるのに、この取り扱いは、民衆に親しまれている神さまの威力の証左であろう。

お祈りが終わった。
「山岡さん、あなた、よかった。最高です。あなたがよかった。大丈夫です」と、ユタさんに言われて、意味もなく嬉しかった。お供物をどうしましょうか、ということになったのですが、結局ユタさんがこれから行くサッカーの練習に持って行くことになった。子供がサッカーをやっているんですよ、とユタさんは言っているのだが、子供よりも自分が主役でやっていそうな勢いだった。昼飯時に、みんなでお供物を食べている光景を想像して、これもまた私を異常に嬉しくさせた。私が横浜から持って行った横浜中華街の中華菓子「月餅(ゲッペイ)」も、元気なサッカー少年の口に運ばれていることだろう。砂のついた小さな手につままれて。

お祈りの仕方について、
きちんとレポートしたかったのですが、ユタさんと会話の時間が巧く取れなくって、不満足な内容になってしまったのが辛いのです。儀式の様子を写真で紹介してあるので、想像力をめいっぱい発揮してみてください。いろんなお供物を前に並べるのですが、何故か種類ごとに奇数個なのです。御恩上げ(ぐうん)をユタさんは奏上します。私は、線香の束を両手で写真のように最初は左回りに3回まわして、その線香を供えます。それからしばらくユタさんの御恩上げが続いて、今度は線香を右に7回まわして、その線香を供えるのです。それから、私は手を合わせてお祈りをするのです。祈りが終わると拍手2回。拝礼で終わりです。どこの拝所でも同じように行いました。

ユタ用語
(あっちゃ、こっちゃの資料から引用させていただきました。情報提供者には感謝しています)

・ウタキ(御嶽):神々が下りてくる聖地。

・セイフ(成巫):ユタになること。

・フビョウ(巫病)、カンダーリ(神ダーリィ):成巫の前に心身の不調が発生した状態。

・ユタは地域によって、カミンチュ(神人)、ムヌシリ(物知り)、カンカカリア(神懸り) ムンスイ(物知り)、カンヌプトゥ(神の人)と呼ばれている。

 ・サーダカウマリ(性高生まれ)、カンダカウマリ(神高生まれ):沖縄や奄美のユタは、ユタになることを運命づけられていると思われる人が多い。そういう人々のことを言う。

・ニライカナイ(神の国):我々の住むこの世界とは別の神々の国、異境の意。

2007年5月15日火曜日

「にんげんをかえせ」最終稿。峠 三吉

広島で被爆した詩人、峠 三吉(1917~53)の代表作「原爆詩集」(51年)の最終稿とみられる原稿が東京で見つかった。

原爆詩集の序

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ


 序の横にあった「予言のうた」は14行の赤字の走り書き。 「これらのことばは予言のうただろうか? これらのうたは前兆のことばだろうか?これらのうたはにんげんがおもいもかけぬ苦しみの記録 またと心に刻まるべきでない悲しみの叫び(後略)」と書かれていた。ただ、その部分には鉛筆で*が記されており、印刷所に非掲載を指示するためだったとみられる。

峠作品の研究家らでつくる市民団体「広島に文学館を!市民の会の池田正彦事務局長は、「峠は、原爆が再び使われる可能性が追っていると予期し、思い悩んでいた。走り書きは詩集全体への所感を記したものでは」朝鮮戦争で米大統領が原爆使用を示唆した。

2007年5月5日土曜日

読了「罪と罰」

4回目の「カラマーゾフの兄弟」を読み終え、3回目の「罪と罰」を読み終えた。読後感想などを書き留めておけばいいのだろうが、ドフト親爺の本はどれも、読み終えるとふらふらになってしまって、そんな元気が出てこない。でも、いまのうちなら、訳者・工藤精一郎さんの解説文から抜粋して、簡単なあらすじぐらい、書き置いておこうと思った。

だから下の文章は、全て訳者殿の文章です。

次は「悪霊」に挑戦です。初めてのご対面です。 

ダイジェスト 

先ずは、ラスコーリニコフの理論がある。これは人類には凡人と非凡人に大別され、大多数は凡人で現行秩序に服従する義務があるが、選ばれた少数の非凡人は人類の進歩のために新しい秩序をつくる人で、そのために現行秩序を踏み越える権利を持つというのである。この理論にしたがってラスコーリニコフは、終局的に人類の福祉に貢献するならば、しらみのような金貸しの老婆を殺すことぐらい罪ではない、自分にはその権利があると妄信する。しかし理論だけでは殺人はできない。彼の病気と孤独、酔いどれマルメラードフ一家の物語、妹の犠牲的結婚を知らせる母の手紙、少年の日の馬の夢、古着商人と老婆の妹の会話、これらが殺人の決行へと追い込む。そして、偶然の重なりによって、完全犯罪に近い殺人を犯す。これが第一部である。

 

 

予審判事ポルフィーリイは論理的で直感力が鋭く、賢明で狡猾、慎重で大胆、冷笑的で相手をじらしながら相手の失言を誘い出すというタイプである。彼は辛抱強く偶然的な些細なことのなかに意味をさぐり、捜査の輪を絞っていき、ここぞという瞬間に決定的な打撃を加えようとする。心証はあるのだが、物証がない。予審判事ポルフィーリイとの知的対決からラスコーリニコフの思想の輪郭が推察される。それは理論によって正当化された殺人によって金を獲得し、その金によって権力を握る。

 

 

権力によって新しいエルサレムをつくり、民衆を幸福にしてやる。つまり殺人は権力掌握の手段であり、目的は新しいエルサレム、つまり空想社会主義のファランステールをつくることである。

ソーニャの信念は。ソーニャは、支配者たちの国家宗教に転ずる以前の貧しき者、病める者、不幸な女や子供たちを救ってくれるキリスト教を信じたのである。ソーニャは一度は死んだ、自分の意志で自分を殺した、だが「ラザロの復活」を信じることによって、キリストに命を与えられた、だからキリストの教え、愛による救いを広めることが、自分の生きる道であると素朴に信じた。「ラザロ復活」朗読の場面で、ラスコーリニコフはソーニャの秘密を見抜いた。

愛と自己犠牲によって身近の人間を自分の道へひきこみ、自分のまわりに正義を広める。ソーニャが無意識に目指していた理想社会は富みも権力も無い兄弟愛の世界である。

二人は逆方向から同じ目的を目指していたのである。

 

 

スヴィドリガイロフは現在を否定し、未来に展望をもたぬ絶望的なニヒリストである。悪徳の化身のようなこの男は、われわれは同じ木から落ちたリンゴだ、ただあなたにはシラーの残りかすがくっついているだけだ、とラスコーリニコフを嘲る。ラスコーリニコフはこの男に自分の思想の反映を見て動揺する。彼を人間にもどすことができるのは、ドーニャの愛だけだが、彼はこの愛に破れ、女心の微妙な揺れに一瞬人間の心を取り戻して、彼女を解放する。そして心はまた真の闇に閉ざされてしまう。それはもはや死である。彼は拳銃自殺する。

 

 

(ここから、私の文章)

ラスコーリニコフは警察に自首した。ソーニャは、陰から見送った。最初から自首を勧めていた。

シベリアの監獄に7年収容されることになった。当然、ソーニャは同行した。監獄に面会に行くたびに、ラスコーリニコフは安らかな精神状態になっていく。苦しみ続けた自論との葛藤から。

ソーニャのキリスト信仰はますます深められていく。

少しづつ平穏な精神状態になってきた彼、その平穏を望みながら支えてきた彼女。

ラスコーリニコフの妹ドーニャはラズミーヒンと結婚した。

母は、息子の幻想の世界を漂いながら忘失、そして命を絶った。

妹の元許婚・ ピョートル・ペトルヴィッチはどうなったか?は読み取れなかった。

友人で医者のゾシーモフは、立派なお医者さんになった、と、当然のように推測できる。

       

物語に出てきた人の名前と主人公との関係を記しておけば、ストーリーを思い出しやすいと思ったので、書き添えました。

ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(ロージャ)

ラスコーリニコフの友人=ラズミーヒン

友人の医者=ゾシーモフ

母=プリヘーリア・アレクサンドロヴナ

妹=アヴドーチャ・ロマーノヴァナ(ドーニャ)

下宿の女=ナスターシャ

妹の許婚=ピョートル・ペトロヴィッチ

マルメラードフ(夫)とカテリーナ・イワーノヴナ(妻) ポーレチカとリードチカ

マルメラードフのアパートの所有者=アマリア・リュドヴィーゴヴナ

金貸しの老婆=アリョーナ・イワーノヴナ、と(妹)リザヴェーター

妹が元家庭教師をしていた家の主人=スヴィドリガイロフ

ペンキ屋=コッホとペストリャコフ

警察官=アレクサンドル・グリゴーリエヴィチ(ザミョートフ)

火薬中尉=イリヤ・ペトローヴィチ

予審判事=ポルフィーリイ

 

  

 

 

2007年5月3日木曜日

日米首脳会談 謝る相手が違わないか

日米首脳会談  謝る相手が違わないか

4月27日 日米首脳会談がキャンプデービッドで行われた。

北朝鮮の核問題交渉は、米国が6カ国協議を尊重しながらといいながらも、米国主導で北朝鮮に妥協させられて進んでいる。対話重視路線?というやつだ。手始めは、マカオの銀行の資金返還から。日本の拉致問題をそっちのけで。

そんな状況下、安倍首相の先回の訪米での「慰安婦発言」が米国両議会、マスコミ、親日派要人、中韓から強烈に批難を受けた。今回の安倍首相の訪米は、双方のギクシャクした関係を払拭させて、日米の協調、両首脳の「一体感」を演出する必要があったのだろう。

首相は旧日本軍の慰安婦問題で謝罪し、大統領はそれを受け入れた。

両首脳は拉致問題を含めて北朝鮮に強い姿勢で臨むことを確認した。ともに両国間に吹いていた課題だ。

そこでだ、安倍首相殿。

こんなことで、世の人々は、そう簡単に貴殿には騙されませんぞ。

慰安婦問題についての首相の言辞を、ここで改めて検証したい。

今までの発言の一部です。

「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかった」

「従軍慰安婦には、狭義の強制性はなかった」

「当時、慰安婦との言葉はなかった」

「官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった」

自民党の有志の会「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が数々の慰安婦問題に対する誤った認識は、河野談話が根拠になっているとの見解を盛り込んだ提言をまとめた。

事実誤認だと。

安倍首相は、首相になったので、その会の会長を中山成彬元文科省にバトンタッチした。

上に掲げた、数々の首相の発言は、その会で各位が華々しく議論を交わした延長線上のもので、会に参加している議員にとっては至極当然の内容である。

提言をまとめて、政府に提出する間際に、首相の米国での慰安婦発言があって、米国から批難され、提言はされずじまいになった。

これからだ、首相の可笑しいのは。

米国からの激しい批判を受けて、ヤバイと思った首相は、火消しに走った。

強制性のことには触れずに、「人間として、首相として心から同情している。申し訳ない思いだ」と。強制性がなかったから、日本には責任はないのだ、と言わんばかりの、今までの発言はどうなるんだ。会のメンバーは、これで、いいのか。納得しているのか。

(この文章を綴ってから、2週間後。民主党にも、河野談話に疑問をもっている議員の会ができていることを知った。なんじゃ、こりゃ。これじゃ民主党は自民党の対立軸にもならないじゃないか、とがっかりした)

ブッシュ大統領は、「慰安婦問題は世界史における残念な一章だ。私は首相の謝罪を受け入れる」と応じた。

日米首脳会談で、安倍首相が謝罪して、ブッシュは受け入れた。

以下、2007年4月29日の朝日 社説の一部より

首相が謝罪すべきは元慰安婦に対してではないのか。首相はかって河野談話に反発し、被害者に配慮ある発言をしてきたとは言い難い。国内で批判されても意に介さないのに、米国で紛糾すると直ちに謝罪する。

何としたことか。

問題が大きくなったきっかけは「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかった」という首相の発言だった。日本としての責任を逃れようとしているものと、海外では受け止められた。

米議会では、慰安婦問題で日本に公式謝罪を求める動きがあり、これに弾みをつけた。メディアも「拉致で国際的支援を求めるならば、日本の犯した罪を率直に認めるべきだ」(ワシントン・ポスト紙)と厳しかった。米政府内にも首相の見識を問う声が出た。

慰安婦は、単なる歴史的事実の問題ではない。国際社会では、女性の尊厳をめぐる人権問題であり、日本がその過去にどう向き合うかという現代の課題と考えられているのである。

2007年5月1日火曜日

映画「ゆ れ る」を観た

(あの橋を渡るまでは、兄弟でした)

 *原案・脚本・監督=西川美和
*出演=オダギリ ジョー 香川照之 伊武雅刀 新井浩文 真木よう子 木村拓一               ピエール瀧 田口トモロヲ 蟹江敬三


 昨日、私は、株主優待券ちゅうものを利用して映画「ゆれる」を観てきた。
私の、GWのささやかな娯楽でした。何を観たいとか、何を食いたいとかの、欲望はもう湧いてこないようです。仕事とドストエフスキーにハマリっ放(ぱな)しなのです。 
 オダギリ ジョーなんて俳優さんは、初めてお目にかかった。


東京で写真家として成功した猛(たける)は母の一周忌で久しぶりに帰郷した。兄の稔は、短気で怒りっぽい父親と同居、親子でガソリンスタンドを経営している。そのガソリンスタンドには、猛の幼馴染の智恵子が働いている。猛の目には、稔が智恵子に愛情を感じているように映る。智恵子もまんざらでもないように振舞っている。猛は幼馴染の智恵子をアパートに送って、体を重ねる。

 翌日、猛、稔、智恵子の三人で近くの渓谷に足を伸ばすことにする。懐かしい場所にはしゃぐ稔。稔のいない所で、猛と一緒に東京へ行くと言い出す智恵子。
吊り橋を渡る猛を見て、智恵子も猛を追うように吊り橋を渡りだした。そこに、稔が、一人では危ないよ、と智恵子の傍に寄る。
その時のことです。
渓谷にかかった吊り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下してしまう。その時傍にいたのは、稔一人だった。   
 事故だったのか、事件なのか。
裁判では、検事は、愛情を受け入れてくれない相手を突き落としたのだろうと、弁護士(稔、猛の叔父さん)は、彼女は踏み板の外れたところからバランスを崩して落下したのですと主張した。
留置場で、面談するたびに、これまでとは違う一面を見せるようになる稔を前にして猛の心はゆれる。
弁護人側の証人として、猛が陳述した内容は、稔が智恵子を振り落としたことを見た、という余りにも衝撃的なものだった。
弁護士は狂わんばかりに落胆する。
ガソリンスタンドの社員も、猛の行動を強く非難した。


    
 七年後、稔は出所した。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、うちに帰ろう」涙ながらに訴える猛を見て、稔は、何が何だか、さっぱり分からないようだった、が。稔は、遠い過去から記憶を蘇らせようと努力する。
そのうち稔の顔に、少しずつ反応が表れだした。
 兄・稔を演じた香川照之の演技力には度肝を抜かされた。体のなかに閉じ込めていた深い思念や情意を、目線で、顔の肉片の一筋で、背中で表現する。観る者を圧倒させる。
その他、個性派演技人が肩を並べてくれた。


 ( 注)私には演出方法や、脚本、監督の采配なんて、評論する資格はありません。
 実感として、楽しかった。
    


 

 

 

 

 

送電線の磁界 規制へ

高圧電線の下は、本当に危険なのですか?
 送電線の磁界 規制へ
経済産業省 国際基準と連動  (朝日新聞の記事を参考にしました)
 


高圧の送電線が、人里離れた山野だけではなくて、住宅地にも右に左に走っている。その線下に住む住民の健康に、悪い影響が有るのか無いのか? 有ったとしたら、何が原因なのか?
この問題は、以前から、話題にはなっていた。生協の発行する情報誌では重大な問題として、随分前から注目していた。経済産業省では従来から「健康との因果関係は明確になっていない」との立場を変えていない。
30年前に、勤務していた会社から、不動産を担当せよと辞令を受けた。その時には、まだまだ、高圧線下問題は冗談程度で済まされた。
「皆さん、高圧線下にいると、ジリジリ音がするでしょう。それは、高圧の電線から、電波が出ていて、その電波が体中の血のイオンを活性化して流れを良くするのですよ。健康に良いと言って磁気バンドを腕輪にしたり、首にぶら下げたり、血流がよくなって気持ちがよくなった、とか言ってるでしょ、それと同じなんですよ」。その程度の認識だった。
近く、電磁界の環境保険基準をまとめる世界保健機構(WHO)などの動きにあわせ、規制を強化する。
海外では、送電線の近くの住民の健康について「電磁界の強さと小児白血病に関連性がある」との報告もある。
WHOの下部組織「国際がん研究機関」は01年、電力設備や家電製品の周りの低周波の磁界については「人間にとって発がん性があるかもしれない」としている。
経済産業省は76年から送電線の電界を規制。簡単に立ち入れる場所では、送電線下の電界の強さが一定以下になるよう義務付けている。だが、磁界の規制はない。海外ではドイツ、イタリアなどが電界、磁界とも規制している。日本で同様の規制をしても「既存の設備を大幅に改修する必要はないだろう」(同省)という。
 


電磁界:電界と磁界が合わさったものが電磁界。電界(電気のある場所)は、電圧がかかっている物の周りに、磁界(磁気のある場所)は電流や磁石の周りに発生する。
テレビの場合、電源プラグが抜けていると、どちらも発生しないが、コンセントに差し込むとコードに電圧がかかり、電界が発生する。スイッチを入れると電気が流れ、磁界も生じる。
電磁波は電界と磁界が相互作用し、波になって空間を伝わる現象。