日米首脳会談 謝る相手が違わないか
4月27日 日米首脳会談がキャンプデービッドで行われた。
北朝鮮の核問題交渉は、米国が6カ国協議を尊重しながらといいながらも、米国主導で北朝鮮に妥協させられて進んでいる。対話重視路線?というやつだ。手始めは、マカオの銀行の資金返還から。日本の拉致問題をそっちのけで。
そんな状況下、安倍首相の先回の訪米での「慰安婦発言」が米国両議会、マスコミ、親日派要人、中韓から強烈に批難を受けた。今回の安倍首相の訪米は、双方のギクシャクした関係を払拭させて、日米の協調、両首脳の「一体感」を演出する必要があったのだろう。
首相は旧日本軍の慰安婦問題で謝罪し、大統領はそれを受け入れた。
両首脳は拉致問題を含めて北朝鮮に強い姿勢で臨むことを確認した。ともに両国間に吹いていた課題だ。
そこでだ、安倍首相殿。
こんなことで、世の人々は、そう簡単に貴殿には騙されませんぞ。
慰安婦問題についての首相の言辞を、ここで改めて検証したい。
今までの発言の一部です。
「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかった」
「従軍慰安婦には、狭義の強制性はなかった」
「当時、慰安婦との言葉はなかった」
「官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった」
自民党の有志の会「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が数々の慰安婦問題に対する誤った認識は、河野談話が根拠になっているとの見解を盛り込んだ提言をまとめた。
事実誤認だと。
安倍首相は、首相になったので、その会の会長を中山成彬元文科省にバトンタッチした。
上に掲げた、数々の首相の発言は、その会で各位が華々しく議論を交わした延長線上のもので、会に参加している議員にとっては至極当然の内容である。
提言をまとめて、政府に提出する間際に、首相の米国での慰安婦発言があって、米国から批難され、提言はされずじまいになった。
これからだ、首相の可笑しいのは。
米国からの激しい批判を受けて、ヤバイと思った首相は、火消しに走った。
強制性のことには触れずに、「人間として、首相として心から同情している。申し訳ない思いだ」と。強制性がなかったから、日本には責任はないのだ、と言わんばかりの、今までの発言はどうなるんだ。会のメンバーは、これで、いいのか。納得しているのか。
(この文章を綴ってから、2週間後。民主党にも、河野談話に疑問をもっている議員の会ができていることを知った。なんじゃ、こりゃ。これじゃ民主党は自民党の対立軸にもならないじゃないか、とがっかりした)
ブッシュ大統領は、「慰安婦問題は世界史における残念な一章だ。私は首相の謝罪を受け入れる」と応じた。
日米首脳会談で、安倍首相が謝罪して、ブッシュは受け入れた。
以下、2007年4月29日の朝日 社説の一部より
首相が謝罪すべきは元慰安婦に対してではないのか。首相はかって河野談話に反発し、被害者に配慮ある発言をしてきたとは言い難い。国内で批判されても意に介さないのに、米国で紛糾すると直ちに謝罪する。
何としたことか。
問題が大きくなったきっかけは「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかった」という首相の発言だった。日本としての責任を逃れようとしているものと、海外では受け止められた。
米議会では、慰安婦問題で日本に公式謝罪を求める動きがあり、これに弾みをつけた。メディアも「拉致で国際的支援を求めるならば、日本の犯した罪を率直に認めるべきだ」(ワシントン・ポスト紙)と厳しかった。米政府内にも首相の見識を問う声が出た。
慰安婦は、単なる歴史的事実の問題ではない。国際社会では、女性の尊厳をめぐる人権問題であり、日本がその過去にどう向き合うかという現代の課題と考えられているのである。