2007年5月18日金曜日

沖縄は、「神の国」。 ユタ物語

1179729064.jpg


  今月の12日(土曜日)に沖縄那覇に行ってきた。

弊社が、ビジネスホテル用に取得した那覇市前島の土地には、現在、結婚披露宴会場や住宅、レストランを含む複合施設のオンボロが建っている。そのオンボロを解体工事会社に発注したものの、受注してくれた会社が、これだけの大きな建物を解体するには心配事が多いので神の加護が必要ですと直訴された。 具体的には、ユタに祈って『祈る=拝み(ウガン)』欲しい、と言うことだった。

相談を持ちかけられた私は、「えっえ~、ユタって、そりゃ何じゃあ」、何だか良く解らないが、郷に入れば郷に従えです。やりまっしょ、と即断した。それから、私のユタ物語が始まったのです。先ずは、「ユタ」のことについて、学習するしかない。参考になる資料を集めて「ユタ」の理解に努めた。とは言え、沖縄のことをオキナワという地名ぐらいしか知らなかった私にとって、他所の文化・風習、まして「地元の神さま」を理解することは、そう簡単ではないことぐらい解りきっていた。

それでは、ユタとは
沖縄本島・離島・奄美諸島に、古来から存在する民間のシャーマンのことを一般にユタと呼ぶ。霊的(霊媒)能力を備えた人。運勢の吉凶、先祖供養、先祖の口寄せ、各種の祭祀、占いなどをする巫女。多くは女性です。一部、恐山の「イタコ」に似ているところがあるように思われます。 又、ユタには、教義、戒律のようなものは無さそうでした。本土では、各地にいろんな宗派のお寺があって、神道においても伊勢神宮系、杉山神社系などの神社があって、その他の宗教の施設が数多くあるのですが、沖縄とは大分違いますね、と質問した。そんなことはありません。本土とは同じなのですが、沖縄は経済的にも貧困だったので、大きな施設は作れなかったのです、と返答された。

そこで、ガッテン。神社やお寺に気楽にお参りできなかった状況のなかで、自然発生的に、日常生活のなかに占めるユタの役割が大いに増したのだろう。民衆の必要性に応じて、現在もユタの数は増える一方であるそうだ。ユタの多くは不幸な体験をきっかけに神がかりになり、『カンダーリィ(神ダーリィ)』と呼ばれる病気を患う。この期間中は精神状態が不安定になり不眠,拒食、意識喪失、大声で歌い騒ぐ、身体が震えるなどの状態が続き,幻視幻聴、精神病者と紙一重になる。しかし、これは殆んどユタが経験する関門なのだ。この間、彼らは自分に憑いた神霊や先祖霊に命じられるままに、いろいろな御嶽(ウタケ)を回って祈らされたりする。

ユタ禁止、ユタ征伐、ユタ狩りなど、琉球王国時代から明治政府、戦時体制化まで幾度も禁圧した歴史がある。だが、民衆の要求に支えられて潜伏し、今までいき続けてきた。

前夜、我が社の代理人N氏(かっては社会大衆党員で、那覇市の元市会議員)が、私の宿泊先のホテルでユタさん(こんな言い方していいのか?お叱りをうけるのかな?)に引き合わせてくれた。私は、ユタさんは長老のおじいちゃんかおばあちゃんで、きっと神々しい雰囲気をもっていて近寄り難く、恐そうな人間に違いないと勝手に想像していた。ところがじゃ、やってきたユタさんは、スポーツウェアーでスポーツシューズ姿。そして、若い男性だった。まだまだ、青年といってもそうは間違ってはいない。中学校か高校の体育の先生風といったら、ピッタリの表現かも。解体工事が無事に終えられることを、切に望んでいることを伝えた。土地の所有者は弊社で、弊社の本社の所在地を教え、代表者が私であることを知らせた。

翌朝13日(日曜日)。
関係者は、解体現場に9時に集合した。解体業者さんも、この神の儀式には重要な役割があるのかと思ったのですが、あくまでも、所有者とユタさんと、目には見えない霊の3者が、全ての関係者ということになるらしい。ユタさんは早い目に来て、現場を調査していた。調査といっても何かに思いを巡らしながら、ぐるっと歩いて回るのです。そして、ユタさんは「大丈夫です~ 大丈夫です」と言うだけ。この土地は埋立地なので、歴史が浅く恨みツラミ、諍いが少ないので、大丈夫です、ということのようでした。解体現場に影響を与えるであろう、近場の拝所『ウガンジュ(霊地)』を4ケ所廻りましょう、ということになって、現世の当事者2名とそれをサポートする優しい関係者たちは、車で移動した。

先ずは、1番目。
沖縄総鎮守旧官幣小社 波上宮(ナミノウエグウ)昔の人々は海神の国(ニライカナイ)の神々に、日々豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。この霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖であり、ここを聖地、拝所として祈りをささげたのが、波上宮の始まりだそうです。我々もここでお祈りの儀式を行った。本殿の両サイドに、ユタと相談者(祈祷依頼者)の二人が並んでお祈りができるスペースが確保されている。この前にお供え物や線香を並べて、茣蓙の上に胡坐を組んで座るのです。神社の方でも、ユタさんに対する配慮は十分施されているのです。お祈りの後、何かイメージされましたか?と聞かれて、私は、ただただ工事が無事に終わること、会社の商売が繁盛すること、社員全員の健康を祈っていました、何もとりわけイメージは湧いてきませんでした、と答えた。ユタさんは、サクラがいっぱい咲いていました。素晴らしいですよ、と答えてくれました。山岡さん、あなたは素晴らしい。素晴らしいですよ。緊張していた私は、ただ、ハアー、ハイとだけしか答えられなかった

2番目は水の神
女の神さまで情熱に溢れた神様です。そこの段になっている所からは、男性は入らないで下さい、と指示を受けた。情熱に溢れた神様なら、いっそうのこと、入った方がいいのでは、と顔を赤くして考えていた。私にはいつも、邪念が付きまとう。私が着ている会社の名前入りのサッカーウエアーに、ユタさんは気が付いた。それは、会社のユニホームですか? ユタさんは私の会社のユニホームが、何故サッカーウエアーなのか、不思議だったようです。私も、あなたが何故サッカーウエアーを着ているのか知りたかったのですよ。私は、ちょっとばかし、過去の一部を恥ずかしげもなく自慢してしまいました。ここで、霊媒者・ユタさんと私は、サッカーを媒介して通じてしまった。ここで、水の神(情熱に溢れた神様)とユタさん、私の合体作業は完了したのです。山岡さん、あなたの当初の役目はもう終わりました。これからは、あなたのこと、あなたの会社の将来の繁栄をお祈りすることにしましょう。ユタさんは、「最高です。最高ですよ」と。ユタさんは私に、「南の方へ、すうっと~~  うんぬん~」と言われた。方言のため、きちんと聞き取れなかったのですが、瞬間、私は今弊社が仕掛けている石垣島のホテル計画を思いつき、「う~ん ミナミ !! こりゃ 石垣島ホテル計画が成功する、ということだ」と喜んだ。これは、邪念ではありません、真剣勝負の話なのです。

3番目は沖の宮
当神社の例大祭の最中だった。本殿の前から神輿が出て行く準備が始まっていた。私の田舎(京都府綴喜郡宇治田原町)では、神輿の担ぎ手がいなくなって、トラックの荷台に乗せて村中を巡るようになって、35年は経つ。私達兄弟3人が揃って、神輿を担いだとき、父母、祖母は大層喜んでくれたことを、思い出してしまった。沖縄の沖の宮でも、同じなのだろうか、トラックの荷台に神輿を乗せていた。確かめなくっちゃと思った。私達は人出を掻き分けて、本殿の脇を通って、裏に回るとそこに拝所があって、そこでお祈りをした。拝所は小高い丘の頂上で、そこからは、周囲全部が見下ろせた。眼下には、スポーツ公園の全景が見えた。50メートルプールでは、監視員2人の注目を受けて老人が一人っきり、クロールで泳いでいた。沖縄は、もう既に夏に入っているのです。野球をやっているのも見えた。神社の広場では、子供達によるエーサイが行われていた。民族衣装をまとった子供達30人程が、腹に結び付けた太鼓を叩きながら、掛け声をかけて踊る。神に奉納する群舞だ。那覇のホテル建設の起工式には、是非これを組み込もうと思っていたので、よく注意して観せていただきました。

4番目は沖縄の県知事公舎内
ここは、政治を司る神さまです、とユタさん。国家鎮護の神さまです。4番目の霊場は知事公舎内にある。公舎は警備員によって厳重に警護されていた。私達が警備員詰め所に近づくと、警備員は両手を合わせて拝むポーズをとる、我々は車の中から同じように両手を合わせて拝むポーズをとって、笑顔を交し合った。それで、オッケーなのです。私の感覚では、公舎などに入るためには、前もって入所理由、入所者、入所時間、面会相手を所轄の部署に届けて許可を取っておくものだと思う。ところがじゃ、沖縄、ユタは違うようです。公舎敷地内の裏に拝所があった。そこでお祈りをしていたら、警備員は職務上、木の陰から確認していた。公舎は最重要警戒地域であるのに、この取り扱いは、民衆に親しまれている神さまの威力の証左であろう。

お祈りが終わった。
「山岡さん、あなた、よかった。最高です。あなたがよかった。大丈夫です」と、ユタさんに言われて、意味もなく嬉しかった。お供物をどうしましょうか、ということになったのですが、結局ユタさんがこれから行くサッカーの練習に持って行くことになった。子供がサッカーをやっているんですよ、とユタさんは言っているのだが、子供よりも自分が主役でやっていそうな勢いだった。昼飯時に、みんなでお供物を食べている光景を想像して、これもまた私を異常に嬉しくさせた。私が横浜から持って行った横浜中華街の中華菓子「月餅(ゲッペイ)」も、元気なサッカー少年の口に運ばれていることだろう。砂のついた小さな手につままれて。

お祈りの仕方について
きちんとレポートしたかったのですが、ユタさんと会話の時間が巧く取れなくって、不満足な内容になってしまったのが辛いのです。儀式の様子を写真で紹介してあるので、想像力をめいっぱい発揮してみてください。いろんなお供物を前に並べるのですが、何故か種類ごとに奇数個なのです。御恩上げ(ぐうん)をユタさんは奏上します。私は、線香の束を両手で写真のように最初は左回りに3回まわして、その線香を供えます。それからしばらくユタさんの御恩上げが続いて、今度は線香を右に7回まわして、その線香を供えるのです。それから、私は手を合わせてお祈りをするのです。祈りが終わると拍手2回。拝礼で終わりです。どこの拝所でも同じように行いました。

ユタ用語
(あっちゃ、こっちゃの資料から引用させていただきました。情報提供者には感謝しています)

・ウタキ(御嶽):神々が下りてくる聖地。

・セイフ(成巫):ユタになること。

・フビョウ(巫病)、カンダーリ(神ダーリィ):成巫の前に心身の不調が発生した状態。

・ユタは地域によって、カミンチュ(神人)、ムヌシリ(物知り)、カンカカリア(神懸り) ムンスイ(物知り)、カンヌプトゥ(神の人)と呼ばれている。

 ・サーダカウマリ(性高生まれ)、カンダカウマリ(神高生まれ):沖縄や奄美のユタは、ユタになることを運命づけられていると思われる人が多い。そういう人々のことを言う。

・ニライカナイ(神の国):我々の住むこの世界とは別の神々の国、異境の意。